「人見て法説け」とは昔から言われている言葉です。

 

私達は自分が知り得た知識や、良いと思う事を相手に教えようとします。善意をもって。

しかしそれは大変難しいことだと言います。

 

相手にその事を受け入れるだけの器を持っていない時です。

時には相手に敵意を持たれることもある。と言います。

 

赤ん坊にはミルクを与えます。歯が生えて、成長するに従って

序々に歯ごたえのあるもの固形物と進んで行きます。

赤ん坊にいきなりご飯は食べさせません。

 

それと同じなのです。

 

まだ未熟な精神性、霊的成長が遅れた人に、いきなり高度な霊的真理を知らせようとしても理解できません。

赤ん坊の口にいきなりご飯を押し込むようなものです。

 

それは命に関わる程の障害になるだけです。

 

赤ん坊ならすぐ見分けが付きますが、大人の人間はその人が霊的に成長しているか、また遅れているか全く見分けが付きません。

また現世の社会風潮は物質的な事が優先しています。

それを改めようと、試練は訪れますが、気が付く人は確かに少ない。

それでも諦めずに、霊的食べ物を少ずつ、現世の食べ物に混入して与えて行くのです。

 

希少な人を集めて行くのです。

それは予言の通りです。