小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

談合否定という過てる思想

2020年01月22日 22時01分46秒 | 思想


あるフェイスブック友だちAさんが、今から5年半前の2014年7月にYou Tubeにアップされた藤井聡氏の「土木を語る 第7回」という動画を再現してくれました。
https://www.youtube.com/watch?v=Q_I5fQJOwbA&fbclid=IwAR1NKNS0t1Zsmh-Y6wbbvFYVLkAvoKhGHTb30cP0-ur8Jx1px15-s8NhZGA
第二次安倍内閣官房参与に任命されてまだ1年半ほど経った頃のものです(いまよりだいぶお若いですね・笑)
30分ほどの短い動画ですが、ここで藤井氏はじつに為になる話を語っています。
さっそく筆者もシェアしたのですが、このブログの読者で未見の方がいたらぜひ見てもらいたいと思って本稿で取り上げました。
ここで語られているのは、明治以降の建設業界が、公共調達についての談合や入札を巡って二転三転してきた複雑な歴史の流れです。
Aさんが概要を手際よくまとめているので、それをちょっと無断拝借して補足します。。

明治政府の公共調達が始まる(業者を随意契約によって直接指名)。
このころ役所には土木建設に詳しく設計ができる技術者が直接勤務していたので、それが可能だった。

会計法ができて、一番安く建設する業者を指定すべしと決められる。

民間業者が増えたので、指名競争入札が始まる。

ダンピングが横行し、粗悪な業者の受注が増える。

最低価格制度ができる(インフラの特殊性にかんがみ、勅令で、杓子定規な会計法の例外を認める)。

談合が始まる。数社で順繰りに受注するルール。

談合の際に際限のない受注額つり上げを防止するために、政府は発注額の見積もりを自前で作ってそれを大幅に超えた入札結果については発注しないことを法で定める。
政府部内に優秀な技術者がいたから、それが可能だった。

談合に裏切者が現れて共謀して約束を破る(X社が100万円で受注できる約束だったのに、Y社、Z社……などが、99万円や98万円で入札)。

談合屋(反社会勢力)が企業に雇われ、他社を脅迫し、一時的に談合の秩序が保たれる。

談合屋が調子に乗って超高額の手数料を要求。
100万円で受注した公共調達が、実質50万円の建設費しか投資できず、粗悪なインフラしかできなくなる。

政府の監査付きの業界組合が出来て反社会的勢力を締め出す。
同時に、サービスの品格・雇用安定の仕組みが出来る。
つまり政府と組合との間の協同のおかげで、価格の上限と下限についての適切な幅が決められる。

大東亜戦争に敗北。

GHQ「談合なんて古臭い仕組みあかん! ちゃんと一般競争入札やるのが公正なんや!」。
独禁法が制定され、公取委発足(1947年)。

明治初期に逆戻り。

明治初期からと概ね同じサイクルにのり、今度は談合屋の代わりに政治家・族議員が談合を仕切る。

「いい談合」と「悪い談合」の区別を政府のガイドラインによって決める(1984年)。
これは、独禁法の内部に「いい談合OK」としてちゃんと位置付けられていた。

ところが90年ごろからアメリカの圧力が強まり、日米構造協議で独禁法が強化され、会計法に従った一般競争入札を強いられる。

またダンピングが横行し、弱い業者はどんどん潰れていく。
地方の中堅業者も受注できなくなり、大手ゼネコンの寡占状態に。

そこへ、東日本大震災で、供給不足が一気に露呈。

以上が明治以来、国情に合わせて苦労して作り上げた日本のインフラ整備のシステムが、アメリカン・グローバリズムによって二度も壊されていく過程です。
藤井氏は、いまの日本のインフラ未整備、劣化修復の困難の原因は、財務省の公共事業削減ももちろん重要だが、見落としてはならないのは談合を単純に悪と決めつけるアメリカ式の考え方が大きいと説いています。

筆者は昔から、なぜ談合はいけないのかという疑問を持っていました。
そこには、日本的な話し合いや共存や相互扶助の原理がうまく働いているのではないか、と。
このたび、藤井氏の話を聞いて、「いい談合」であればまったく問題ないことが確信できました。

もう一つ疑問に思っていたのは、東日本大震災の復旧、復興がなぜこんなに時間がかかるのかという点でした。
技術力も資金力も今よりはるかに劣っていたはずの関東大震災のほうが、復旧・復興が早かったのではないか。
ある知識人の集まる会合でこの疑問を口にしたら、誰も明快に答えられなかったのを覚えています。

今回この動画を見て、事情をよく知った地元の中堅業者が「談合禁止」という新自由主義的な圧力のために、分業と協力の体制を作り上げることが難しかったのではないかという感想を持ちました。
もし「談合禁止」の圧力がここまで高まっていなかったら、地元の業者はそれぞれの得意技を分け持ちながら、すり合わせを繰り返すことで、迅速に協力体制の達成に至ったのではないか。

得意技といえば、2017年のリニア新幹線談合事件で、大手四社が東京地検特捜部に摘発されました。
しかしこれだけのビッグプロジェクトで、それぞれの企業が自分の得意技を活かす必要から、受注調整のための相談をするのは当然でしょう。
しかもリニア新幹線プロジェクトの事業主体は、国から財政投融資を受けているとはいえ、JRという民間企業です。
違法性は限りなくゼロに近いというべきです。
東京地検特捜部には当然公取委が肩入れしているでしょうし、そのバックにはアメリカの自由競争至上主義が何らかの形でかかわっていると推定されます。
もちろん証拠をつかんでいるわけではないので、アメリカが日本の最先端技術を牽制するために、意識的に関与したとまでは言いません。
ただ、思想的なレベルで、戦後ずっとアメリカが押し付けてきた「談合否定」の考え方に、公取委や東京地検特捜部が洗脳されていたとまでは言えるでしょう。

藤井氏の話は応用が可能です。
終身雇用の否定、非正規社員の増加、シェアエコ、ギグエコ、ひとり親方などに見られる、企業組織から個人事業へという近年の傾向は、まさに圧倒的多数をバラバラな個人へと解体して窮乏と不安定に追い込み、元締めである少数の勝ち組だけを利する流れになっています。
談合否定という考え方は、この新自由主義的な流れと軌を一にするものでしょう。

「自由」を倫理的価値として絶対視し、長い慣習によって培われてきた「まとまり」の感覚を否定するこの流れは、その美名のもとに、じつは日本独特の資本主義的発展のあり方を阻害する以外の何ものでもありません。
始末に悪いのは、こうした組織解体の流れが、主観的には、「自由な個人選択」によるものだという幻想に支配されていることです。
多くの若者が、近年の雇用形態の変質を、経済主権を握った少数者による社会構造の変質と見ずに、「自由でよい」ものだと思っています。月収15万円しか稼げないのに。

アメリカの現実事情は地域や民族によって複雑で、よくわからないところがありますが、企業はそんなに自由競争を至上のものとするイデオロギーに毒されているのでしょうか。
一般競争入札がそんなに徹底されているのでしょうか。
もしそうだとすれば、アメリカの超格差社会は、このイデオロギーによってこそ作りだされているという論理が成り立ちそうに思えます。
私たちは、もういいかげんにいわゆるアメリカ的なものの考え方、個の自由を至上のものとする極端な考え方から脱却し、まだ残されている日本的な価値観を見直すべきではないでしょうか。


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2 コメント

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何だか色々興醒めです (髙木四郎)
2020-01-24 00:59:37
小生に関していえば、藤井先生のそのお話は、大分と前に読みました。成程至極で、卑賎の小生に賛意以外の何物もあるべくもなく。

我が国は、その卓見を、「アメリカ的価値観」のアンチテーゼとしてではなく、「普遍的価値観」として、全世界に発信すべきであったと思います。実際バブル期当時、そういう見解もあったに記憶しています。

しかし、それは仕切れなかった。

その一つの原因は、戦前からの昭和の「保守」と、戦後育ってきた今の「ホシュ」との間に、大きな断裂があるからに他ならないのではないかと思えてならず、小生は、それが今の危機の要ではないかと思え、本当に泣きたい気分です。

例えばです。保守、って、福祉が嫌いなのでしょうか。

『チャンネル桜』においても、年配の方々から、信じられないコメントが続出しています。

以下、小生の心に残った発言ですので、詳細は二の次です。しかし、絶対に間違ってない筈と確信しています。

年収が二百万だろうが、結婚したって、腹を決めて上手くやっていく。by宮崎氏

消費税が10%なんて全然問題ない。by高山氏

高齢者の勤労隊を組織する。by水島氏

若年のニートや高齢者の不労世代を働かせる。by水島氏

これらの発言は、社会科学(人間疎外)を少しでも会得した人間からならば、絶対に出てこないセリフです。ハッキリ言って、正気の沙汰ではない。常軌を逸しています。いかにインターネットだからと言って、言っていいことと、悪いことがあります。

こういう発言のどこに、「日本的価値観」があるのでしょうか。単に「弱肉強食」そのものじゃないですか。

日本は、「家族」を大切にする国柄じゃなかったんでしょうか。若い衆、お年寄りが、本当に困窮している時に、もう、これ以上は、戦ったら壊れてしまうと言っている最中に、あくまで、空々しい涙を流してでも、「自己責任」を放言する神経に、小生は、心底呆れます。

そんなんだから、日本は壊れたのでは。

アメリカに負けたのではない。日本は、自らの中にある、「戦後右翼的アメリカ精神」に負けたのである、と、私は言いたいです。
追伸 (髙木四郎)
2020-01-30 06:35:23
小生は、40代の後半に当り、昭和的価値観の中で育ちつつも、実際に戦ってきた舞台は平成の世であった世代です。

従って、今や段々長老的存在になりつつある比較的ご年配の戦後「ホシュ派」の根性論は、分らなくもないというか、寧ろ非常にしっくり肌に馴染むものでもあります。私も「根性論」で育てられ、それを実践してここまで来ましたから。

しかし、現実に下の「平成世代」の苦境を知るにつけ、最初は、昭和的根性論(「今の若者は、とか、鍛えられてない、とか」)で一蹴していたものの、どうもそれだけでは、説明できないというか、話にならないと、ひしひしと感じるようになりました。

就職氷河期も、若者の意気の阻喪も、私的空間に閉じ籠り他を顧みない風潮も、果して彼らのみの責任だろうかと、私は思わざるを得なかったのです。

一言でいえば、それらは大体皆、我々上の世代が、彼らに十字架を負わせた結果でなかったかと、段々責任を痛感するようになったのです。

最近、改めて、山崎豊子女史の小説を読むようになりました。『大地の子』は、屈指の名作でしたが、『不毛地帯』を最近は読んでいます。

これは戦後史を考えるには、誠に意義ある小説だと小生には感じられており、戦中の日本人の大変な辛苦と、戦後に何としてでも「日本を取り戻すんだ」と考えて、本気で実践した経済人の数々を群像のように描いています。

そして確かに、魂を消尽しつくすほどの滅私奉公の甲斐あって、経済的には、日本は見事な復興を遂げます。しかし、さすが山崎女史。会社・仕事に全てを捧げて「父親不在」になる各家庭の、「教育不在」による「崩壊」を見事に描いています。

過ぎたるは猶及ばざるが如し。戦後の経済復興に賭けた日本人の陥穽を、見事に突いています。

私は、靖国神社に参拝する度に、勿論、選んで掲載しているのでしょうが、戦地で散っていった英霊のお手紙を拝見し、戦前家庭の、見事なまでの団欒的家族愛を感じています。

私は、戦前は戦後よりもっと厳しい時代だったのだから、家族的団欒など、一切なかった過酷な時代だったんだろうと、勝手に想像して、そういうのが余り無かった我が家を基準にして、そう想像していました。

しかし、靖国神社に掲載されているお手紙からは、私の想定を亡き者にする、家族愛、団欒さえ基にした、私には到底信じ難い家族愛の心情が切々と綴られたものばかりでした。

私には、両親は、祖父母は、私の思いなど、丸で等閑視して、滅私奉公で働き続ける姿しか映っておりませんでしたので、何か異世界に入り込んだかのように思えて、正直、英霊方には申し訳ないことながら、強い違和感を覚えずにはいられませんでした。

勿論、こういう「戦後経済人」の滅私奉公を、小生は全然否定する気にはなれません。あの後期昭和時代、それは、致し方なかったのだと、観念しています。日本は、戦後も、大変な犠牲を払ったのです。

すると、最近の「ホシュ派言論人」の一種独善的な根性論も、その「滅私奉公論」の影を見て、どうにも不安に感じられてならないのです。このままでは、「世代の断裂」を生んでしまうのではないか。戦後日本の陥穽を、そのまま踏襲してしまうのではないか。

私はズバリ、そういうご年配の「ホシュ派」の退行的反応は、中野剛志氏の言う、「センメルヴェイシャ反射」ではないかと憂慮するものです。

飽くまで、「安倍総理への期待」を捨て切れない、隠し切れない彼らを見ていると、例えば、れいわ新選組への一定の期待感を表明する人などへの、病的というか、恫喝的反射反応を見ていると、そう思えてならないのです。

保守派が分裂している猶予は、今の日本にはないと思います。小浜先生は、冷静的思慮をもってこの事態を見ておられるのではないかと感じられましたので、何卒ご見解を伺いたく思いまして、コメント差上げました。ご寛恕下さいますよう、よろしくお願い申上げます。

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