火曜日。
〜〜 一週間後の今日ようやくブログをまとめる
 
 
 

あらかじめ、今日のブログは個人的な内容になっていることを謝罪しておきたい。いつもより話のトーンが違うこと、ショコラのブログなのにショコラに触れてないこと、そしていつもより長いことを断っておかなければならない。


 悲しいことがあって、ここしばらく、ショコラが楽しくお散歩するブログを書くことが出来なかった。
本当はたぶん書けただろうけれど、いつもの明るいショコラの散歩の内容と今の自分の気持ちがあまりにかけ離れていたので、ここは自分のメンタルを守るためにやめようと思った。
楽しいブログを書くことに罪悪感もあった。
 
 
もちろん、普通に生きていれば気持ちが落ち込むことはいくらでも起きるし、今までだってブルーな気分にどっぷりハマって起きられないと思ったこともあった。でもそういうときだって、ショコラのブログを書きながら、それに触れたり、あるいは触れなかったりしてやり過ごしてきた。
実際、書くことは、「もやもやした感情」を明確化し、整理してすっきりさせることでもある。これは、私だけの話ではなく、ブログを続けてる方もおそらくそうだと思う。
ショコラのことを綴った犬ブログではあるけれど、このような場があることに感謝したい。
 
 
 たぶん、いつもの私だったら、こんな悲しいことをブログでは触れない。
あれから時間をおいたことで、ようやく自分の中の衝撃がいくらか和らぎ、この現実を受け入れられるようになったからだろう。
 だから、今回はそれに触れたいと思う。
 

(弔いの気持ちから、彼が生きた証としてここに記すが、個人的なことでもあるので、飛ばしてもらっても全然いいです)


友達の17歳の息子さんが、先月25日に亡くなったとメールがあった。今月の1日のことだ。
私には2人の子供を持つシングルマザーで、30年近い付き合いがあるベルギー人の女友達がいる。そのメールには、彼女の息子である賢治(ケンジ)君がこの世を去ったこと、そしてその経緯が淡々と書かれていた。ウィットに飛んだ彼女のことだから、これはいつもより酷いジョークかもしれないと思い、食卓についた夫に話してみたら、「ジョークでそんなことを言わないんじゃないかな」と言って真顔になった。
 
 
私が賢治君の母親(友達)と最後に会ったのは2001年で、それからは直接的に会うことがお互いの環境もあって難しくなっていたが、それでも毎年のクリスマスにはプレゼントを贈り合い、お互いの生活に変化があったときには連絡を取り合う、これまでの付き合い方は最初から変わりなくずっと続いていた。
今年はたまたま新型コロナが世界に拡大したこともあって、ウィルスの情報交換や予防法、家族の様子などを2月初旬の頃から毎日のようにメールで話をしていた。
最初は彼女が日本の第一波の感染状況を心配してくれていたのが、途中からヨーロッパの感染が広がり始め、3月には高校生の賢治君が何を食べても味が分からないという無臭のコロナの症状が出たこともタイムリーに聞いていた。
感染の有無は分からなかったが、どうやら賢治君の隣の席の子がイタリアのスキー旅行から風邪を引いて戻ってきたという。私は年齢の若い賢治君より、母親である彼女への感染を心配し、家の中でもマスクするようお願いをしていた。
その後、ヨーロッパはさらに感染が急拡大し、ベルギーも強力なロックダウンを実施した。ステイホームによる感染への精神的な恐怖が一気に高まったが、家族が誰も外出しないことから感染のリスクはだんだん収まってきて、メールの間隔が空き、それから2週間後の5月1日に届いた彼女からのメールで一時的にまた途切れてた。
「令和2年、あけましておめでとう」と書かれたハガキのメールだった。その時のやりとりでは彼女と彼女の家族はみんな元気で、賢治君もコロナの症状からすっかり回復していた。
だから、GWから丁度4か月過ぎた9月1日に届いたメールの内容が私にはどうしても信じられなかった。
 
 

賢治君は8月6日に白血病が見つかり、そこからは辛い化学療法を受けて病気と全力で戦ったが、25日17歳の若さで亡くなったという。
予期しない内容に、どうしても実感が起きなかった。
私は彼には会ったことはなかったが、写真で彼の成長はずっと見てきた。
母親に似た抜けるような真っ白な肌と、父親がアジア人なので親しみのある懐かしい表情が瞳の奥に浮かんでる可愛い子だった。(今でも過去形で書くことに違和感を覚える)
 
会ったことはなくても、賢治君と私はFaceBookでは繋がっていた。だか、何せ彼はフランス語だったので、彼の投稿は何を書いてるのか私にはさっぱりわからず。。
だから、ただ、「いいね!」をするだけで、コメントを書くことは一度もなかった。
今はすっかりお休みしている私のFBだが、その当時に私が写真を投稿すると、当時6歳くらいだった彼がすぐさま「いいね!」をしてくれてた。
ちなみに母親の友達は日本語が堪能で、会話は日本語である。
 
 
きっと、母親の彼女には今後にどこかのタイミングで会うから、いつか彼女の子供たちにも会うだろうとずっと思っていた。
と同時に、英語も片言の私が彼らと何をどう話せばいいのかと躊躇する気持ちにもなった。そんなときに、80代の日本人男性のお友達がブリュッセルにやって来て、賢治君と日本の将棋で対戦して遊んだと聞いた。英語のできない彼らは一体、何語で会話したのかと聞いたら、「将棋は言語がいらない。将棋で会話をするから」と即座に返信がきた。
そうか、将棋で話せばいいのかと思ったが、賢治君は母親に似て頭脳明晰な子だった。
未就学の頃から大人相手にチェス大会に出場し、優勝するような子供時代を過ごしていたのだ。ビギナーの私相手だと、彼との会話は1分も持たないだろう。会う段階になってから心配すれば良い話だったか、それもいらない心配になった。
 
 
 
彼はチェス、中国のチェス、日本の将棋、なんでも強かったという。(過去形で書くことに今も違和感を覚える)
 
 
 
チェス大会で優勝したときのトロフィー。
 
 
 
幼い頃の賢治くんには世界的なゲーマーになるという夢があったが、14歳であきらめたんだとか。
「ゲームの世界を先導する世界的なプロに並ぶためには1日8時間以上ゲームをやらなければならない。ぼくは1日2時間が限界だ。それ以上やるのは全然楽しくない」と母親に言い放ったという。
 
 
 
カトリック式でも葬儀を執り行った。
 
 
 
 
 
 

 




 
 
入院当初はゲームを楽しんでいたそう。
 
 

賢治君が亡くなったことは、お葬式の写真を見て数日経った後もとてもじゃないけど信じられなかったが、ここには出さないがその後に届いた入院中の写真を見たことで、初めて受け入れることになる。それはティーンネイジャーの賢治君の体にたくさんの医療機器が繋がれていた写真だった。



 
 
親より先に子が逝くこともそうだろうし、子供が独り立ちする前に手の届かないところへと旅立たれた親の気持ちは想像を絶する。
母親である彼女の血液型は、出産時にリスクのあるRhマイナスで、それこそ二人目の賢治君を命がけで産んだ。出産直前のメールでは冷静な彼女もさすがにナーバスになっていたほど。
 

秀才な彼女の子供らしく、飛び級するほどの優等生で素直に育ったお姉さん気質の長女と、甘えっこで凝り性で成績優秀、それに小学高学年では2年ほど不登校だったという大物気質の弟、賢治君。
賢治君が、コロナ禍のステイホーム中にPCのコンポーネントを分解してまた夢中でゼロから作って完成させたのが下の写真だ。
 彼はこの装置を「これは僕の子供である」と言って母親に紹介したという。
「だから、私はこの装置のおばあちゃんです」と、友達がメールで言った。どんなときも彼女はウィットを欠かさない。
 
 
 
 
 
この賢治君の部屋は主をなくした部屋ではなくて、彼は今もここで過ごしてるという。自分には霊感がないという彼女の絶対的な霊感を、旅行を通じて私は信じてるので、彼女がそういうなら私は「賢治君はここにいる」と断言する。
 
 
 


賢治くんのキレイな魂が浄化され、
平和で安らかでありますように…。
 

 


 
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皆さんには最後までお付き合いいただきまして
ありがとうございました。
 
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冷静に返信を書く自信がないので、コメ閉じです。すみません。
 

 

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