ひねもすのたりにて

阿蘇に過ごす日々は良きかな。
旅の空の下にて過ごす日々もまた良きかな。

名も知らぬ駅に来ませんか 17

2020年05月21日 | 「名も知らぬ駅」に来ませんか
ジントニック

高倉さんは、長い馴染みのお客さんである。
決まった席に座るというような拘りはあまりなくて、空いていればカウンターのコーナー付近に座るのが常で、今日もその辺りのスツールに腰を下ろした。
「マスター、ジントニックを」
高倉さんの「いつもの」は、ジントニックだが、「いつもの」というオーダーを聞いたことはない。
「いつもの」と言うことで、馴染みであることをひけらかすようなことを自分に許したくないのだろう、と思っているのだが、はて?

ジントニックと言えば、ジンベースのカクテルの中では、定番中の定番。
ジンとトニックウオーターだけのシンプルなカクテルで、ジンを4分の1、トニックウオーターを4分の3、氷の入ったロンググラスに注いでステアする。
トニックウオーターは、柑橘類の果皮から抽出されたエキスや糖分に炭酸水を加えたものである。
元々は、キナという木の樹皮に、マラリアに有効な成分(キニーネ)があることが分かり、その成分を入れた飲料として飲まれたらしい。
それにジンを入れたら意外に美味しかったことから生まれたカクテルという説がある。
熱帯地方で仕事に就いていた東インド会社の人間に飲まれたという話もある。
シンプルなカクテルだけに、ジンやトニックウオーターの種類と組み合わせによって味が異なるという、なかなかに味わい深いカクテルでもある。

「最近はね、熊日(新聞)のお悔やみ欄を見るのが慣習になっているんです」
口に含んだジントニックを飲み込んで、高倉さんは話し始めた。
「それはまたどういう・・・」
私が問うと、
「半年前になるかな。偶々お悔やみ欄を見ていたら、知っている名前があったんです」
「・・・・・」
「昔職場が同じだったことのある男でね。当時は時々2人で飲みに行ったりしていたんだが、職場が別れてからここ20年以上、年賀状のやりとりくらいの無沙汰になってしまっていたんです。そいつの名前がお悔やみ欄にね」
「ビックリなさったでしょう」
「ああ、ビックリというのもあったのだけれど、彼の名前を見た瞬間はただボーっとしてさ。現実感がなくて、ふわふわした感じで思考が彷徨うような、上手く表現できないんだけど」
「なんとなくですけど、分かるような気がします」
「その日はいろいろと考えましたね。私もそういう歳になったんだと。自分の周りの人が皆、お悔やみ欄に載ってもおかしくない歳に自分もなったんだと、そういう現実を突きつけられたんです」
「高倉さんはおいくつになられました?」
「70才、古希ですよ。お悔やみ欄を毎日見て、知った名前がないかを確認している自分を俯瞰する自分が別にいて、ふと、いつかは自分の名前がここに掲載されたのを誰かが見つけて、『あいつもとうとう逝ったんだ』と思うんだろうなぁ、なんてことを思ったりしてね」
「いやいや、まだまだですよ」
慰めにもならない言葉は高倉さんにスルーされたようで、
「マスター、モヒートをいただけるかな」
高倉さんはジントニックを飲み干して、グラスを押し戻しながらオーダーを告げた。
「おや、珍しい。」
高倉さんがジントニック以外のカクテルをオーダーすることはここ数年来なかったことだ。何か気分を変えたいことでもあったのか。

「私はね、これまでの人生で友人を4人自死で亡くしているんです。」
遠くを見る目で高倉さんは話し始めた。
「そのうちの2人はもう30年以上になるかな。先に逝った友人は脱サラ後、旅行会社を設立して、当初は順調だったんだが、段々客足が遠のいたみたいで、借金が嵩んでいったんです。さらに悪いことは重なるもんで、奥さんが悪性の癌に罹患して、1年保たずに亡くなってしまった。それもあったのか、しばらくは鬱病のようになって、とうとう自死してしまったんです」
高倉さんは呟くように話を続ける。
「2人目の友人も最初の男同様に幼馴染みでした。昔はかなり有名だった熊本地場のスーパーチェーンに就職して、頑張って会社でかなりの地位まで行ったんですが、それがかえって彼の命を縮めたのでしょうね」
「といいますと?」
「全国チェーンの大手スーパーが熊本にも進出して、会社は赤字転落、次々と店舗を閉鎖しました。もう駄目かなというような記事が出た頃でした、彼の訃報が届いたのは」
「残念でしたね」
「男気があって、責任感の強い男でした。私と違って、スポーツ万能で喧嘩も強く、よく私を庇ってくれたものです」
その頃を思い出したのか、高倉さんの顔に小さな微笑が浮かんだ。
「友達に先に逝かれるのは、結構堪えますよね」
「マスターもそういう経験があるの?」
「この歳まで生きていると何やかやと・・・」
口を濁した私は、昨年暮れに急逝した友人の顔を思い出していた。
いつかは自分も通る道とは分かってはいるが、友を亡くした時の寂寥感はなかなか癒えるものではない。
「残された時間が少ないからこそ、悔いのないように生きないといけないのでしょうね。先に逝った友人のためにも」
そう言って、高倉さんはモヒートのグラスに浮いた露を指でなぞりながら独り言ちた。

高倉さんの話にある、あと2人の友人の話が知りたい?
それはどうでしょう。聞いて辛い話は語るのも辛いといいます。
多分無理だとは思いますが、それでもよければ名も知らぬ駅に来ませんか。

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