(3)責任をとることができる
人間には、「より成長したい、より大きくなりたい」という本質的な欲求があります。
現在の自分と過去の自分とを比較してみて、そこに成長している自分自身、大きくなっている自分自身を発見することは、他人にはわからない喜びでもあります。
仕事をしていて、以前できなかったことができるようになったり、様々な経験を積んで高度な判断力を身に付けることができるようになったりすることは、”生きがい”そのものにつながることでもあります。
人間が本来持っているこの成長願望ともいうべきものを大切にすることは、人材育成にとっても有効なことだと思います。
そのためには、積極的に仕事に取り組み、自分の成した仕事に誇りを持つ。責任を持つ。それを個々に求め、また組織として容認する。そのような所内体制がどうしても必要となります。
責任を持つということは、成功すれば賞賛されますが、失敗すれば評価を下げられることもあるわけで、私企業でも責任逃れの上手な人はいます。
ただ、そのような人は、長い仕事人生の間では周囲の知るところとなり、そのような人間だと性格を見抜かれ、重要な仕事は任されなくなったり、あるいは人間として重きを置かれなくなったりします。
行政では、この責任を持つということに関して、曖昧な部分が多いということが言われています。
書類にハンコがたくさん押してあることなどを捉えて、責任をとらないシステムだということも言われています。
もし、それが本当だとしたら、これは非常に残念なことであり、
「人間の成長を妨げるシステムである」といえるかもしれません。
(追記)
この「責任」に関する文章は「お役人の本質」をよく捉えた文面である、と、(7年ぶりに読み返してみて、)あらためて思っています。
この提言書を答申した後もお役人と接触する機会は数多くありました。
とくに異物混入事件の際には、連日連夜、様々なやり取りを数多く行なうこととなりました。
ベトナム事業の再開、輸入手続きに関してもやり取りを行なっています。
そのやり取りのなかで感じたこと、を素直に述べるとするならば、
かれらの一番の関心事は「自分が(自分の部署が、あるいは自分の上司が)責任をとるような事態になってはいけない」
と、いうことのように思えます。
建前上は、「公務員は国全体の奉仕者であり、公共の利益を優先する」ということになっているのでしょうが、
実態としては、それよりも自分たちに責任がかかってこないことを優先している、
そのようにみえます。
公務員の倫理規定
どれだけ民間企業に迷惑がかかりその結果赤字になろうとも、お役人に責任が及ばないことを優先させるのがかれらの行動原理のようです。