小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

税の恩恵?

2018年10月02日 23時17分21秒 | 思想



中学生の『税についての作文』」というのがあるのを、寡聞にして初めて知りました。
国税庁と全国納税貯蓄連合会が主催しています。
平成29年度ですでに51回を迎えており、全国から61万編もの作品が集まったそうです。
平成29年度の受賞者がすでに決定しています。
その内閣総理大臣賞に選ばれた作品の一部をご紹介しましょう。

【題名】私の使命
【学校名・学年】************
【氏名】*****
 「消費税がなかったら、もっと買い物ができたのにね。平成三十一年から、消費税が十パーセントに上がるんだって。嫌だね。」と、料理をしている母に話しかけていたら、「何を言っているの。■ちゃんが唯一払っている税金でしょ。ちょっとくらい、社会の役に立つことをしてもいいんじゃない。」と、逆に母に言い返されてしまいました。母だって、「思ったよりも住民税が引かれているのね。」なんて、愚痴を言ったりするのに。
 でも、我が家にとって税金は、「感謝」の一言でしかありません。もし、なかったら…。考えるだけでも恐ろしくなります。
 それは、八年前のことです。私の弟は難病にかかり、救急車で病院に搬送されるとすぐに、CT、MRIなどの検査や手術が行われました。それからというもの、弟は点滴での投薬や放射線治療、再び何回もの手術や移植など、長い闘病生活のスタートとともにあらゆる治療が必要になりました。
 突然の入院でパニックになっていた母に、主治医の先生は優しく、病状や治療の説明と同時に、弟のような難病を抱えた小児のための慢性特定疾病医療給付制度の申請手続きを、すぐにするよう勧めて下さったそうです。弟には高度な最先端の医療が必要でした。しかし、その検査や治療の一つひとつに、数十万から数百万円の費用がかかるのです。
(中略)
 残念ながら、弟は一年半前に息を引きとりました。しかし、最期まで、悔いなく最善の治療を受け、家族とかけがえのない日々を過ごせたのは、紛れもなく税金からなるこのような給付制度があったからに他なりません。
(中略)
 今の私には、何が出来るでしょうか。おそらく多くの方々が、税金を納めることは支出となり、マイナスのイメージを持っていることでしょう。しかし、素晴らしい恩恵を受けた私達家族のような人間が、税金が心も身体も救う、プラスになる、ということをイメージではなく、事実として根気強く伝え続けていくことが使命だと思います。


やらせじゃねえの、マジかよと言いたくなりますね。
この企画自体がやらせそのものと言ってもいい欺瞞極まるものですが、しかし60万人もの応募があったことに嘘はないのでしょう。
それにしてもねえ。
消費増税をこんな美談の形で正当化するとは、国税庁をはじめとした企画者を許せない気がします。
もっともこの中学生に罪はありません。
しかし、結局この弟は高額医療のための助成金を受けながら、亡くなってしまったんでしょう。
それなのに、「(税金の)素晴らしい恩恵を受けた私たち家族」とは、日本人て、なんて人がいいんだろうと、いまさらながら思います。
消費増税に対する反対運動が(野党からすら)さっぱり起きないのも、むべなるかな、と思います。
ため息しか出てきません。

しかし物事の原則だけははっきりさせておきましょう。

国税庁が国民から徴収した税収は、そのまま財務省の裁量の下へ。
各省の概算要求を受けた財務省が、お財布の中身を見ながら、とことん切り詰めます。
当たり前ですね。
さてその中で厚労省の取り分が決まり、社会保障費に充てられるわけです。
ここで大事なのは、小児慢性特定疾病医療費助成制度(2017年1月施行)のような社会保障制度が存在することと、税一般が徴収されることそのものとの間には、何の直接的な関係もないということです。
なぜなら、第一に、税はまず一つの財布に収まり、それを何にいくら使うかは、政府が決めることであって、ある制度のためにどれくらい使われるかどうかは、一般国民が決定したり確認したりできる範囲にはないからです。

また、この制度がある個人に適用されるかどうかは、申請された書類が、管轄部門によって審査されて、適用に値すると認定されるかどうかにかかっています。

さらに、一般国民が納税するのは、べつに特定の制度が適用されることを目指してのことではありません。
納税の義務が憲法で定められているので、義務を怠れば公共の福祉に反する振舞いとして罰せられるからです。
まあ、多少の公共心の持ち合わせが、税収の確保に貢献しているかもしれません。
とはいえ喜んで納税する国民など1%もいるかどうか。
もしみんなが喜んで納税するなら、税理士も節税対策もこの世に存在する必要がないことになります。
その公共心にしても、ごく抽象的、一般的なものです。
何かの具体的な制度の運用を目指して納税するわけではありません。
ほとんどの国民は、こんな制度があることすら知らないでしょう。

以上の理由からして、私たちには、「税による恩恵」などという概念を抱くいわれはまったくありません。
作文中にある「税金からなるこのような給付制度」という言い方は間違いです。
税金が給付制度を作っているわけではありません。
また、弟が亡くなってしまったのに「素晴らしい恩恵」を感じるのはこの人たちの自由ですが、その感謝の念を「税金」に向けるのも、「国民」に向けるのもお門違いです。
どうしても感謝したいなら、制度を紹介してくれたお医者さんにだけするべきでしょう。

私たち国民がしなければならないのは、現在の税制が一般国民の福利にとって適切なものであるかどうか、消費増税のような措置が、国民に害を与えないかどうか(大いに与えるのですが)、毎年の予算配分や財政政策が国民経済に豊かさとゆとりをもたらすものであるかどうか、などに対して、監視と批判を怠らないことです。
こんな「お上」が仕組んだトリックに引っかかって、それに迎合することではありません。
繰り返しますが、この作文を書いた中学生やその母親には、何の罪もありません。
彼らは騙されているだけだからです。
彼らは国家的詐欺の単なる被害者なのです。

しかし、こうした詐欺にたやすく引っかかってしまう日本人の国民性に対して、警鐘を打ち鳴らさずにはおれません。
福沢諭吉は、いまから百四十年も前に、次のように書いています。
福沢にしては珍しく、国民に広がる卑屈な心情を直接、痛烈に批判したくだりです。

ためしに今人民が官費の出納につきて用うるところの言語文書を見るに、拝借を願い奉るといい、下したまわりてありがたき仕合せと称し、今日人民より政府に納めたるその金を、その封のままにして、明日政府よりこれを人民に貸し、またはこれを与うれば、すなわちこれに拝借下賜の名目を付くるは何ぞや。その金の正味に相違なしといえども、政府の官員の手を経てこれを清めたるものと認むるがゆえなるか。》(『民間経済録』)

この卑屈な心情と、税金でこうしてくれたから無条件に税をありがたがる、というのとは、同じではありませんか
百四十年経った今でも、変わっていないのではありませんか。
ここには、税金が公金としてどのように使われているのかとか、増税は本当に必要なのかなど、疑問や批判を抱こうとする、健全な民主主義的発想がまるでありません。
政府(財務省)も、そういう日本人の伝統的な心性、つまり民度のあり方が直感的にわかっているので、財政破綻論のデマを流し続けたり、納税の大切さを一般民衆自らに語らせるトリック(それも子どもを利用して!)などを用いて、簡単に国民をだませると踏んでいるのです(事実、この詐欺は成功を収めてきました)。

筆者も、国民一般に批判の矢を向けたくないのは、福沢と同じです。
しかし消費増税をほとんどの国民が既定路線として認めてしまっているそのふがいなさに対して、どうしてもひとこと言っておきたくなったのです。
なぜなら、いまからでも増税を凍結することは不可能ではないからです。


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6 コメント

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日本人の道徳訓 (デオキシリボ核)
2018-10-03 22:58:52
私この作文の存在、以前より知っていました。というのも、父が死去したのち、相続の関係で地元の税務署へ訪れる機会があったからです。

子供を洗脳して、増税の地ならしに使うなんて、何て噴飯物かと、小生も怒り心頭でしたが、相続という或る種、神聖なことでここに来ているのに、揉め事を起せば(揉め事は本当は税務署が起しているのですが)、父に申し訳ないような気がして、その場では何も言わずに辞去しました。

思うに、こういう目晦ましに日本人が容易く引っ掛かって、増税やむなしと考えてしまう性質があるのは、「善意が(必ず)善行を生み、良い結果を生じる」という、日本人の「物語」が原因ではないかと、小生としては思っています。

「正直爺さんが、当初はそれにより酷い目にあっても、結局善行となって、良い目にあい、めでたしめでたしで終る」という昔話や教訓話がやたらに多いのは、それが日本人の牢固とした「物語」であることの何よりの証左だと思います。

ところが一方で西洋では、ギリシャ劇を観てもシェークスピアを観ても、「しばしば善意善行が、思いも寄らぬ悪い結果を生んでしまう」というモチーフのオンパレードです。巷間言う、「善意に依って敷き詰められた舗道は、地獄へと続いている」そのものです。

例えばケインズ経済学における「合成の誤謬」も、この「善意善行は却って地獄への道」というモチーフそのものなので、どうしても日本社会に膾炙しにくいのかなと考えてしまいます。だから、「増税して痛みに耐えると、良いことが待っている」、と普通の日本人は考えてしまうのだろうと。

まさしく、「贅沢は敵だ」、「欲しがりません、勝つまでは」、そのものです。災害などが起きると、やたら自粛を強要する人々が出てくるのも、その段でしょう。

勿論、歴史の長い日本社会の深層には、こういう西洋型?の「善意善行が却って悪い結果を招く」というモチーフが裏では存在します。

それが「怪談」なんだろうと思います。雪女の話や、浦島太郎の昔話(小生には、これが怪談話に聞えます)は、「善意善行が却って悪い結果に」なるという筋ですからね。

でも、それは決して表の訓話ではない。正にだからこそ、「怪談」なのです。

だからこういう単純な日本人の道徳訓を修正するには、税の「怪談」でもこさえて、それを流布した方が、話は早いのではないかと思ってみたりします。「ミダス王の黄金の手」なんて、正しくその手の話ですしね。そんな話、作ってみようかしら(笑)

福澤諭吉先生が、しばしば皮肉を込めて世の日本人に、先生ご指摘のような警句を与えているのは、『学問のすゝめ』でも読みました。前も小生述べたとおり、日本人の精神性にも、強靭性、レジリエンスが、やっぱり必要なようです。


追伸

泊原発に係る記事では、平素の孤立無援のせいもあってか、つい先生にコメントをお願いしてしまいましたが、此処は先生のブログですので、コメントは先生の随意であること、良く良く理解しております。失礼をお詫び致します。
Unknown (元中学生)
2018-10-03 23:26:16
「税についての作文」懐かしいですね。私のときは中学3年生の夏休み、国語の宿題として出された記憶があります。当時の国語教師の言い方が強制ではないがみんな書いてくるように。とのことでしたが今思うと学校側に沢山応募するように財務省サイドから圧力があったのでしょうか。

どうせならと反増税の立場から力を入れて書きましたが当然ながら選ばれませんでした(笑)優秀な学生ほど税に肯定的な意見を書けば入選すると分かっているので今回取り上げられたような作品が生まれるのでしょうね。

なんとも悪質な財務省の手口ですがこれが利いてるのも事実です。もっと小浜さんを初め、三橋さんや藤井さん中野さんの言論が広まるようになってほしいと思います。
通販がメジャーになるのも時間の問題だったと思います (雑貨、アパレルと小物激安仕入れ卸問屋専門)
2018-10-10 09:43:42
LOUIS VUITTONの商品をプロパーの値段で購入すると、どうしてもお財布に優しくないため、ルイヴィトンを扱う通販がメジャーになるのも時間の問題だったと思います。
www.zakka.net/syaromu/
LOUIS VUITTONの商品をプロパーの値段で購入すると (雑貨、アパレルと小物激安仕入れ卸問屋専門)
2018-10-10 09:47:26
LOUIS VUITTONの商品をプロパーの値段で購入すると、どうしてもお財布に優しくないため、ルイヴィトンを扱う通販がメジャーになるのも時間の問題だったと思います。
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Unknown (紳士ハム太郎)
2018-10-22 02:19:41
本当のことを言うと、権力の主体性に正当性が無いので徴税権はないです。
民主主義の根幹は選挙制度と一般に公正妥当な情報の存在ですが、
外観的な選挙制度の信頼性と一般に公正妥当な真実の情報の存在すら無く、
権力の主体は当然に無効・不存在です。
Unknown (紳士ハム太郎)
2018-10-22 02:24:53
そのことを知ってから知らずか某国の企業・人は消費税を払わないときがよくあります

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