日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三途の川
さんずのかわ

 
死後7日目に冥土(めいど)の閻魔(えんま)庁へ行く途中で渡るとされる川。
 
この川には三つの渡しがあり、生前の行いによって渡るところが異なることから、三途の川といわれる。
 
三瀬(みつせ)川、わたり川、葬頭河(そうずか)ともいう。
 
川岸には衣領樹(えりょうじゅ)という大木があり、脱衣婆(だつえば)がいて亡者の着衣をはぎ、それを懸衣翁(けんえおう)が大木にかける。
 
生前の罪の軽重によって枝の垂れ方が違うので、それを見て、緩急三つの瀬に分けて亡者を渡らせるという。
 
この説明は、中国宋(そう)代、または日本の平安時代につくられたといわれる『地蔵菩薩発心因縁十王経(じぞうぼさつほっしんいんねんじゅうおうきょう)』という偽経(ぎきょう)のなかで詳しく述べられるが、仏教本来の説ではない。
 
日本では中世以降にこの俗信が広まり、今日でもなお棺の中に渡銭(わたしせん)を入れるなどの風習がみられる。[松本史朗]
 

 

 

 

 

古事記にもあります。

 

古代日本の三途の川

日本では、奈良時代にできた古事記に出てきます。


イザナギという男の
イザナミという女の

色々な
を生んでいると
火の
を生んだときに
イザナミは火傷をして死にました。

 

イザナギが黄泉の国へ探しに行くと、
イザナミから、
もう黄泉の国の食べ物を食べてしまったので
 基本的に帰れないんだけど、
 黄泉の国の
と相談するからちょっと待って、
 その間、私を見ないで

といわれます。


ところがイザナギが言われたことを守らずに
イザナミを見てしまうと、腐った死体でした。

 

驚いてダッシュで逃げると、
イザナミは、「見たなー」と言って、
ヨモツシコメ(黄泉醜女)などの
追っ手を使わして殺そうとします。

 

イザナギがおとりを使って逃げ切ると、
イザナミは大軍を送り込んできたので、
イザナギは桃を投げて追い払います。

 

こうして命からがら黄泉の国から帰ってきたイザナギは、
ケガレをはらうために、川へ入ります。
上流は激流、下流は弱い流れだったので、
中流でみそぎをしました。

 

この川を「三瀬川(みつせがわ)」といいます。
奈良時代は渡し守も橋も何もありませんでした。

 

それが、平安時代頃には色々加わって、
三途の川」となります。

 

 

            ・

 

 

もちろん、

 

パソコンはありませんし、スマホもない時代の話しです。

 

文明の利器による恩恵を受けていない時代の文献です。

 

 

何らかの体験に基づいた記述なのでしょうかね。

 

 

臨死体験を忠実に記述したのか、

 

それとも、

 

夢で見たのか、

 

根拠となる何かがあったはずですね。

 

 

 

 

                             ・

 

 

 

一昔前には、

 

ワープロができて、漢字変換が自動化されたので、漢字が書けなくなった、

 

といった方が増えましたね。

 

 

 

その後、ワープロはパソコンやスマホに変わりましたが、さらに便利になっています。

 

 

 

私も、これだけブログをやり続けたせいか、

 

漢字を忘れてしまい、思い出すのに苦労することが多くなったように思います。

 

 

 

文明が進むと、

 

機器に頼るようになるのは、止むを得ない事なのかも知れません。

 

 

その分だけ、ある種の感性が鈍くなる傾向があるようにも思えます。

 

 

 

文明の利器などなかったはずの、

 

古代の人々は、

 

その分だけある種の感性が発達していたのかも知れません。

 

 

現代人の見えないものが、見えていたのでしょうかね。

 

 

        ・

 

 

三途の川に関する文献は、世界中にあります。

 

どこのものも、同じような世界を描いています。

 

 

足で歩くしかなくて、今日のような交流などなかったはずなのに、

 

同じような描写となっています。

 

 

(それはそうでしょう、だって、本当の事なんですから・・・)