つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

monotone Journey 4.~LOST WORLD~

2019年02月18日 11時07分41秒 | 白と黒の旅
世界は様々な色に溢れていて、沢山の楽しみを与えてくれる。
しかし、目に映る彩(いろどり)を無くすと「想い描く色」が豊かになる。
階調の数が減る事で奥行きが生まれ、違う何かが見える気がする。

散歩中や旅先で撮影した画像を白黒に加工し、思考の旅に出かける試み。
不定期連載「monotone Journey」第四篇。


拙ブログに度々登場する「津幡城址」。
かつて津幡宿があった旧北陸道を見下ろす小高い丘陵地「大西山」にある。
津幡城の始まりは、源平合戦・倶利伽羅峠の一戦を前に平家軍が築いた砦とか。
その後、戦国武将「上杉謙信」が陣を張り、加賀藩祖「前田家」が支配し、
「佐々成政」が軍議を開いたという。
それらの遺構・形跡が残っていれば貴重な史料になっただろうが、
津幡小学校旧校舎建築の際、殆どが失われた。
今は、物言わぬ石碑が建つのみ。


地場資本の家具店「KAGUYA」が営業していたのは、20年近く前になるだろうか。
個人的には、CDラックと椅子を購入した事がある。
「寺本家具」の工場が隣接しているから、そこが経営母体と思われるが、
今は、どちらも幕を引いた。


かつて「スペースつばた」というスーパー銭湯があった。
ここも無くなって20年は経つ。
今は駐車所案内看板が残るのみ。
往時は賑わったであろう場所は資材置き場へ転用され、訪れる人影はない。


崩れかけたとある民家の板壁。
建っているのが不思議なくらいの破損度合だ。
今は人の気配はなく、物音一つ聞こえない。

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