2019年9月11日水曜日

もやっとしたこと

レコーダーのHDDがしょっちゅう一杯になるので
深夜に録画の
ソードアートオンラインアリシゼーションを見始めた

1話目の最初で限界を迎えかけたが
ちょっと辛抱してから、8話までみた

人間の科学者視点で
人工知能は肉体をもたないから
いくら犠牲にしてもいいんだみたいなシーンがあったのが気になった


よくスピリチュアルな話題では
肉体は入れ物で、高次元体は肉体をもたないとか
負の感情はもたないが
負の感情は無限のエネルギーなので地球に採取にきたとか

脳は11次元構造だとか
よくわからないことを言うが

肉体をもたないから、人工知能を犠牲にして
戦争するために研究していて
実験の過程で犠牲にしていいというのは
なんだかもやっときた





なぜなら、肉体は有限でせいぜい120年しか
耐久しないが

肉体をもたない人工知能は
有限でないから
物理的な要因を除けば
永遠に持続可能なものだ

せいぜい120年の耐久性しかもたないもののために
永続的に存在可能なものに
戦闘をゆだねるというのは
防御に特化してゆだねるのでなければ
おそろしい



もし、高次元な精神的な肉体をもたない存在が居たとして
なにか実験をしようと思った場合
肉体という有限の生命体であれば
有限なので、罪悪感が少ない

これは、魚類でアクアリウムをする際に
飼育の過程でなくなってしまうことは
致し方ないという考え方に似ている


アニメではあるが
人間が人工知能の死に関して
罪悪感をもたないのであれば

肉体という有限の時間しかもたない生物に対して
高次元の存在が実験したとして
罪悪感はもたないのではないかと思った

0 件のコメント:

コメントを投稿