「メディア権力からこの国を守る」 LGBT差別に隠れた在京メディアの日本人差別 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立


「メディア権力からこの国を守る」
LGBT差別に隠れた在京メディアの日本人差別とセクハラもみ消し



■LGBTに対する、特に職場での差別はあってはならないが
   

(2018年 8月3日 朝日新聞より) 


 LGBT、特に性同一性障害の皆さんが、特に職場において、差別を受けない社会、つまり欧米のような多様性を認める社会になっていくのは理想的な方向性である。

 今の時代、世田谷区議会議員の上川あやさんのように性同一性障害で苦しんでいる方々は多くいて、戦後メディアによって道徳が排斥されて、かつ閉鎖的な「村社会」の日本にあっては職場での差別や偏見があるのは想像にかたくないし、無論、IKKOさんやクリス松村さんのように経済的に大成している同性愛者の方々も含めて、そのような生き方を大きく許容し、LGBTの方々が差別なく、順風満帆な人生を送っていける社会を築き、かつ文化人としての活動を支援していく社会であることが第一義であることは疑いの余地はない。
 そもそもが私は美輪明宏さんのファンであるし、カルーセル麻紀さんも日本の映画史、テレビ史を彩ってきた大変好きな女優である。
 そもそも杉田水脈議員は、「くたばれ、レッズ」とツイートした時の上西小百合議員のように性同一性障害で苦しんでいる方々の社会的なイッシュー(問題)の深刻さそのものを何も知らないのであって、差別というよりは見識が足りなかったという話である。
 なにしろ先の朝日新聞が騒いでいたMeToo騒動では、杉田水脈さんはセクハラされる側の女性なのだから。
 ただ、同じ同性愛者であっても、レイザーラモンHGのように叩かれる人もいて、無論、彼は同性愛者ではないのだが、当時は同性愛者であると思われていて、美輪明宏さんの苦言を呈しているように、自らをオカマとして蔑んだり、蔑まれるような同性愛者のタレントさんがいるのも事実である。
 つまり同じ同性愛者であっても、日本の場合は特に個人差が激し過ぎるのである。

 たとえば、「行列ができる法律相談事務所」で、島田紳助さんがクリス松村さんに対して「お願いだから死んでくれ」と言っても、差別とはならず笑いになるように、IKKOさんや「ひげガール」の人たちのようにいじられることやなじられることを前提としている人たちもいれば、一般の性同一性障害で苦しんでいる方々は深刻であり、とんねるずの番組で昔は全く問題にならなかった保毛尾田保毛男が、今は大問題となるのである。

 まして政治家であるなら、テレビでなじられてそれを生業(なりわい)としている同性愛のタレントさんよりも、性同一性障害で苦しんでいる一般国民の方を向いて仕事をしなければならないのは至極当然である。
 私は言論の自由は尊重されるべきであるが、杉田水脈議員は「生産性がない」という部分を撤回すべきであると思う。
 無論、LGBTの方々が欧米とは違って、差別やいじめに遭ったりするのは、偽善的に「差別反対」を声高に叫ぶ日本のメディアと知識人が戦後70年に渡って社会道徳を排斥してきたためであるが・・・。


■「差別=非道徳」であると認めない、「1+1=2」の理性すらない在京メディア

 朝日新聞を始めとする在京メディアが「差別」と言って騒いでも、その表現だけを以て摘発、逮捕・送検されることはなく、つまり完全に「道徳の範ちゅう」である。
 このような法で裁かれない問題が、道徳の範ちゅうであることくらいは高校の政経の参考書にすら書かれているようなことである。
 杉田議員の表現が社会や他者への配慮を欠いていてることは当然非道徳なことであり、つまり「差別的な表現=非道徳な表現」である。
 そして、それら在京メディアは戦後70年に渡って「法がすべて」として、道徳を排斥してきたのであるから、自分たちの言ってきたことと完全に矛盾する。
 つまり、いきなり「この問題については道徳が重要だ」とこう言うのである。
 「社会道徳を尊重する必要は全くないが、朝日新聞が言う道徳だけには絶対服従しろ」と、こう言うのである。
 でも、「児童虐待をしない」など、他の道徳は一切彼らは認めないのである。
 「乳幼児やこどもは反対デモができないが、女性やLGBTは反対デモができるから」と利用・煽動しやすいということなのである。 

 つまり一体どちらがナチスか? 
 現に池上彰は平成2年の1,100件から今日の12万件にまで激増した児童虐待のグラフを見ても尚、平成2年当時は児童虐待という概念がなかったからという詭弁を吐いて、番組として「児童虐待は大した問題ではない」としている。
 そもそも差別と区別の線引きは難しく、誰がどういう権力を持ってやるのか。
 現に男性が女性車両に乗れないことは男性差別であるとして問題になっている。
 つまり道徳なく、哲学のない左翼メディアが差別や人権を声高に叫ぶことは、社会に争いや闘争を永遠に生み出し続けることに他ならない。

 LGBTの方々は道徳的に守られればいいだけの話であって、日本には不必要な左翼メディアまでもが、この問題を利用して、個人を糾弾したり、社会の対立を煽ったり、人権主義を押しつけたりして、自己正当化する必要などないのであるから。


 また、いじめに至っては明確にいじめられる属性が判別できないため、差別の概念が通用しなくなる。
 だからと言って「差別よりは問題ない」ということは全くなく、シカトやSNS上の悪口など、事実上「その人だけの差別」、「個人差別」であって、そのようなミクロの差別がメディアに取り上げられることは一切ない(だが、いじめ自殺増加の第一要因である学生のSNSの使用を規制すべきであると私は思う)。

 もちろん私はかつてのヘイトスピーチの問題に対しても、「それは彼らの道徳の問題であるから、保守系の人たちに道徳を説けばヘイトスピーチはなくなる」という投書をしたが、朝日新聞に完全に無視されている。

 つまり道徳のない保守系の人たちがヘイトスピーチや差別的な発言をしてくれた方が、彼らは飯が食えるわけである。
 だからそのようなことをする保守系の人たちは、メディアにとっては完全に思うツボなのである。
 つまり差別がなくなれば彼らは飯が食えなくなる。
 さもなければ、「差別をする保守の人たちに道徳が必要である」という声に耳を傾けるはずである。

 私は道徳的ではない杉田水脈議員を弁護するつもりは一切なく、自分を国会議員の道に就かせてくれた橋下徹氏には配慮すべきであったし、また、「生産性がない」とする表現を道徳的だとは全く思っていない。

 ただ、これが「子どもが産まれない」という観点で述べたというのであれば、それは事実である。
 しかし、同性愛者ではない女性であっても、たとえば団塊ジュニア世代の女性は、大半の人が子どもを産んでいないので、「同性愛者でなくとも生産性がない」ということになる。

 また、「くたばれ、レッズ」とツイートした上西小百合氏と同様、杉田議員が女性であることを以て非道徳的な言論に及んでいるとしたら、それは戦後からずって道徳を排して、塩村文夏都議を祭り上げた時のように、声高に行き過ぎた女性の権利を叫び、豊田真由子元議員や不倫・ガソリン代問題の山尾志桜里議員も含めて、彼女たち女性の非道徳さを顧みなかった朝日新聞を始めとする在京メディアの非であろう。




■杉田水脈議員を糾弾して、塩村文夏都議を祭り上げる偏向在京メディア

 (2018年 7月24日 朝日新聞より) 


「杉田議員は公人であるから、たとえ女性であっても、徹底的に糾弾、人格攻撃してもいい」というのが、朝日新聞の理屈であるが、だが、そんなことを言ってしまえば塩村文夏も都議であり公人である。

 彼女の過去の言動にはどうして触れてはいけないのか。事実、泉谷しげる氏はテレビで「オマエ、詐欺師だな」と言って批判している。

 なぜ塩村文夏都議は交際相手に「妊娠した」と嘘をついて1,500万円だまし取ったことが全く批判されずに許されるのに、その逆に子どもが少ない日本社会を憂えた杉田水脈議員の一つの行き過ぎた表現だけがここまで長期間に渡って糾弾され続けなければならないのか。

 つまり道徳を否定している朝日新聞は、塩村文夏都議は、具体的な個人に被害を与えているにも関わらず、都議会では慣行となっている野次を受けたからという理由だけで、逆にこれを祭り上げて、すでにして謝罪している鈴木都議を個人糾弾したが、一方で一般論として非道徳的な表現をしてしまった杉田水脈議員は塩村都議と同じ非道徳でも、具体的な被害が出ていないにも関わらず、「朝日新聞としては許容できないから糾弾する」とこう言うのである。
 それならば同じように塩村文夏都議も糾弾されるべきであるが、泉谷しげるさんが「オマエ、詐欺師だな」と言っただけであり、在京のメディアは杉田議員のようには全く批判していないのである。

 言論の場で塩村文夏都議を明確に批判していたのはなんとエジプト人女性のフィフィさんだけなのである。
 しかし、その実、塩村文夏という名前を口にしただけで、多くの女性が眉をしかめるのである。
 

 そして世界は広く、たとえばイスラム圏では、朝日新聞を始めとする在京メディアのような同性愛者に対する差別を完全になくすという思想は完全に受け付けられない。
 それは「どらちの文化圏の倫理が正しいか」という問題であり、ゆくゆくは戦争に発展しかねない問題である。
 中絶に厳しいキリスト教圏もイスラム圏寄りである。
 そもそも、同性愛が盛んだった江戸時代の日本に対して近代化・欧米化のために同性愛をやめるようたしなめたのもキリスト教徒である。
 いわんや日本の中にあっても、たとえばヤンチャであったり、見た目に気を使っていたり、ギャンブル好きであったり、乗り物が好きなガテン系の一般男性の中には、特に男性同士の同性愛者に対する嫌悪がある人が少なくない。
 少なくとも、女性に関心があって、男らしさのある人たちが、自分自身がそうなることに相当の嫌悪がある。
 そしてそういった一般男性こそが彼女を作り、また家庭を作っていき、それが社会を支える中心の営みであることに相違ないが、そういった人たちの内心まで完全に支配して、嫌悪の心をなくさせて、男女共同参画の性教育の狂気のように、引いては同性愛の世界に対する理解まで強要していくことは果たして必要だろうか。

 私はそれよりも、児童虐待をしないために、最低限の道徳、つまり自らの子どもたちに対する理性的な配慮を彼らに勧める。
 メディアによる「LGBTの押しつけ」よりも、漠然と美輪明宏さんのような人が出てきて、「同性愛者には素晴らしい人がいる」という文化的な存在だけで私はいいと思う。
 道徳のないメディアによる「LGBTの人権押しつけ」は逆に社会に萎縮と反感を招いてしまう。


■朝日新聞を始めとする在京メディアの矛盾について

 LGBT、特に性同一性障害の皆さんに対する社会的な配慮は保たれるべきであるが、ただ同性愛者の権利を以て、同性愛に対して嫌悪を持つような家庭のある人たちをヒステリックに攻撃する社会が理想的であるとは全く思わない。
 私の立場としては、同性愛を好きも嫌いも個人の自由であるが、今の在京メディアは、メディア権力で社会に圧力を加えて、男女共同参画の時と同様に、「同性愛に理解を」という思想統制と押しつけを強く推し進めて、同性愛が嫌いであることの内心の自由を制限、場合によっては逆差別するものであることに相違ない。

 だが朝日新聞を始めとする在京メディアのような左翼の人たちの論理で行けば、彼らの親が同性愛者である権利も当然認めていかなければならないので、彼らは自分たちの存在そのものを否定することになる。
 「自分たちの親だけは関係ない」と彼らは言うかもしれない。
 だが、こういった流れがさらに加速していけば、無責任かつ偽善的なことだけを口にする、非常に人口の多い団塊世代やオレ流世代のような人間の数はもう決して生まれ出てこない。
 だが、日本のこども不足、若者不足は非常に深刻なのである。

 

 しかし、このまま同性愛に対して嫌悪を持つ人たちの一切を攻撃して、これを撲滅するというメディアの流れにおいては、戦後、女性の権利だけを声高に主張して、杉田議員のような心ない女性が増えていったように、ただでさえ極端な少子化のこの国で、ゆくゆくは同性愛者が大多数となって、少子化の流れはさらに加速し、また女性の杉田議員と同様に、道徳のない同性愛者が力を持って行くという時代もそう遠くない。

 少なくとも同性愛を禁止してきた世界中の民族が持つ倫理においては、当然、同性愛者ばかりになっては、子孫が絶えると考えられているし、物理的にそうであるし、日本も江戸時代までは女性を穢(けが)れとする同性愛の国であったのだが、キリスト教徒からたしなめられて、完全にこれをやめたのである。

 明治以降の同性愛に対する嫌悪も、原発も、日本の近代化、経済成長を支えてきた歴史であり、無論、全肯定できるものではないが、ここに来て今さら全否定しても、現実的には極端な少子化の進行と、代替エネルギーの欠如であり、日本社会が失うものは非常に大きいのである。
 「反日・売国・道徳全否定」の、日本を解体したがっている無責任極まりない在京メディアにとっては、ヘーゲルが言う「恩知らずの下賤な意識」よろしく日本が滅亡しようと、それこそどうでもいいのかもしれないが、この思想を支える1400万人以上もいる70代前半の全共闘世代、つまりヘーゲルが唾棄したフォイエルバッハの流れの唯物主義の百田尚樹さんの言う「バカ団塊世代」もいつかは必ず死ぬのである。

 朝日新聞、テレビ朝日、文科省、東京医大、日大、ボクシング連盟、讀賣巨人軍、神戸製鋼などなど、道徳のない彼らは今、無限に不祥事を起こし続けており、日本の広い分野に渡って社会的信用を失墜させている。



■手の平を返して一女性を糾弾する朝日新聞は不公平過ぎて「全く」信用できない

 私は中国の人権主義は熱烈に応援しているが、日本の人権主義は「全く」応援していない。
 

 それは取りも直さず、朝日新聞を中心とする日本の人権主義が「反日、グローバリズム(売国)、道徳全否定」だからである。 つまりは哲学的に言って、どこからどう見ても「日本の敵」。

 これがたとえば明治期の自由民権運動のころの「五日市憲法」を起草した千葉卓三郎のように、現実に一国民が政府に逮捕されて獄に入れられていたなら、自由と人権のために大応援するが、今のメディアの左翼論客とは、ノーベル平和賞を受賞した中国の劉暁波さんのために命がけで運動するのではなく、田原総一朗なる者が、セーフティーな場所からホリエモンの無実を叫んだり、不偏不党を装いながらも辻元議員を支援したり、鳥越俊太郎のように、逆に名車を乗り回したり、女子大生の淫行疑惑が騒がれるようなご身分である。
 つまり、どちらかと言えば「メディア権力」という、政府よりも圧倒的に強い「テレビ」という体制の側にいて、不祥事の多い朝日新聞もそうだが、どちらかと言えば獄に入ってもらいたいような人たちがメディアには多いのである。
 つまり私は右でも左でもなく、逆に言えば「右としても左としても、全くこれを許せない」のである。
 無論、自著でも書いているように、道徳的な宇都宮健児さんと湯浅誠さんは熱烈に応援する。

 その許せない一端にあるのが、テレビ朝日による「セクハラもみ消し」である。
 まず福田次官によるセクハラ問題なんてない

 なぜなら、菅野完氏が何の問題もなく「朝まで生テレビ」など、テレビ朝日の番組に出られているのだから。

 だが、日本のマスコミや野党は、言葉だけのセクハラと性暴力の犯罪とを天秤にかけても、「前者だけが糾弾されるべきだ」とこう言うのである。

 だが菅野完氏の性犯罪の問題はテレビにも新聞にも一切出ない。

 また、朝日新聞・テレビ朝日が杉田水脈議員を道義的に糾弾するというのなら、まずセクハラもみ消しで、女性記者を取材に行かせた、テレビ朝日の女上司の違法性を明確にすべきである。

 このテレ朝の女上司とは、朝日新聞政治部長の立松朗の妻である松原文枝であるが、セクハラもみ消し問題の根幹部分にも関わらず全く知られていない。

 また、官僚ましてや財務省の事務方のトップに対して、美人女性を1対1でバーに取材に行かせることは、守秘義務違反を「企て」、「そそのかす」行為であり、西山事件に類する国家公務員法違反の疑いがある。

 ところがテレビ朝日は、深夜に会見を開いてセクハラの事実を認めたが、この前代未聞の一大不祥事を自分の局では放送せず、この模様をネットで猪瀬直樹氏などに批判されたのである。


 違法性のある事務方トップへのセクハラ取材と、女性記者に対してそのセクハラ取材を強要した朝日新聞政治部長の妻である松原文枝氏こそ、道義的な問題というだけの杉田議員よりも責められるべきである
 

 しかし、自浄能力の全くないテレビ朝日、朝日新聞は、松原文枝氏による守秘義務違反の疑い、セクハラ強要問題を、福田次官によるセクハラ問題、Me Too運動にすりかえて、菅野完氏による性暴力や、野党の青山雅幸・初鹿明博両議員による被害者が明確となっているセクハラ事件と比べれば、つまりは小林よしのり氏が言うように、被害者が名乗り出ることすらしていない、つまり被害者のいないありもしないセクハラ問題として過熱報道して、世論を欺(あざむ)き続けてきたのである。


 そしてセクハラ、MeTooとさんざん過剰に女性を擁護してきた朝日新聞は、LGBTという新しいおもちゃが見つかったとなるや、女性をポイ捨てし、逆に道徳なく、女性を執拗に糾弾するに至ったのである―。

「日本にはMeToo運動なんてありません。」

 (2018年 7月29日 朝日新聞より) 

 

 

■日本のテレビ・新聞・知識人・芸能人を憎んで、韓国人・在日の方を憎まず。

 まず特定の国籍、人種だからと言って、差別・ヘイトは絶対にあってはならないし、全世界ではそれは容認されない。
 また、いくら反日、嫌日の外国人の方々が日本にいるからと言って、普通外国では何もできないし、ましてやメディアを支配することなんてできない。
 つまりはお金のために反日、売国、道徳全否定に走る日本のメディアの人間、ことに団塊世代の人たち、戦後知識人、芸能人といった下手人(げしゅにん)、売国奴によるところが大きいのである。
 現に山尾志桜里のガソリン代問題や2016年の韓国人による福島仏像大量破壊を報じなかったNHKの報道局には、立花孝志さんによれば朝鮮人はほとんどいないのである。

 ましてやNHKには政治的に偏った朝日新聞・中日新聞のような左翼すらほとんどいない。
 つまりお金のことしか考えないバカ、ノンポリしかいないというのである。

 ましてや韓国人・在日の中には反日ではない人も多い。
 私はサッカーのアジアカップで日本の優勝に貢献した李忠成選手や前田日明さん、野球の金村選手などのことを思えば、そういう意識が根強くなるのは悲しいものである。

 だが、テレビ・新聞のメディアによる偏向報道が激しさを増して、今となっては日本の一般女性の中でも朝鮮人に対するヘイトを口にする人もいる。

 私は彼女たちが「朝鮮人が嫌い」であるという内心をどうすることもできないが、多くの日本人をそのようにしているのは道徳なく、無知・無思想にもマイノリティーを利用して自己正当化だけして対立を煽る日本のメディアの大罪である。
 そして、こうした対立の構図を生み出して小銭を稼いだり、日本社会に不利益を被らせて喜んでいるのが、道徳のない、ヘーゲル哲学で言う「いつでも国家の寝首を掻(か)こうとする下賤な意識」である在京の左翼メディアである。

 つまり日本人の多くが韓国人を嫌いになったのは、韓国人や在日の方々お一人お一人の非というよりも、むしろ日本の在京の一切の反日メディアが、日本人を「ネトウヨ」として、日本社会が不利益を被るような偏向報道を続けて、対立を煽ってきたことに起因するのである。

 そして、そんなことを言ってしまえば、先日亡くなられた大俳優の津川雅彦さんも、在京のメディアのくくりによれば、完全に「ネトウヨ」である。

 彼は日本の芸能界では一番と言っていいほどの「保守」であるし、ネットでアメブロも書いていたから。
 

 無知・無思想な反日のメディア権力に臆することなく、津川雅彦さんみたいな若い人がどんどん増えて行って欲しい。
 

 そして、韓国人や在日の方に対して、日本人がこれ以上「嫌韓」にならないためにも、どうか道徳なく対立を煽る日本の無知・無思想な左翼メディアに対しては冷静に対応してほしい。

 「在日だから」、「LGBTだから」というだけで、道徳のない朝日新聞や木村草太、津田大介の軍門に下る必要などない。

 また、日本人が、ことに保守的と言われる存在の女性が、「反日メディアによって嫌韓になってしまった」という「内心」までは変えられない。

 

 だからこそ、日本人も、韓国人も、LGBTの方も、女性も、哲学的に言ってイスラム国にも等しい日本のテレビ、NHK、TBS、テレビ朝日、フジテレビ、朝日新聞、中日新聞などに擦り寄ることは「絶対に」しないで欲しい。

 (無論、これらの局を始めとする日本の主要メディアは、すべて成田豊ら「韓国系」と言われている電通に完全に支配されているのだが、韓国系と言っても、全共闘世代の左翼連中が、お金のためだけに反日に忖度(そんたく)して動いている、自分のことしか考えられない、どうしようもない年老いた日本人どもということである)

 一部の人たちがすり寄れば、すり寄るほど、それらのメディアによって利用され、対立はエスカレートしてしまい、それらメディア権力の思うツボとなるのだから。


 在日の方々というのは基本個人個人で動いている。
 国会議員になったり、講談社やTBSに入り込んだりしている韓国人もいれば、日本の社会に溶け込めず、軽犯罪で捕まる若い韓国籍の人もいる。
 また、なぜ私がそのように言うかというと、在日の方々は日本人よりも、自殺率が高いためである。
 日本は自殺大国であるが、その日本人よりも、在日の自殺率は高い。
 私は社会学の観点から、フランスにいるマイノリティーであるユダヤ人の自殺率が極端に低いので、在日の人たちも同胞意識が強いので低いのだろうと思って調べていたら、全く逆だった。
 つまり異国の地で団結、結束するはずの在日の方々は、中国人やイラン人、東南アジアの人たちのように日本の中で殺し合うことも少ないが、まずは自分自身がお金を稼ぐために動いており、少なくとも日本人よりも自殺率が高い事実から見る限り、さほどの結束もなく、日本人以上に分裂、孤立した状態なのである。

 また、過去の戦争の歴史と反日教育から、民族としての日本に対する意識は仕方ない。
 逆に言えば、韓国で少しでも親日なら、昔で言うなら金玉均のように八つ裂きにされて、三親等の一族まで処刑されてしまうし、今でも反日のために指を千切る過激な右翼の人たちも多いし、慰安婦像に続いて徴用工の像も建ててしまう、そんな国民性であるし、日本とは違い男には兵役もあって、北朝鮮ともずっと緊張状態が続いていたし、つまり日本で言う「戦時に近い状態」である。
 つまり韓国には日本で言う「ネトウヨ」しかいないし、現実的に親日的な声を上げることはできない。
 だが、反日、売国、道徳全否定に走る日本のメディアの人間が「ネトウヨ」として日本人を差別するのである。
 在日やLGBTのようなマイノリティーを利用して小銭稼ぎをする反日日本人による日本のテレビ、新聞は「絶対に」見てはいけない。
 NHKにも受信料を払ってはいけないし、払う義務は「全く」ない。
 事実、これからテレビでは全く何も見れなくなるので、Amazon Fire TVでも買って、DAZNのJリーグやプロ野球、海外のスポーツやYouTubeなど、無限にあるネットコンテンツを高画質で楽しもう。
 現にスマホを手にする若い人たちがテレビを見なくなったのは実に好ましい状況である。
 
 韓国籍・在日の方々には、私が日本のテレビ・新聞・知識人・芸能人に対して、朝鮮人が金玉均にぶつけた怒りの何百倍もの激しい憤りを抱いていることを理解してほしい。
 まして金玉均は朝鮮のために、他に選択肢がなく、親日として活動していたのであるが、日本のテレビ・新聞・戦後知識人は「全く」日本のためではないのである。
 ただ、「反日」、「売国」、そして「道徳全否定」。

 日本のテレビ・新聞・戦後知識人を憎んで、韓国人・在日の方を憎まず。
 NHK、フジテレビ、テレビ朝日、TBSはこれを日本の敵とみなし、進んで見ないことを心がけよう。
 

 また、昨年のスルガ銀行チャンピオンシップでは、浦和レッズと、飛行機事故で多くの選手が亡くなり、全世界から哀悼のメッセージが届くブラジルのシャコペエンセとの試合で、韓国の審判団が、最終盤の微妙な反則で、浦和寄りの判定をしてPKを与え、深い悲しみの中、全世界から応援されているシャコペエンセの選手たちを猛烈に怒らせた。
 つまり、もし彼らが反日なら、当然、世界中の嫌われ者になってまで、浦和寄りの笛は吹かなかったはずである。


 無論、仏像大量破壊など、看過(かんか)できない事件もあるが、たとえばイスラム教徒全体で、大半は平和的であるが、中には社会で孤立していてテロを起こす人がいるのと同様に考えるべきである。
 欧米で言うイスラム過激派のテロを以て、イスラム教徒を差別することがあってはならないように、韓国人・在日の方、個人個人を差別することがあってはならない。

 そして、現にナイジェリア人も全く同様の仏像大量破壊の事件を起こした。
 無論、これによって韓国人とナイジェリア人に対する日本人の目が非常に厳しくなるのは致し方ない。

 そしてそれは韓国人とナイジェリア人が率先して日本で良いことをして償う以外にはない。
 日本人は、欧米で言うイスラム過激派のテロのように、韓国人とナイジェリア人による仏像大量破壊事件を忘れてはいけないし、それを極力隠そうとする日本のテレビ・新聞の罪を絶対に許してはならない。



■LGBT差別に隠れた在京メディアの「日本人差別」

(2018年8月3日 フジテレビ「プライムニュース イブニング」より)

 日本のテレビ・新聞がありもしないセクハラMeToo運動と同様に、しつこく喧伝するLGBT差別よりも、彼らによる日本人差別報道は非常に顕著である。
 2016年12月の韓国人による福島仏像大量破壊をほとんど報道しない。

 

 これが日本人による犯行であれば、日大アメフト部の危険タックルやボクシング連盟の山根明会長のように連日に渡ってメディアスクラムを組むはずが、外国人ということで、反日、売国のテレビ・新聞では、若者の軽犯罪のようにサッと流す程度。

 また私の記憶が正しければ、いずれの事件も、NHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレ朝のうちの一つだけしかテレビで報道せず、私が探した限りでは、2016年の韓国人による119体ほどの破壊は日本テレビだけがちょこっとだけ報道して、今回のナイジェリア人による300基の破壊はフジテレビが1日だけ報道したが、番組では誰も何も言及せず、ものの数分であり、決して長いものではなかった。

 でも、日本の若者による1基の破壊は一過性のニュースではなく、ワイドショーでも徹底的に取り上げられる。

 日本の国境をなくそうとする移民政策、グローバリズムに大きく舵を切る在京メディアでは、外国人による墓石の大量破壊なら決して大々的には報道しない。

 私は自民党で移民政策を推進している石破茂、移民推進議連の会長だった小池百合子、それらグローバル政治家の責任も重いと思う。

 テレビしか見ない団塊世代以上の高齢者の人たちは、仏像大量破壊があったことすら、ほとんど知らない。

 無論、犯人が外国人とわかるまでは、大量に破壊された映像をキチッと報道していたので、知っている人もいるが、外国人の犯人が逮捕された報道映像は極めて稀少なため、すべての局のニュースを毎日録画していて、かつそれらの番組をくまなくチェックしない限りわからないのである。

 フランスのマクロン大統領の奥さんがかなりの年上だとか、山根明会長がカンロ飴が好きだとか、どうでもいい情報はすべてのテレビ局で一斉に流しても、すべての日本人が絶対に知らなければならない、仏像大量破壊の犯人だけは絶対にひた隠しにするのである。 

 

 また仮にこの事件と同じように日本人が韓国で、韓国の文化遺産や墓地を大量破壊したというのなら、当然日本でも大ニュースになって、韓国ではもちろん、日本でも大々的に報道されて、最大限に非難されるだろう。当然、激しい反日デモが起こって、国際問題にもなる。

 つまりNHK、日本テレビ、フジテレビ、テレビ朝日、TBSは「報道の前提を崩している」のである。

 あえて報道しない、問題にしない、あるいは最低限サッと見せるだけで、日大やボクシング連盟など、日本人による問題に関心を集めて、日本国民に周知させないのである。

 

 また、今年5月にNHK関連会社の社員が、NHK放送センターを出た直後に、「NHKのテレビの内容に不満を持った」という韓国籍の男に切りつけられて大ケガをしたという事件も、なぜか大きくは報じられず、しかしこれが日本人による犯行なら、言論に対するテロとして「日本人を差別」し、それこそ赤報隊事件のように、ワイドショーなどで連日大きく報じられるはずである。

 また、たとえばこれがアメリカで、韓国人やナイジェリア人がアメリカ軍人の墓地を大量破壊したなら、その場で射殺されて、かつそれらの国からの移民に対して激しい排斥運動が起きるだろう。あるいは中東でイスラム教のモスクを鉄パイプで大量破壊したなら、厳罰に処されるだろう。

 つまり日本だけが外国人によって神社、寺、墓石を大量破壊される脅威にさらされているのであって、日本だけがナメられてしまっているわけだが、それを偽善的なメディアによって、「優雅さ」だとか「寛容さ」に置き換えて、報道を自粛しているのが現実なのである。

 

 この事件は無論、反日的、政治的というものではなく、社会的に孤立した移民による個別的な犯罪であるが、日本には300万人もの在留外国人がいて、当然、すべての外国人が日本で成功しているわけでは全くないから、埼玉県熊谷市で一気に6人もの日本人が殺害されたペルー人による、日本人では考えられないタイプの犯罪が起きることもあり得るのである。

 ましてや、墓石・仏像を大量に破壊した韓国人とナイジェリア人のように、経済格差からお金だけのために日本に来ていて、日本の文化に全く尊重しない外国人も残念ながら、少なからずいるのである。
 

 そして、国籍や民族で差別してはならないのは、韓国人だけではなく、ナイジェリア人にも、ペルー人にも、無論、沖縄の米軍基地にも、重大な犯罪を起こしたとんでもない外国人はいるのである。

 


■LGBT報道の背景にあるもの

 日本でこれだけLGBTの問題で騒がれるのは、朝日新聞のような「反日、グローバリズム(売国)、道徳全否定」の全共闘世代が牛耳る在京メディアの存在もあるが、日本がほぼ無宗教のほぼ単一民族国家であることが挙げられる。
 つまりアメリカに行けば、イギリス系、イタリア系、アフリカ系、アジア系、ヒスパニック系と実に多様なルーツがあって、その中でもちろん宗教も違うし、同性愛者の方もいる。
 だから、「ワン・イッシュー(一つの問題)」だけでこれだけ大騒ぎすることはない。
 

 つまり左翼メディアは自分たちの存在意義を国民に知ってもらい、かつ売り上げを伸ばそうとずっと「ウーマンリブ闘争」、「ジェンダー」の女性で騒ぎたかったし、現に大騒ぎしてきたが、MeToo運動で大失敗して、小林よしのり氏にガツンとやられて、サッとLGBTに目を付けたのである。

 しかし、女性のための男女共同参画と言ったって、所詮は女性を家庭に入れさせずに無理矢理自立させて、世帯数を増やさせて、つまり女性を利用して売り上げを伸ばすという小手先だけのもの。
 そのためにNHKは大河ドラマで、儒教によって女性が全く活躍できなかった戦国時代や江戸時代の歴史を曲げてまで、女性が活躍したように見せかけて、左翼メディアから拍手喝さいを浴びて取り上げられて、世の女性に自立を促して、受信料を徴収する世帯数を増やそうとしているだけなのである。

 そしてLGBTだって商業的に何に利用されるかわかったものではない。
 今回の杉田水脈議員の問題でも、朝日新聞の売り上げは伸びているだろう。
 なにせいじめ自殺も、私の体験に基づいた哲学的・道徳的な提言は一切聞かず、タレントの感想だけを掲載して書籍化して儲けようとしたくらいだから。

 

 

■日本の言論の自由を萎縮させる朝日新聞

 私は「性的マイノリティー・同性愛者=朝日新聞好き」であって欲しくはないと願う一人である。
 なぜならそれは即「反日、売国、道徳全否定」となってしまうし、現にそのようなレールが用意されている。

 つい最近まで朝日新聞は、自分たちの問題であるにも関わらず、Me Too運動を率先して行い、連合赤軍の内部粛清のごとく、福田次官の個人糾弾を道徳なく続けてきた。
 キリスト教やヘーゲル哲学では、このような大衆を味方につけるためだけに、セクハラという概念を利用した、道徳のない自己正当化と個人攻撃とは厳しく非難されている。


 現に道徳なく、イスラム教を利用して自己正当化し、大衆を味方につけようとしたイスラム国の存在がヘーゲルの理論の正しさを証明している。
 朝日新聞とそれに追随する在京メディアは紛れもなく偽善的な「日本のイスラム国」である。
 ところが、デーブ・スペクター氏や、これまで反安倍で結託していた小林よしのり氏にMe Too運動を批判されてしまい、これに窮して「女性が使えない」と考えた朝日新聞は、LGBTを「利用」して自己正当化しようと考え、なんと、これまで保護してきた女性を糾弾し始めたのである。

 無論、杉田水脈議員の「生産性がない」という表現は極めて不適切であるが、このようなヘーゲルが批判したロベスピエールがごとき誰でも彼でもギロチンにかける道徳のない個人糾弾によって、同様に糾弾された三浦瑠麗さんや、金子恵美さん、山口真由さんなど、女性でありながらもMe Too運動を批判して、朝日新聞には決してなびかない、私が応援する良識派の女性論客たちの言論の自由を萎縮させてしまうことは間違いない。

  

  (朝日新聞創刊140周年を記念する「朝日教育会議」 朝日新聞 7月31日より)
 進次郎はともかく、これだけ実績のある男たちが朝日新聞が出した手形ごときに踊らされるな。
 

 朝日教育会議に招かれる「御用(ごよう)知識人」の中でも、高橋源一郎さんは筋金入りのSEALDs奥田愛基くん支持者であるし、また、進次郎氏も、三橋貴明氏によれば、「親子二代に渡る筋金入りのグローバリスト」である。「反日、売国、道徳全否定」の朝日新聞と民放テレビ各局による「進次郎押し」は、彼が総理になって日本が解体されるまでこれからも永遠に激しさを増すだろう。

 

 

 杉田水脈と小泉進次郎。

 

  同じ自民党の国会議員であるにも関わらず、朝日新聞によるこの「差別」は一体何なのか?

 進んでアメリカの商工会議所や一人で何兆円も持っているようなグローバル投資家のために日本の農業を解体するようなグローバル政治家の小泉進次郎議員は礼賛され、かたや行き過ぎた表現があったとはいえ、日本の少子化を憂える女性の国会議員を連日に渡って非難、糾弾するという、非人間的なすさまじい「差別」である。

 つまり外圧によって日本の社会システムを解体する者であれば、世襲であっても礼賛され、逆に日本の社会のために少子化を憂えるなら、たとえ女性であっても、ロベスピエールがごとくギロチンにかけるまで道徳なく追いつめるというのである。

 
 「朝日に負けず、TBSに負けず、NHKにも負けず。」

 三浦瑠麗、金子恵美、山口真由。Me Too運動に批判的な女性には聡明であるのはもちろん、美人が多い。
 そして最近は、小林よしのり氏もなんだかいい感じになってきた。

 どっぷり首まで「反安倍」でありながら、突如Me Too運動を批判して、あの立場から麻生財務大臣を「大したものだ」と言うあたり、正直メチャクチャびっくりしたし、只者ではない。

 いや、朝日新聞が一番ビックリしているんじゃないかな。
 私自身、小林よしのり氏のように完全に中立な気骨のある立場、命がけの言論、そして是々非々でありたいと思う。



■朝日新聞の大衆煽動に惑わされず、冷静な議論を

 杉田水脈議員の表現は差別的であり、不適切であるが、ナチスのように差別そのものを誰かに対して行使したわけでは全くない。
 だってどれだけの人が「新潮45」のあの本を買ったの?
 逆に朝日新聞が宣伝して、差別的な表現を拡散しちゃってるよね。
 また彼女は、朝日新聞にそのように書かれているだけで、全く何もしていない。
 あるいは当時橋下徹氏を目の敵(かたき)にしていた朝日新聞傘下の週刊朝日が「ハシシタ」として部落差別のように特定の個人を狙った計画的で組織的な「差別」というものでもない。
 この一事を取っても、KKKはむしろ朝日新聞である。

 また、週刊朝日のこの問題には全く大騒ぎしないで、森友学園でいろんな人が指摘していた、差別にまつわる利権を業者の人たちが利用したのではないかとする単なる可能性についての言及に対して、これを差別として激しく糾弾する左翼の人たちは、微塵の公平性も持ち合わせていないのか?
 

 杉田議員は一つの主観として、出生数が100万人を切って著しい少子化が進んでいるのに、同性愛者を税金で支援することに妥当性があるのかという意見を述べたまでである。
 そして、税金の使い道を決めるのは国民に選ばれた政治家であって、反日、売国、道徳全否定の無知・無思想な一新聞社ではない。
 無論、「生産性がない」という表現は、相模原障害者施設殺傷事件の加害者の思想を想起させるものであり、ふさわしくない。
 だが「差別」ということで言ってしまえば、海外の映画、名画の世界は差別的な表現だらけであり、差別的な表現すべてを排除したら海外の映画の世界は「全く」成り立たない。

 人権に配慮した人権主義者が作った堅苦しい映画なぞ、人権主義を標榜しながら中国の人権問題はスルーして、日本国内で道徳を否定して児童虐待を助長させる日本独特のその手のメディアに冒された倒錯した思想の人以外観ないであろう。
 事実、保毛尾田保毛男がダメだったら、レイザーラモンHGもダメ、なんでもかんでもダメで、ついには同性愛という言葉すらタブーとなってしまう。それが「人権」、「人権」でどんどん進んで行ってしまえば、バラエティー番組はほとんどなくなる。
 そういう表現の自由が完全に萎縮した社会が本当に正しいあり方なのか。
 それこそ、みんな自由で真実のあるネットだけしか見なくなって、誰も人権にうるさい嘘ばかりの新聞やテレビを見なくなる。

 「完全に自分たちで自分たちの首を絞めているようなものだ。」

 それでいて児童虐待、いじめ自殺の問題における道徳の必要性は全否定であり、今のところ完全に野放しである。
 セクハラを利用して大騒ぎして、今度はLGBTを利用して大騒ぎする。
 そして障害者の方もお怒りになられたが、相模原障害者施設殺傷事件が起きたのは、朝日新聞を始めとする無知・無思想な在京メディアや戦後知識人が社会道徳まで日本から排斥してしまい、そのために起きてしまっているのである。

「未熟な社会の構成員が、重大な犯罪を起こしてから道徳を教育するのでは遅すぎる」と社会思想家のJ.S.ミルも主著「自由論」で述べているし、現に朝日新聞は、相模原障害者施設殺傷事件について社説で泣き言しか書いていない。

 つまり戦後70年道徳を排斥してきた朝日新聞のような論調が障害者殺傷事件の背景にあるにも関わらず、今度は朝日新聞が「障害者を利用して自己正当化しよう」と、こう言うのである。
 朝日新聞に利用されて、この国から道徳がなくなれば、ますます道徳のない人たちによって、同じような事件がまた起きる。
 その手助けをして欲しくはないのである。

 

 

 

 

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