クレイジーな実験 | Let's play!

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アレクサンダー・テクニーク教師 かつみの日常のブログです。

大野先生の魂合気では、わたしにとってはすごく興味のある、クレイジーな実験をして、検証を重ねています。

 

何がクレイジーなのか、と言うと、まず人に信じてもらえないだろうこと、説明のしようがないことだからです。

 

それはカタカムナの理論を、体験するようなことをしています。

 

カタカムナは日本語の48音に対応する記号と、いくつかの音を同時に表す記号とでできています。

そして音のひとつひとつにはそれぞれ方向性があり(意味がある、と書くより、それよりももっと漠然とした感じがしています。)、音によって何かが変化することが起こるようです。

 

わたしたちはその変化をからだで受け取る実験をしているのですが、それを伝えることが難しいのです。

 

というのは、言葉を発する方も、受け取る方にも、条件が整っていることが必要だからです。

 

条件のひとつは姿勢です。

それから、意識の置き方、感受性、今のところはっきり分かったのはこのあたりですが、まだまだ未知のことです。

 

わたしたちはこの実験をしているうちに、感受の力が強くなったようで、それによっても受け取る情報はその都度変わってくるようです。

 

何が起こっているのかと言うと、言葉によって氣のようなものが発生し、流れや渦を感じたり、いろいろな種類のパワーが生まれるようです。

 

そのパワーを受け取るか遮断するか、という選択も起こりますが、気持ちの良いものは自然と受け取ることができるみたいです。(攻撃性を感じれば人は自然と離れて行くし、その反対に緑の中に行けば、自然とからだもこころも開いていくことが起こりますよね。私たちは無意識のうちに、自動的に選択していることが起こってようです。)

 

起きていることを言葉にしていくうちに、情報はより実態を持ってくるように感じます。

 

これはすごくアレクサンダー・テクニークや分離唱のプロセスと似ています。

存在に気がつかなかったものが、存在していることに気づくのです。

 

 

音の実験で特に面白いのは、「やまとことば」といわれるひらがなで表記される日本の言葉を音にするといろいろな動きが起こってくるのに対し、中国からきたと思われる漢字で表記される言葉では、身体が反応しないのです。

 

どんな実験をしたかというと、

きびす(踵)反応が起こる

かかと(脚下処)反応が起こらない

 

とか、

いで湯 反応が起こる

温泉 反応が起こらない

 

みたいなことで遊んでいます。

日本語が力を持っている、言霊の存在、すごく不思議ですね。

やわらかい、「やまとことば」、漢字でないと頭が悪そうに思われるかもしれませんが、柔らかな繊細なものこそ、変化させる力を持つ、という波動の法則があったと思います。

「やまとことば」に戻る必要がありそうです。

 

 

 

 

 

 

荒川克美ホームページ