当ブログではこれまで週刊プロレスを散々こき下ろしてきました。これは私が描く週プロ像というのがあって、編集長の交代により生じる編集方針の変更、または昨今のコンプライアンスが重視される時代への突入などの背景が相まって、私が抱く週プロ像とのあいだにできてしまったギャップに抵抗があるからだと思うのです。
 でも私のなかの週プロ像なんて、私が勝手に作り上げたものです。現週プロスタッフには何の罪もありません。彼らは彼らの感性でがんばっています。どん底まで落ちてしまったプロレス界を盛り上げようとしてきました。そしていまも、新日本以外は決して潤っているとはいえないこの業界の底上げをしたいと、日々、取り組んでいらっしゃるのです。
 ぜんぶ私が悪い。単に私が、最新型のプロレスについていけないのと週プロの在り方に理解が足りなかっただけなんです。申しわけありませんでした。
 そこで本日は謝罪の意味もこめまして、週プロさんのいいところを書いていきたいと思います。
 
 
 現在は世界的なコロナ禍の真っ只中。多分に漏れず、週プロさんでも誌面に「コロナ」の文字がこれでもかと書きまくられている。プロレス界も各団体ともに試合のできない状況が続く。なかには無観客試合をおこなうことでリング上の流れが止まるのを最小限に抑える団体もあるが、最大手であり週プロとしても引きの強いコンテンツであるはずの新日本は無観客試合すらも頑なにやらない方針(このたび、ようやく解禁したが)であった。
 そのため、誌面に載せられる試合リポートは激減。それでも雑誌を作る側としては、定価の560円を払って購入する読者を楽しませなければならない。いや、いまは書店へ向かうのにも命がけなのだ。ハイリスクをしょってでも読もうとする読者の期待に応えるためにも、どのようにして誌面を埋めようかと知恵を絞っていることに違いないものと推測する。
 そこで週プロさんは、選手のインタビューやアーカイブものを多数掲載することに活路を見出したもよう。おそらく前者は電話などで取材をし、後者は担当記者が編集部内の資料を引っぱり出し、それらとニラメッコしながらの作業なのだろう。
 
 
 例えばNo.2064<5/13&20合併号>。国内の試合リポートは大日本とアイスリボンくらいなもので、最大手=新日本系の特集記事として「レスリングどんたく」の振り返り企画なるものを8ページにわたりぶち込んできた。GWの時期、本来なら新日本はこの話題で盛り上がっていたはずだからだ。
 

 しかしそれよりも目を引いたのは1990年6月24日、東京・夢の島でおこなわれたFMW「大仁田厚vsターザン後藤」の検証記事であった。この試合は無観客試合として敢行されたものであり、業界全体で“無観客”がパワーワードのように使われつつある現段階においては、よりタイムリーな企画であったといえよう。
 これに割かれた枠としてはわずか3ページと、新日本と比べると少ない(新日本がレスリングどんたくの歴史をまるまる振り返るのに対し、FMW側はこれ1試合だけしか扱ってないので当然なのだが)。だが新日本のファッショナブルな写真が並ぶいっぽうで、FMWの写真は生々しさの分泌量がケタ違いな印象を受ける。近年、こういった写真が週プロに掲載されることはほぼないため、とくに新規ファンからするとかなりインパクトの高いものとして映ったのではないだろうか。
 
 
 やはりインタビューの記事は多い。なかでもこれが活かされたのは週プロの名物企画「アルバムシリーズ」。もともとアルバムシリーズは読み応えがあって評判もよく、私ですら文句をつけたことのない企画だった。亡くなっている選手の特集になる際は当然(そうでない場合もだが)、近しい関係にあった人物による証言は多い。
 その95回目を飾ることになったレスラーはケンドー・ナガサキ。ケンカ最強伝説で知られるレスラーだが、未知の部分もたくさんあった人物でもあった。
 この号では彼が日本プロレスへ入門し⇒海外で各国を渡り歩きながら大暴れしてた時代⇒日本でもさまざまな団体で活躍していた様子・・・すなわちナガサキの歴史を大々的に紹介。加えて「愛弟子・谷口裕一が語る師匠の素顔」「武藤敬司、グレート小鹿らの証言」などのインタビュー記事を含め、じつに20ページにおよぶケンドー・ナガサキ大特集といった様相となっていた。
 とりわけナガサキの晩年までもっとも親交が深かったと思われる谷口が語る、彼の人となりやリアル武勇伝のなかには、つい最近の情報まで含まれており、読んでて複雑な想いになったりもした。
 
 
 長期連載を続けている「プロレス史 あの日、あの時」はビル・ロビンソンが採り上げられていた。ロビンソンが引退後、高円寺にあるスネーク・ピット・ジャパンでキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのコーチを務めていたころ、多くのマスコミが殺到していたという。当記事の筆者=流智美氏は当時、ロビンソンの通訳をやっていたらしい。
 そんなとき必ず出た質問に「アナタが日本でやった試合のなかで、もっとも思い出に残る試合は、誰との試合でしたか?」というもの。これにロビンソンは1968年4月30日、東京体育館でおこなわれた豊登との一戦を挙げていたのだとか。
 それが3ヵ月ほど経ち、おなじ質問が8回目くらいになると「アントニオ猪木との60分フルタイム試合です」と答えるようになったそうで。
 ロビンソンは、トヨノボリとの試合を挙げたところで各インタビュアーは意外がり、あまり喜んでくれてないように察知。「イノキ」と答えといたほうがビジネス的にベターだと判断し、そう答えるようになったのだろうと流氏は推察している。
 これはもう当人と長く一緒にいた流氏じゃないとわからない。このことを氏は本人に確認したわけではないそうだが、正解が最初から決まっているようなインタビューに対し表面的な言葉だけでは見えてこないロビンソンの心情を察してのエピソードなのだ。
 じつに深みのある記事ではないか。なのにこの連載が毎回のように読者投票の「よくなかった記事」で2位になるのが定着している。この記事のよさがわからない週プロの読者はアホなのか?
 
 
 鈴木秀樹のコラム「偏屈論」4回目、この週のテーマは「全日本参戦、芦野祥太郎」。
 WRESTLE-1で大暴れしていたこともある鈴木。しかし芦野との接点はなかったという。その当時、芦野はまだデビュー3ヵ月くらいだったというからしょうがない。
 芦野と接点のない鈴木だが、気にはしてるもよう。「“W-1の中では”強かった芦野選手が外に出てどうなるのか」との視点で綴られている。
 要は大型選手の揃う全日本へ、小型の芦野が入ってゆくのである。なんだか最近のマット界は「サイズの大きさは関係ない」とする風潮になりつつあるが、鈴木の持論は「体格差は大きい」と言い切る。さらに「ジュニアヘビーの体格でヘビー級選手相手に渡り合ってる選手って田中将斗さんと杉浦貴さんぐらい」とも。
 ということは、それ以外の選手は互角に渡り合えてるとはいえないのか? ・・・と言いたい向きもいるだろうが、おそらく鈴木が言いたいのは「真っ向勝負で力負けしない選手」のことを指すのだと思う。ほかはスピードやテクニックで補ってる選手がほとんど、ということなんだろう。
 私が見てきた芦野の闘い方はジュニアっぽいものではない。「丸め込みもアリ」というタイプでもないように思う。強いて挙げればかつてのKENTAに近いような気もするが(ファイトスタイルじたいは違うけど)、そのKENTAでさえ体格差によるハンデキャップとアドバンテージは大きな壁であると痛感していたのではないか? いっぽう芦野がトップに立ってからのW-1には、さほど大きな選手はいなかったような・・・。
 そして鈴木は、スーパーヘビーをウリとする全日本という団体には「自分たちよりひと回り、ふた回り体格が小さい選手にそうやすやすと活躍させていいのか」「それはやらせちゃいけない」と釘を刺す。
 ホントにそう思う。よくある、よそから参戦してきた注目の選手に花を持たせる展開はマット界の悪しき風潮であると私も常々思っていた。
 さらに鈴木は「どっちも生きるなんてない」「最後に手を取り合ってよかったねみたいな感じにはならないでほしい」と追い打ちをかける。要所でトボケる書き口の当コラムだから業界でどれくらい注目されてるのかは知らないが、これは大事な問題提起をしていますよ。
 近年のマット界で明らかに足りてないのは、どちらかが傷つくプロレスでもあるのです。
 
 これ前にも書いたけどね。総合格闘技でプロレスラーに負けが続くのが辛いので、もう撤退してほしいって声が多かったじゃん。それでホントに撤退したら人気は出た。
 つまりアレだろ。『男はつらいよ』とか『水戸黄門』とかみたいに、最後がどうなるのかわかってて見るのとおんなじ感覚なんだろ? ハッピーエンド前提の安心できる娯楽。観たらハッピーになれるのをウリにしてる団体すらあるもんね。
 でもね、闘いの場であるからにはそれじゃダメなんですよ。好きなプロレスが負け、傷つくのが嫌だから撤退してほしい? そんなのヌルいにもホドがあるだろ。そんなんで人気が出ても、内輪だけで盛り上がってるだけだべ。
 強くあってほしいことを諦めたファンと、強くなることを放棄した選手の内輪だけ。そんなんでホントにいいのか? それを「闘い」と呼んでいいの? そもそも闘いなのにハッピーなだけって、おかしいと思わんのか? 冷静に考えて、観たらヘコむことのほうが多いくらいじゃないとおかしいでしょ。だって闘いなんだもん。
 団体が最初から「めでたし、めでたし」を提供するのを前提とし、ファンもそれを期待するプロレス。予定調和のプロレス。鈴木がこれに警鐘を鳴らすつもりで書いたのかどうかは知りませんけど(彼のふだんのコメントなどを見て推察すると、たぶんそうではない可能性が高い)、彼が言わなくても私はおかしいと思うものはおかしいと書いておこうと思います。
 
 
 話が脱線しかけましたが、元の軌道へ戻します。
 
 自粛期間を逆手にとり、無観客試合の決行で業界の注目度をほぼ独占したのがプロレスリングNOAHであった。なかでも潮﨑豪と藤田和之によるGHC王座戦は試合開始から30分以上もにらみ合いが続くという前代未聞の“問題作”として大いに話題となった。
 藤田のほうは、かつて天龍の引退興行において全日本の諏訪魔と約2分のにらみ合い
をやらかし賛否両論を巻き起こしたことがあったが、今回のはそれをはるかに上まわる長時間。この試合は後々まで語られる可能性が高い。
 週プロスタッフによる週替わりリレーコラム「編集部発 Eye Column」では、この試合を間近で目撃した味方冬樹リングアナにインタビュー。そのとき味方アナが、どんな心情であったかをタイムキーパー目線で語ってもらっている。
 コロナ禍と世界的自粛が今回かぎりのものなのか、それとも今後も繰り返すことになるのかはわからない。ただ前者になった場合、この試合とこの記事は、この時期ならではのレアケースとして歴史に刻まれることになるだろう。
 
 
 ――と、ここまで書いてきたが、じつは私がもっとも心を揺さぶられたページはほかにある。「今週の週刊プロレスmobileプレミアム」という記事がそれだ。
 

 この記事はアーカイブであり、要するに過去の週プロ記事を再掲載するみたいなページなんですな。で、紹介されたのはNo.113<1985年10/8号>より。9月19日、東京体育館でおこなわれた「アントニオ猪木vs藤波辰爾」の試合リポートであった。
「あまりにもせつない試合 これは新日本の挽歌だ・・・」と題されたこのレポート。書き出しから異質であった。
 
 高校の生物の授業で「個体発生は系統発生を繰り返す」という法則を教えられた記憶がある。
 
 なんだ、これは。ここからどうやってプロレスの試合へ繋げていこうというのか?
 
 猪木と藤波の試合は創立以来、新日本プロレスが歩んできた道を35分29秒の間に演じてみせた。
 技はすべて思い出となつかしさで一杯だった。ブリッジの応酬、インディアン・デスロック、鎌固め、リバース・スープレックス、弓矢固め・・・どれもみんな新日本のリングで咲いた技だった。
 
 フムフム、そういうことか。それにしても、どこか文学的な匂いを感じさせてならないのはなぜか。
 そして読み進めるうち、次の一文が目に入ってきた。
 
 リングを見ると2つの黒のタイツと4つの黒のシューズがそこにあった。
 
 これで私のなかのスイッチが入った。明らかに近年の週プロにはない世界をそこに感じる。
 
(レフェリーの)テーズは流智美の質問に答えて「この時。猪木は理解しがたい奇声を発した」と語っている。
 猪木は足4の字固めをかけられながら「折るなら折ってみろ」と藤波を挑発していたのだ。日本語のわからぬテーズにはそれが奇声にうつった。
 
 ・・・・・・。
 
 これと同じことを猪木は長州力との試合でも言っていた。長州にサソリ固めをかけられた時である。言った方もつらいが言われた方はもっとつらい言葉である。
 それはもうプロレスの試合とは言えないからだ。長州はその言葉を聞いて、猪木から離れる決心をしたのかもしれない。敵の骨を折れるわけがないからだ。
 
折ろうと思えば折れる状況になっても、ふつうはそこまでしない。意図的には折らない。
 そこまでやるやつがいるとすれば、それはペールワンの骨を本当に折ってしまった猪木くらいなものだ。
 
 この試合を見て私は猪木と闘う日本人の大物レスラーは、もう出てこないのではないかと思った。これは悲しい試合だ。
 
 レポートはここで終わっている。全文をここへ書き出すことは控えるので、これだけ読んだ方には意味がわからないかもしれない。が、とりあえず私の琴線に触れたフレーズを並べてみた。
 気づけば私は涙が出そうになっていた。そうだ、私はこういうのが読みたかったのだ! きっと「せつない」と思わせるプロレスもどこかで欲していたに違いない。
 この当時にはこんなプロレスが存在し、ファンはこんな記事を当たり前のように読んでいたのか。そりゃあプロレスファンの目も肥えるわ――そう痛感させられる記事であった。
 書いた記者は・・・そう、もちろんあの人だ。当時の名物編集長=ターザン山本氏。写真にも力がある。
 
 
 ところが、である。
 週プロの某記者が「絆」というワードを使ったことに猛烈な嫌悪感を抱いた、ということを当ブログでは何度か書いたことがあった。
 また、あったのだ。某記者は相変わらずだった。でも今度は編集長までが、なのだ。
 やっぱダメだわ、ここのスタッフらは。よくもこう聞こえのよい言葉をヌケヌケと使えるもんだ。あれを恥ずかしいと思わない神経を私は疑う。山本氏だったら、ぜったいに使わないワードのはず。
 素人でも許し難いのに、プロの物書きがやってしまうとは・・・。このワードを使ってるのを見てしまうと、もうそのライターさんへの信用度は私のなかで一気に降格してしまうほど見下げ果ててしまうのだ。
 これは私だけの感覚ではないと思う。言葉を大事に使いたいと思う者なら、まず使用するのを避けるワードであろうに。ちょっと考えればわかりそうなものなんだが、わからない人には生涯わからないものなんだろうか? これじゃあ、いつまで経っても「読み物」としては低レベルなままであろうな。
 
 
 今回ここへ挙げた記事に加え、たまに登場して他の週プロ記者ができないような鋭いツッコミで新しい風を吹かせている高木圭介(個人的にブログの読者登録もしてる)によるインタビューもホメたい素材だと言いたいところだが、高木氏は正規の週プロ記者じゃないじゃん。ベテランの流氏も外側の人。鈴木は現役選手。インタビューや「編集部発 Eye Column」などの記事も、面白みがあるのは選手や関係者の話だし記者自身から放たれた言葉は少ない。あとはやっぱり代わり映えのない記事が大半じゃないの。
 山本氏にしろ過去に在籍した人。ゲストの記事は面白くても現役のメインスタッフは総じてセンスがない。これでいまや定価が560円。「あまりにもせつない試合~」を読むことができた週プロは290円。いまの週プロ、高すぎるでしょ。
 本当は「最新型のプロレスについていけない」なんて思ってないですよ。プロレスがコンプライアンスを重んじるようになったら、それはプロレスではないとは思ってます。業界を盛り上げるためとはいえ忖度ばっかり。人気は出ても質は低下してしまったと。そんなふうに思っとりますよ。
べーっだ!
 だから今日も笑顔で答えます。やっぱりダメです、週プロ。 (^O^)/
 
 
 それと。
 このNo.2064と、その前のNo.2063では興行自粛にともなう業界のピンチに、
7団体の代表が一丸となって馳浩に要望書を提出に行ったとのニュースが躍った。まぁ先にこれを知ったのはネットのほうでしたけども。
 最初は「エンタメ業界は大変だな」とか「レスラーといえども生活はあるんだもんね」・・・なんて思いましたよ。でもそれは2~3秒後には取り消したくなった。だって世間や常識的なものにケンカを売ってなんぼのプロレスが、苦しくなったからって国に助けを求めるってムシがよくないか?
 団体を経営する人たちだけで行くならまだしも、棚橋とか諏訪魔とかのトップレスラーまでが雁首並べてですよ。
爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑爆  笑
 これに異を唱えたのが、当ブログが勝手に“プロレス界の伊藤雄之助”と呼んでる内藤哲也。略して内藤雄之助。いわく「最初に国に助けを求めるのはかっこ悪い」とのこと。
 内藤雄之助選手は当ブログ的には興味のないレスラーではあるのだが、ここでは珍しく意見が一致した。
 なんでも棚橋や諏訪魔や丸藤らは「ときどきメシでも食いに行こうや」的な流れになりつつあるのだとか。なかよしこよしかよ。あ~あ、これでますますプロレスは締まらなくなるのかなぁ?
 馳を挟んで棚橋&諏訪魔がテーブルについた「トップ会談」の記事。馳からは統一コミッショナー設立の話が出される。最終的に馳がどう動くのかは知らないが、棚橋や諏訪魔らは協力体制をとるもよう。
 そしてここでも棚橋は「みんながしあわせになるように・・・」との、非常に彼らしく聞こえのよい優等生発言を残している。
しょぼん
 
 もうね、ホントにレスラーが凡人化してしまって悲しいですよ。プロレスラーは社会不適合者の集まりでいいのに、なんでこんな人ばっかりになってしまったのよ?
 そんな人らがプロレスやって健全性をアピールして・・・そんなの観て「勇気づけられました!」って言える人ならプロレスじゃないものでも勇気づけられますよ。社会不適合型のファンにはプロレスしかなかったのに。プロレスじゃなきゃダメだったのに。私なんかチャンピオンだったときよりも事件起こしてからの森嶋猛のほうがガ然、興味湧いてきたっていうのに。
 あとね、誰でもいいからこの運動へ賛同した選手たちに「武士は食わねど」ってことわざをおしえてあげてくれ。
 

 

リサイクルおまけ。
 三助さんにつけたコメントを本文に採用してもらいました。ここで採り上げるつもりはなかったのですが、せっかくなのでリブログします。
『キャ●テン翼』に対するモヤモヤしたものをどこかで吐き出したいと思っていたんですけど、ちょうどいい機会でしたので書かせていただいた次第。たぶん三助さんも社会不適合者の味方だと思われます。
 これだけだと意味わからんと思いますので、ちゃんとリブログ先へ飛んでみてくだされ。


 プロレスラーは、倒れても倒れても立ち上がろうとする。ファンも、それが当たり前のように立ち上がる姿を期待する。そういう関係も私は好きではない。
 立ち上がるのは当たり前じゃないですからね。世の中、立ち上がれないことのほうが多いもので。立ち上がれないほどのダメージを負うこともあれば、立ち上がり方がわからない者も少なくない。
 地に堕ちてしまったら。立ち上がれなかったら――? そこで目を背けるのか、それとも・・・。
 
サッカー鈴木秀樹選手は『キャ●テン翼』、好きなのかもしれません。
 ※G・馬場さんのキックも左・・・。
 
 私はプロレスに夢も希望も最初から求めていない。