つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

青い瞳と閉じた瞼。

2019年02月16日 21時43分22秒 | 追悼。
本日と明日(19年2月16日/17日)、津幡町文化会館・シグナスにて、
「青い目の人形展とおはなし会」が開催されている。


『津幡町の「青い目の人形」
  平成元年、町立実生(みおい)保育園で毎年三月の桃の節句に
 ひな人形と一緒に飾られている古い人形が、
 昭和二年に日米の友好親善の願いを込めて
 アメリカから日本の子ども達に贈られた「青い目の人形」のうちの
 一体であり、名前も「ジェーン・オルフ」であることが分かった。
  以降、園ではこの人形を園児に語り、歴史の証人として大切に
 保管していた。実生保育園は大正十一年に創立された
 津幡町で最も歴史ある保育園で、設立発起人の一人、
 岩井壬生(いわいみぶ)さんの曾孫である同町清水、
 岩井嘉樹(いわいよしき)さんが幼い時母親から聞いた話を
 覚えていたことからこの人形の由来が判明した。
  戦争中、ひそかに創立者の岩井家で保管したらしい。
 いつごろ保育園に戻ったのだろうか。
  保育園が民営化し、人形は町の指定文化財となったが、
 人形の来歴はまだ定かではない。』
(※展示パネル説明文より引用、原文ママ)

当時、平和の大使として大歓迎をうけたセルロイド製の人形たち。
石川県には205体が寄贈されたが、
今は、輪島市、白山市、そして津幡町に3体が現存するのみ。
日米開戦によって、その多くが処分されてしまったという。

明日(2月17日)13時半からの「おはなし会」では、
「ジェーン・オルフ」の数奇な運命を綴った絵本が紹介される。
興味があり、都合の許す方は「シグナス」へ足を運んでみては如何だろうか。
残念ながら、僕はお邪魔できない。
通夜葬儀が控えている。

今朝、祖母が亡くなった。
老衰である。
生まれは大正三年。
数え年105歳の大往生。
「ジェーン・オルフ」より長い時間を生きた彼女の瞼は、二度と開かない。

万感を込めて。
「さようなら」。

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2 コメント

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Unknown (みるめる)
2019-02-19 22:53:06
お悔やみ申し上げます。17日のおはなし会に参加しました。その際、岩井さんのご子孫から、ジェーンが保育園に戻ったと思われるときの話が披露されました。昭和28年に、当時の幼稚園(保育園)が建て替えられた際、ご子孫のご祖父が、幼稚園に日本人形を寄付され、そのときに、蔵で保管していたジェーンをそっと紛れこませて返却したのではないか、というお話でした。ご子孫はその話の裏付けとして、昭和28年頃に在園した卒園生に話を聞いたところ、その頃にジェーンを園で見た、という証言を得た話も披露されました。
みるめる様へ。 (りくすけ)
2019-02-21 23:28:28
コメントありがとうございます。
また、お心遣い痛み入ります。
おはなし会、行きたかったのですが致し方ありません。人の情けが人形を救い、今に伝えられたお陰で、青い瞳が見つめてきた歴史を窺うことができる・・・。貴重な話ですね。羨ましいなぁ~。またの機会を切望します。

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