ちゃこ花房~本日も波瀾万丈~

前向きに生きています。
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朝晴れエッセー あのときの「ノート」

2019年05月11日 | 片付け
某新聞の投稿欄より朝晴れエッセー
あのときの「ノート」
長男の私は、家への仕送りが必要だった。
中学 2 年生のときには、すでに新聞専売所に下宿 していた。
給料を送金するときの、母の安堵(あんど)する顔を思い浮かべることが、私の 幸せだった。
生活のすべてに困窮していた。
たった一つだけ満たされていたのは「紙」だった。
新聞広告には広告配達の依頼が絶え間なくある。これがうれしかった。
広告紙裏面に白いも のがあれば店主に頼み、いつも 50 枚ほどは分けてもらった。
綴(と)じてノートの代用品 とし、全部の学科が広告紙の裏だった。
紙質も鉛筆の滑りも悪く、でも贅沢(ぜいたく)を 言うことはなかった。
2 年生の 7 月、定期試験が終わってすぐに、体育の先生から全員に「ノート」の提出を求 められた。
広告紙の裏をノート代わりにしている私は思わず体が震えた。
誰にも知られたく ない貧しさの秘密だった。提出は恥のさらし者になる。何の名案もない。
覚悟し職員室にそ のノートを持参して、先生に一切の事情を打ち明けた。
無言で聞いてくれた。悔しさと異常 な羞恥心(しゅうちしん)で涙したあの日。
後日ノートの返却があった。私の「ノート」は新品のバインダーに閉じられて、三冊の真新 しいノートが入れてあった。
「整然としています」と採点記載があり、最後に「絶対に負けるな!」と力強い大きな文字 が記されていた。
その用紙は今も手元にある。
3 冊のノートはあまりにも貴重で使用できず、 一緒に人生を歩んできた。
大切な宝物となった。生涯忘れられぬ先生との出会いがあった。
投稿をそのまま転載させていただきました。
 
新聞に投稿した男性は、現在74歳で会社経営者でした。
恩師とのこの出来事が、その後の男性の人生に大きく影響することになったのはまぎれもないでしょう。
そして男性は、この先生の言葉とノートを支えとし、恩師のエールに応えました。
苦労や貧しさをバネにここまで来れた影に
恩師や母の存在がありそれをバネに生きてきた彼の生き様に感服です。
私もそういう人でありたい。
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