今年も慰霊の日に沖縄全戦没者追悼式が摩文仁で行なわれた。
翁長知事になってから、追悼式は政治主張の場となっている。
翁長知事時代までは、どのような政治思想を持っている知事であれ、それを表に出さなかった。
それは、この場は戦没者を追悼する祈りの場であるからだ。
私も過去何度か式を現地で拝見したが、厳粛な中で行なわれ、参列者それぞれ一人一人が戦没者に想いを馳せている空気があった。
しかし、翁長知事となってから、政治的な要求を政府に突きつける内容が盛り込まれ、そして総理大臣に野次が飛び、政府批判のプラカードを持っている人も存在する。
また、それに応戦するように過激な保守の野次も飛んでいる。
沖縄は今後も平和を訴え、過去の戦争を伝えていく大きな意味がある場所のひとつである。
しかし、政治的な色が出た時点で、今まで築き上げてきたものが大きく崩れたように感じる。
式典での翁長知事や現玉城知事の言葉には、戦没者を追悼する気持ちよりも政府への政治的訴えだけが残る。
マスコミもそれをメインに報道する。
式典で野次を飛ばしている人に、戦没者を弔う気持ちがあるのか?
戦没者を弔いに来ている人に対しての配慮もないのか?
非常に悲しい。
平和祈念公園は、宗教も国籍も人種も政治的思想も関係なく、全ての人が祈りを捧げる場である。
警察から自衛隊、平和団体、政治家、様々な人が事前の清掃を行なっている。
平和祈念堂では様々な宗教、旧宗教から新宗教も含め、慰霊の日のある6月に祈りを捧げに来ている。
そのような場である。
そのような場であるからこそ万人が訪れることができ、修学旅行をはじめ様々な団体が平和を学び、平和や戦争を見つめる場所としての価値があるのだ。
そこに、沖縄県の代表者である知事が自らの訴えを持ち込んでしまった。
沖縄県民100%が同じ思いであればそれも良いだろう。
しかし、様々な意見がある現状の沖縄の中で政治的メッセージを訴えた時点で、もう誰も素直に戦没者に対して弔いや鎮魂の想いを持って参拝できる場所ではなくなってしまった。
少なくとも、保守派の人にとっては平和祈念公園は、左派・革新系の人たちの政治的主張の場というイメージが付いてしまった。
沖縄に観光に来ても平和祈念公園やひめゆりの塔なども、左派色が強くなり、訪れることを避ける人もいるのが実態である。
式典でのこのような問題は、広島や長崎でもある。
実際に左派系の野次は多く飛んでいる。
しかし、それは式典から離れた場所から行なわれており、県自体が式典に影響を及ばさないように尽力しているのが実態だ。
たとえ革新系の知事であっても、式典に政治的色を出さないようにしている。
だから、オバマ前大統領も訪れることができたのだろうと思う。
オバマ大統領が訪れたことに様々な意見があるもの実態だが、一部の人にとっては大きな成果だっただろうと思う。
それは今まで、保革問わず、式典を守って来たことによる成果だろう。
沖縄の平和教育が薄れ、過去の戦争が遠いものとなり、今の若い世代は左派離れが進んでいる中で、翁長知事以降、式典で政治的メッセージを出してしまったことで、今後はさらに若い人たちは平和祈念公園に足を運ぶこと減っていくだろう。
平和の礎、祈念堂の木製の祈念像、高摩文仁グスク、健児の党、その横の壕、さらに降れば戦争時に多くの人が岩に隠れながら逃げていた海岸などもある。
そこに行くだけで、過去の戦争を感じ、平和への想いが強くなる場所である。
「戦争で人が死ぬ」ということ、自分の足元で70年前に多くの人がなくなった場所であること。
戦争を知らない世代にとって、とても神聖で大切な場所なのが平和祈念公園やその周辺である。
政治的な訴えなど、時代によって変わって行くものである。
保守も革新もだ。
保守も革新もどうやって戦争をせずに国民を守るか、世界を平和にするのか。
その方法論が違うだけで、願っていることは同じである。
日常では言い争っているそれぞれの主張を控え、死者の前で個人個人が想いを馳せ、純粋な平和を願うのがこのような平和式典である。
だからこそ、尊いものとなり、何年、何十年経っても神聖な場所として多くの人が訪れる場所となるのだろうと思う。
それを簡単に壊してしまった翁長前知事や玉城デニー知事、そこに参列されていた野次を飛ばす人たち。
この人たちの罪は重いだろうと思う。
沖縄は今、政治的に辺野古反対派が与党の立場であり、そんなことは、政府も安部首相もわかっている。
自らが参列することに、嫌な思いを抱く人がいることも理解した上で参列している。
それでも、政治的メッセージを振りかざし、野次を飛ばしている人たちを見ると、人として間違っているだろうと感じる。
「平和」を訴えている人たちの「平和」とは言い争うことなのだろうか?