多くの人に読んでもらいたいし、家族会とかで講演とかされないかな〜と思います。
私も、そこそこ介護苦労しましたが、夫は、暴力で、人に手を出すことは、ありませんでしたから。
でも、怒りぽい所も、あるので、色んなモノを投げつけ、壊す事は、よくありました。
施設に、入所してからは、自宅にいた時の様に、幻覚とケンカして夜中大声も出さなくなり、夜中も、寝られているそうです。
ただ、たまに、パットやフィギュアを窓の外に投げつけています。
それも、どうやら回数が、減っているそうです。
今回の、認定調査で、介護3から介護4になりました。
夫の少し前に、アルツハイマーを患った父は先月亡くなり、父の通った道をなどる様に、夫は、幻覚、徘徊で警察保護数回。失禁へと進行。
幸い、食欲はあるので良いのですが、年末見つかった、 膵臓の良性の腫瘍が 悪化したり癌に進行しないか心配ではあります。
継母と相性が悪く、父とはあまり交流がありませんでしたが、自分の父親を亡くすということは想像以上に精神的に ダメージを受けました。
父親を見送ったら次は夫を見送るばんではないかという気持ちがよぎります。
私はやっと最近夫のことを感謝できるようになりました。
夫がいたから家族会の人との出会い。施設の人との出会い。 そして今の 私の師匠との出会い。
たくさんの出会いを夫が与えてくれました。
岩佐まりさんの講義を聞きに行った時 「私は幸せ 」と断言されていて 私はすごく 感動しました。 でもその時私は私も幸せと言い切る自信はありませんでした。
でも今なら私も言えます 。
「私は幸せ」
四年前に若年性アルツハイマーと 向き合ってとブログで書いていました。
あの時の気持ちをもう1回思い出してコピペします。
2015年06月10日(水)
若年性アルツハイマーと向き合って
テーマ:若年性アルツハイマー
♪口笛ふいて不器用に生きてゆく♪ 夫は若年性アルツハイマー 息子は知的障害 元ニートの日記
夫が若年性アルツハイマーと病院で判明された当初は、夫への怒りが、あまりに大きすぎて、
夫が、かわいそう
とか、悲しいとか考えた事がなかった。
物を大切にしないから(私に八つ当たりして私物を壊したりしていた)天罰くだったと思っていた。
今後の病状悪化した場合と経済的な事とかは、ものすごく不安でしたけど…。
あの頃は失業保険の手続き、自立支援の手続き、認知症相談。施設探しなどで、とにかくバタバタしてました。
『やれる事をやる』
メンタルで学んだから、
必死にやってきました。
思い通りいかなくて障害福祉課で、2回も怒鳴った時も、あったなあ。
自分も家族も不安が大きくて、衝突する事が多かった。
こんな不安定で落ち着かない環境で息子は自動車免許の試験を受けに免許センターに毎週行っていた。
冬の早朝、まだ暗い中、息子を乗せて、免許センターで試験を受ける前の、
ウルトラ教室に送って行った事もあったけ
暗い空が徐々に明るくなっていく…
本当に心に響く風景
『闇が深ければ深いほど、暁が近い』
夫が、教えてくれた言葉。
私達家族も深い闇の中だったのかもしれない
大丈夫
夜明けは来る