その1で萌え点付きの泥吐弁の蓋が目的でしたと書きましたがもう一つがこれでした。
「芝區」(~昭和22年)の境界石。
少し見えにくいですがこちらもそうでしょう。
港区立高輪台小学校の敷地周りにありました。昭和10年開校だそうですので当時は芝区の管理値だったということなのでしょう。
ここへ来る途中で見たこの石ももしかしたら「芝區」と書いてあったのかもしれません。
坂の途中の雨水枡の古そうな蓋
わしゃわしゃとした電線が空を覆う街の建物。
右書きで「高輪消防署」渋いです。
「用心」
繋ぎにくそうな送水口
独特の文字の東京電力株式会社送水口。と、消防つながり。
194.0M先にはいったい何があるのでしょうか?
あ、右書き量水器が。 (というのは嘘です。
片手袋と日陰に浮かぶ「空」の文字。
測量関係のあれこれ。「港区 基準鋲」「港区 BM」「東京都 水準基標」
散歩仲間
レアというほどではないですがいい量水器と制水弇。
現役でしょうか? 特製井戸ポンプ。
芝区の痕跡がここにも。「芝區高輪南町」
立派な洋館です。医院とか旅館ではなく老舗の洋食レストランのオーナーさんのお宅のようです。
木製角材についた街路灯もレトロ。
高輪南町という町名は港区になっても引き継がれているのですね。電柱の「毛利支」。高輪は毛利氏ゆかりの地らしいです。こういう歴史には疎いのですが詳しく調べると楽しいかも。
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