児童虐待15.9万件、「親の道徳」不在の日本の児童虐待対策は完全に0点  | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

児童虐待15.9万件、「親の道徳」不在の日本の児童虐待対策は完全に0点 

 

未だに「1+1=2」がわからない日本の官僚と政治家と学者とメディア

 

(8月2日 朝日新聞)

 

 

 

■悪法成立と、道徳の必要性を理解できない愚かな人たち


前回の道徳の必要性と児童虐待に関する記事
4月18日 なくならない児童虐待、若者を抹殺する日本/「体罰一律禁止」の法制化に反対 ②
https://ameblo.jp/kt-philo7/entry-12454444330.html
5月31日 川崎19人死傷事件に見る道徳の必要性と朝日新聞などの「メディア権力」の罪
https://ameblo.jp/kt-philo7/entry-12464816901.html

 続編を予定していた前回の児童虐待に関する記事から4ヵ月以上も経ってしまった。
 その間、川崎19人死傷事件についてブログを書き、また、安直な体罰禁止の法制化に反対するため、厚生労働省に提言を出したが、返事すらなく、国連左翼の内政干渉に添って悪法が成立してしまった。

 

 

(朝日新聞 6月20日)

 道徳そのものを否定している朝日新聞が3月20日の社説で絶賛している以上、「いかに愚かな法律であるか」ということがおわかりいただけるかと思う。

 前回の記事でも書いたので省略するが、パワハラ防止法を含めて、法権力を拡大して、国民の自由がなくなるだけのものであり、大多数の人たちによる適切な教育や指導の裁量を狭めるだけの悪法に過ぎない。

 

 私が政治家になった暁には、無知・無思想な自民党(国民の議論もなく移民政策を進める)を駆逐して、2法とも即座に廃止するが、「道徳は自由を制限するものである(ヘーゲル)が、同時にその制限は、法によるものではなく、個人の意志の範囲内であるがゆえに、社会の自由を法権力の横暴から守る防潮堤でもあること」を知ってもらいたい。

 

 無論、体罰は「原則禁止」である。

 だが、曽野綾子が言うように「子どもは悪いから学校に行く」のである。

 まず、体罰が許されるのは親や教師に道徳がある場合か、もしくは愛情のある場合に限られる。

 「自由論」で有名な社会思想家のJ.S.ミルでさえ「少年が取り返しのつかない犯罪を起こしてから道徳を教えるのでは遅すぎる」と言っている。

 しかし、見境なく無機的に違法とする現状では、「クレヨンしんちゃん」に出てくる母親も違法となる。

 法で禁止されるべき体罰とは、器物などを用いた、もっぱら悪意のある体罰もしくは、美輪明宏の言う「悪感情による体罰」である。

 客観的な事実や証拠に基づいて、これらを明確に「違法性のある体罰」と定義すべきだが、児童虐待のほとんどが摘発されない現状を見ても、やはり道徳の範ちゅうになってしまう。

 

 一方で、サウジアラビアやリビア、中国など、女性の人権がない国ではなく、日本だけにフェミニズムを持ち込んで、日本の社会秩序を破壊しようと試みる国連左翼や日本を良く思わない国による「子どもの権利条例」が川崎市や高松市などの地方で進められて、「誤った子ども中心主義」として、反対運動が起きている。 

 国連左翼による「体罰の一律法禁止」も、完全にこの流れであるが、道徳に否定的なテレビの左派論客はまったく反対の声を上げなかった。

 国家権力の暴走に目を光らせる小林よしのりは「罰則ありで作ってほしい」として、自らの信条と大きく矛盾したことを言っているが、このような子どもの教育を顧みない無責任な暴論には激しい怒りを覚える。

 未明に住宅街をすさまじい爆音を鳴らしながら改造バイクを走らせて、国道にコンビニ袋のゴミをぶちまけるタチの悪い青少年に全く接していない証拠だ。

 また、町田総合高校1年生の未熟な男子生徒は、教員に体罰をふるわせて、その模様を撮影して、YouTubeに投稿することだけを目的に、いわば教員のいかなる正論や説得にも耳を貸さず、決められた筋書き通りに教員を侮辱・挑発だけをする行為に及んでいる。

 小林よしのりのような気の小さい、短気な人間に耐えられるとは思えないし、ほとんどの人も、教員に対する同情の意見を述べたが、武井壮など、このような悪意ある高校生の教育を完全に放棄して、体罰禁止の法制化だけに安直な解決を見出そうとして、未だに道徳を否定する愚かな人たちもいる。

 戦後から道徳そのものを否定してきた日本社会の末期的症状である。

 半ば以上、子どものしつけの放棄を意味する安直な体罰禁止の法制化は、この1年で倍増した少年による特殊詐欺はもちろん、いじめ自殺、あおり運転、さらには、しつけられない若い親による、さらなる児童虐待にも直結する。

 

 

  

 

 

 ツイッターでフォロワーやいいねが全くない時期に、百田尚樹さんに対して、島田紳助さんの子どもの教育に関する「体罰の必要性」のツイートをしたところ、16件の「リツイート」と52件の「いいね」がついた。

 私のツイートに対する反対の意見はゼロである。

 つまり「68対0」で、「愛のある体罰は必要」というのが国民の総意ということだと思う。

 果たして小林よしのりの言うように、島田紳助さんに対して感謝の気持ちしかない娘さんに対する体罰で、紳助さんを逮捕すべきか? 被害者のいない無機的な法権力の執行を一体誰が望むのか? 

 どれだけ小林よしのりの言っていることが愚かで間違っているかということがわかる。

 

 自由な社会においては「法は家庭に入らず」の大原則が守られるべきである。

 

 また体罰とは、子どもが危険な行為や他人に迷惑のかかる行為をしてしまった時の「ダメでしょ」という一回までであり、もしくは悪感情や計画性のある悪意による、反社会的な行為や心ない行為に対するものに限られる。
 逆に物理的な体罰だけを、法で形式的に禁止しても、子どもをえこひいきしたり、食事を与えなかったり、立たせたり、理不尽なことをさせたり、無視したり・・・と親が道徳的にならない限り、いくらでも合法的に理不尽に子どもを傷けつけることができるのである。
 

 児童虐待対策について、朝日新聞だけではなく、2月21日の讀賣新聞に掲載された各分野の専門家による児童虐待対策を批評したい。

 

 児相に勤めたという宮島清氏は残念ながら30点だ。まず児童福祉司に資格があるだけで、親の道徳の問題で起きている児童虐待を撲滅できるはずがない。

 無論、資格があった方が早期発見と適切な対応ができるのは言うまでもない。

 しかし、親が道徳的になれないかぎりは、一時的に児相で子どもを守れたとしても、根本的な解決には至らないし、そもそもただでさえ全国各地で足りない児相の職員を有資格者だけに限定するのは非現実的であり、財政的に馬鹿げている。

 むしろ未熟な親に普遍的な道徳の必要性を啓蒙する方がよっぽど安上がりであり、確実だ。

 しかし、私は2004年からそうした試みを続けているが未だにメディアには出られていない。

 それでも、幻冬舎MCで私の出版した道徳の本が3%に満たない確率で文庫化されたという実績もあり、心ある出版社も中にはあって、理解しようとする意志がある人たちには理解されるのだ。

 それでも宮島氏が「すべての児童福祉司に資格を持たせたい」というなら、そういうことを言う人たちだけがお金を出してやるべきだ。

 私は宮島氏個人を批判しているのではなく、こうした意見が日本の潮流であり、大勢(たいせい)である。

 つまり私とこれらの専門家とでは、雨漏りをしているときに、「屋根を修繕しよう」とする私と、「雨つゆを受ける桶を無限に増やそう」とする専門家とで、方法論が全く違うのだ。

 無論、児童虐待が起こってしまった「後」のために児相が必要であり、そこには「ジェネラリスト(専門性のない公務員)ではなくスペシャリストを」という当たり前の理屈もわかるが、すべての個別的な事案を無理やり完璧に対処しようとすることよりも、社会として児童虐待そのものを減らしていくための道徳が必要なのである。

 

 

 精神科医の杉山登志郎氏は55点である。この方は「体罰を一律で法律で禁止しよう」と言っているため、前述した理由で、全く賛同することできない。

 児童虐待は精神状態の病気ではなく、本人の非道徳的かあるいは悪感情の自由意志によるものが大半である。

 少なくとも、もし仮に、児童虐待が完全に医科学の分野の問題であり、精神状態の改善だけで児童虐待がなくなるなら、こうした精神科医が日本中にいるのだから、国民病だった結核が激減したように、とっくの昔に激減しているはずである。

 「家族全体の病理である」として、あくまで医科学の分野に持ち込みたい気持ちはわかるが、実際は全くそうではなく、親本人の自由意志の領域における道徳の欠如の問題である。

 つまり成人の親が「明日休みだから遊園地に行こうとか、家で過ごそう」という自由を、医科学でコントロールしようという無分別さである。

 しかし逆に言えば、親本人に「1+1=2」の理(ことわり)を理解させれば、医科学の力なぞ借りずとも事足りるのである。

 ただ、杉山氏による、子どもの側の緊張状態や、力で支配する人間関係など、児童虐待に対する分析は全く正しい。しかしそこまでである。

 外部観察的な医科学とは、児童虐待に対して最も有意義である内観的な道徳・哲学の領域では無力に近い。

 しつけられない「ヘンな人」が増えている成熟社会(宮台真司)を顧みず、安直に「体罰禁止を法制化せよ」と言う人には「馬の耳に念仏」とも思うが、親に道徳がない限り、仮に精神が安定していたとしても、悪意 <児童虐待をしようという意志> がある限り、児童虐待はなくならないのである。

 心愛(みあ)ちゃんを虐待しながら日常生活を送っていた時の、スーツ姿で写真に写る栗原勇一郎容疑者の精神が取り乱しているとは思えない。

 社会学者のデュルケームが言うように、現代の親に欠けている道徳的な理性を「説得」する以外ないのである。 

 

 最後はNPO法人理事長の吉田恒雄氏であるが、この方は70点である。

 「警察が介入するのは氷山の一角であり、予防に力を入れる必要がある」という問題意識が私に近いためである。

 「予防」という概念はまさに、児童虐待をしている若い未熟な親たちに対する道徳の必要性にほかならない。

 そして、児童虐待は親の道徳の問題と論じてきたが、無論、貧困化する日本の経済状態が全く無関係でもない。

 深刻な児童虐待が起きているのはテレビのニュースで見る限り、貧しい核家族が多い。

 ただ、湯浅誠さんのように「貧困だけが原因」として、道徳のない若い親たちにお金だけを上げても、いじめていた子どもを放置して、パチスロに行くだけの話であり、道徳がない限りは根本的な解決には全くならない。

 そして終戦直後の非常に貧しい時代にあっても、体罰こそどこにでもあったが、今日のような残忍な児童虐待がほとんど聞かれなかったのは事実である。

 

 しかし、吉田氏が根本的な解決策として、児相のカウンセリングを挙げている点には全く同意できない。

 理由は児童福祉司が、私のように道徳に精通した哲学者ではないためである。

 事実、一介のジェネラリストが、悪意を持つかあるいは悪感情を抑える理性を持たないかあるいは発達障害などでねじ曲がった心を持つ親たちを改心させることなど不可能に近い。

 彼ら役所のジェネラリストが、障害者施設殺傷事件の犯人や、京アニ放火の犯人を理論的に明晰に改心させることができることを万民に理解できるように披露してくれるのではない限り。

 「虐待と思われる事態には189(イチハヤク)に通報すべき」とも言っているが、児相の権限強化もまた、純粋な親たちにとっては別の社会問題となっており、絶対にあってはならない「体罰禁止の法制化」と相まって、「クレヨンしんちゃん」のような一般的な家庭に対しても、小林よしのりのような無機的な法権力の濫用が、知らないうちに増加するに相違ない。

 いずれにせよ、道徳だけがあれば事足りる問題であり、また逆に言えば、道徳がなければ永遠に解決しない問題である。

 

   

 小林よしのりは「こち亀」の作者である秋本治さんの親友であるが、両さんの父親が、度を超えた悪さばかりをする両津勘吉を全く殴れない社会がいいなんて、普通に考えてもおかしいだろう。

 体罰のない社会では、両津勘吉が警察官になることは絶対になく、歯止めなく悪くなるばかりである― 

 小林よしのりは政治的になり、醜くなってしまった。

 ヘーゲルが批判するロベスピエールがごとき、概念に囚われた非道徳の徒に。

 

 

 

∴ 「親の道徳」不在の日本の児童虐待対策は完全に0点である。

 

 

 

 事実、児童虐待の対応件数は、年100万人を下回る著しい低出生数、少子化にも関わらず、16万件近くにまで膨れ上がってしまった。

 無論「完全に0点」というのは、現場で身を粉(こ)にして働いている児相職員などに対する評価ではなく、道徳の必要性を恣意的に排斥してきた無知、無思想、無哲学な政府、官僚、学界、メディアに対する評価であり、私一人が児相の現場や若い親たちに影響力を持つポジションに立てれば、当然物事は好転するが、絶対にそうはならないであろう。厚生労働省の根本大臣から何の返事もないことがその証である。体罰禁止の法制化によって、選挙に有利になればそれで良く、自民党には本気で児童虐待をなくそうとする気などないのだ。

 

 未だに「1+1=2」がわからない日本の官僚と政治家と学者とメディアに言いたい。

 平成30年(2018年)に、児相が対応した児童虐待は15万9850件であり、そのうち摘発されたのはわずか1380件である。

 つまり摘発されない残りの15万8470件、全体の99.99%は理論的に言って、<相対悪をしないという>親の道徳でしかなくすことができないのである。

 

 

 

 

■2019年6月から8月に起きた主な事件や不祥事一覧

 

公職者、公人、大手企業社員による犯罪、不祥事
6月2日 元農水省事務次官(76)が長男(44)を刺殺
6月2日 浜松中央署の巡査長(25)が聴取中の女性に対するわいせつ未遂で逮捕
6月3日  鳥栖市の医師(74)がホテルの女性従業員に対する強制わいせつで逮捕  
6月7日 龍角散の元部長の女性がセクハラ調査で解雇され、同社を提訴
6月7日 カラテカ入江、反社会的企業パーティー参加で吉本との契約解消
6月8日 札幌2歳児衰弱死で札幌児童相談所が立入調査の「48時間ルール」守らず 
6月12日 京都府の向日市職員が死体を遺棄して逮捕
6月12日 1600人以上の留学生が所在不明となっている東京福祉大の系列専門学校
     の「適正校」認定取り消しが判明 
6月13日 新潟県の長岡市職員の母親(31)が生後3ヵ月の長女を殺害して逮捕
6月13日 府中署会計課の職員(49)が拾得物の104万円を盗んで逮捕
6月14日 茨木市の施設で介護福祉士(40)が宿泊男性に暴行し死亡させて逮捕  
6月14日 和光市の元保健福祉部長(55)が生活保護受給者の200万円を詐取し逮捕 
6月18日 NHKのチーフプロデューサー(41)が路上で女性にわいせつな行為をして逮捕  
6月15日 京都府警の30代の巡査長が1200万円をだまし取った疑いで逮捕  
6月21日 海上自衛官(26)がホテルの客室から16万円を盗み逮捕 
6月21日 堀尾正明が50代女性の自宅に宿泊を繰り返していたという不倫が報道される
6月26日 高崎市で私立中学校の教師(27)が女子生徒を連れ去り監禁して逮捕 
6月28日 野村証券の20代の元社員2人が女性に性的暴行を加えて逮捕 
7月2日  大阪観光大学などを運営する学校法人前理事長が1億円を私的流用  
7月5日  岐阜市の中3男子いじめ自殺で担任が「いじめメモ」を学校内で共有せず
7月5日  日本郵便の社員(44)が顔見知りの女性に対する強制性交で逮捕
7月10日  柏市第三小の教頭(52)が30年間無免許運転をしていたとして逮捕
7月12日  全国の警察幹部らが無許可で警察官の昇任試験の問題集を執筆し処分
7月12日  三菱UFJ銀行の元行員(28)が女性に睡眠薬を飲ませ性的暴行を加え逮捕  
7月14日 鳥取市職員(53)が飲酒運転で逮捕され、知人が身代わりで逮捕
7月17日 岡山県警察学校で教官の警部補が生徒をナイフで刺していたことが判明
7月18日 自民党の石崎徹衆議から暴行を受けたとして秘書が警察に被害届
7月20日 反社会的勢力との闇営業問題で宮迫博之と田村亮が謝罪会見  
7月20日 Dragon Ashの金子賢輔とCharの息子ジェシーが大麻所持で逮捕
7月25日 大阪メトロ社員(44)がホテルで女性に対し偽の警察手帳を示して逮捕 
7月27日 海上自衛官(37)が酒に酔って男性を殴るなどして逮捕 
7月27日 宮城刑務所の刑務官(31)が受刑者に便宜を図り138万円を受け取って逮捕 
7月27日 厚労省の前九州厚生局長(56)が知人女性に対するセクハラで停職処分
7月27日 北九州市立中学校の20代講師が女子生徒にわいせつな行為をして懲戒免職
7月30日 横浜市にある認可外の保育施設で保育士(23)が暴力をふるい解雇  
7月31日 日本郵政社長が13万7千件のかんぽ生保の不正販売問題で謝罪
8月1日  都内の中学校教諭(35)が部活の教え子をホテルに誘いわいせつで逮捕 
8月2日  仙台市の児相職員(30)が保護されていた女児に対するわいせつで逮捕  
8月4日  テレビ長崎の取締役(60)が酒に酔って車に傷をつけて逮捕  
8月5日  北海道の元高校教諭(28)が10代の少女のわいせつ動画をアップロードして逮捕 
8月7日  埼玉県幸手市の市長(62)が広島で飲食店の女性店員に暴行を加え逮捕  
8月7日  新潟県の中学校教諭(48)が16歳の少年に露出した写真を送らせて逮捕 
8月9日  B2香川の監督(36)が所属選手に飛び蹴りをするなどのパワハラで職務停止  
8月10日 香川県警の警部補が息子の交際女性に対する事件の証拠品を隠し懲戒処分  
8月10日NPO法人代表(29)が女子中学生のサッカーチームの脱衣所にカメラを設置して逮捕
8月11日 千葉県企画局の職員(28)が駅近くで仮眠中の会社員のリュックを盗んで逮捕
8月19日 福島県警の警部(43)が歌舞伎町の路上で酒に酔って男性2人を殴り逮捕 

8月21日 海水浴場で盗撮して退職した巡査部長がG20の会場近くで煙玉を使い逮捕

8月21日 陸上自衛隊の昇任試験で自衛官と教官が集団カンニングで計45人が処分
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児童虐待、いじめ自殺など、子どもに関する重大事件
6月4日 長野県佐久市の32歳の母親が赤ちゃんを遺棄
6月6日 札幌市で母親(21)と交際相手の男(24)が2歳女児に暴行して死亡させる
6月13日 新潟県の長岡市職員が生後3ヵ月の長女を叩きつけて殺害し逮捕
6月13日 静岡県富士市の21歳の父親が1歳8ヵ月の長女に暴行を加え死亡させ逮捕 
6月24日 宇都宮市の52歳の父親が10歳の長女に木製の置物を投げつけ逮捕  
7月1日  仙台市の25歳の母親が2歳の長女を放置して死亡させて逮捕
7月5日 岐阜市で中3男子がいじめ自殺
7月8日 所沢市の中2男子が同級生を刃物で刺して死亡させ逮捕
7月16日 4年前に足立区の母親の知人夫婦が息子(11)に熱湯をかけ逮捕
7月17日 京都市で22歳と21歳の両親が3歳の長男に暴行を加え死亡させ逮捕 
8月3日  富山市で25歳の母親が乳児を車内に放置して死亡させ逮捕
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大学生による犯罪 
6月7日 日大 ラグビー部元部員の3年生(20)が先輩に詐欺を紹介して逮捕
6月9日 東大生の女(20)が交際相手の男性の部屋で放火し逮捕
6月11日 明大の3年生(22)が同級生を受け子に勧誘して詐欺未遂で逮捕
6月12日 山形大の4年生(23)が先月19日に女性医師の殺害した疑いで逮捕
7月2日 国学院大の2年生(22)が弁護士を装い300万円をだまし取ろうとして逮捕
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統計
6月20日  改正児童福祉法成立。体罰を法律で禁止。
7月16日  自殺対策白書によると、去年1年間の自殺者数は2万840人 
        19歳以下の自殺者数は1998年以降横ばい 
7月30日  総務省が発表した6月の労働力調査によると、女性の就業者数は
            前年同月と比べ53万人増えて3003万人に。
8月2日  厚労省は全国の児童相談所が2018年度に対応した児童虐待件数が
      過去最多の15万9850件(前年 +2万6072件)だったと発表。
           1990年度から28年連続で増加。48時間ルール、1割弱守られず。
8月2日  警察庁は特殊詐欺の今年1~6月の被害が8025件、被害額が約146億円
      だったと発表。警察が摘発した事件は2940件(前年 +308件)。

 深刻な児童虐待による死亡事件がまた起きている。

 戦後より道徳の必要性を否定してきたテレビ・新聞を中心とするメディア、戦後知識人の罪は極めて大きい。
 また、男性教師による性犯罪があまりにも目立ちすぎるため「教師は女性に限定すべき」という極論が頭をよぎる。
 市役所の職員による犯罪も目立つが、教師、警察官も含めた公務員の資格を厳正化して、すべてに共通する道徳の理解を、「1+1=2」を教えるように、特に男性に対しては徹底しなければならない(男性の方が理性的な存在のはずなのだが、この国は…)。
 海水浴場で盗撮してクビになった警察官が、今度はG20の会場近くで煙玉を使って逮捕されたが、端的に言えば道徳的ではない人間を公務員にすべきではない。

 西部邁は「(かつての)日本の組織は共有の道徳に支えられている」と言った。
 しかし戦後70年を経て、道徳が崩壊した以上、行政組織も、大企業も、学校も、警察も、犯罪、不祥事が蔓延しているのである。
 簡潔に言えば、今は「日本人が良い人である」という前提が崩れてしまっている。

 もちろん、道徳観の崩壊に加えて、国民の貧困化による経済的な要因もある。
 ところで、組織における道徳(不正をしないこと)の必要性は、西部の分析より前にソクラテスの言葉からも導くことができる。
 

「ソクラテス「国家にせよ、軍隊にせよ、…もし仲間どうしで不正をはたらき合うとしたら、いささかでも目的を果たすことができるだろうか? 
 トラシュマコス「できないだろうね」と彼は答えた。
  ソクラテス「…<不正>は、…共同に何かをすることを不可能にさせるのではないだろうか?」
 トラシュマコス「たしかに」」(プラトン著 藤沢令夫訳 「国家」岩波書店)

 

 「個人」が不正をしない道徳に言及したソクラテスに対して、西部が日本の組織について言及したのは、「個人」ではなく「組織で共有する道徳」である。

 つまりヘーゲルとデュルケムの言う「社会性」に近いが、いずれにせよ道徳であることに相違ない。

 小林よしのりを始めとする無学な日本の知識人などは、「道徳は内心の自由だー」として、道徳を否定するが、「道徳は個人の意識の内には存し得ない」(ヘーゲル)のである。

 なぜなら、一生無人島で過ごしている人が「今の自分が道徳的であるかどうか」など知る由もないのであるから。


 また、今の日本の、道徳がないまま成人になってしまった無数の個人を説得して、改心させることは、メディアのような社会的な影響力を使うのでなければ(デュルケム)、容易ではない。
 しかし、美輪明宏のような「ドラッグクイーン(女装する男性)」の、「娯楽」と言ったら大変失礼だがそうしたコンテンツの付随(オマケ)としてでなければ、日本ではメディアで道徳的なことを語ることなど一切できない。

 本来なら「娯楽」ではなく、美輪明宏をレスペクトしている私としては、「文化」と書きたいところであるが、今日の道徳を排斥する左派テレビのスポンサーである、商業主義というだけの貪欲で非道徳な大企業が希求しているものは、道徳を切り崩しただけのセンセーショナリズム(体感主義的)な三流娯楽の垂れ流し番組だけであり、高尚な文化も道徳も希求しているとは全く言えないから。

 つまりは書店の占い本コーナーに置かれるような扱いでなければ、道徳を発信することなどできないのである。
 


■高校の倫理科で取り上げられる範ちゅうの、普遍的な道徳

 普遍的な道徳が論じられる哲学・社会学・社会思想を理解するうえでは、朝日新聞が取り上げた歴史学者、モミッリャーノの図が一番わかりやすい。
   

(朝日新聞 6月8日「文化の扉」   ※ 茶色い字、囲みは高澤一成が書き加えたもの)


 ただし、哲学において最も重要とされるヘーゲルが抜けている時点で、「知の巨人」と言うにはほど遠い。
 ヘーゲルはヘス、マルクス、エンゲルス、フォイエルバッハ、レーニン、シェリング、バクーニン、ハイデッガー、サルトル、メルロ-ポンティ、デリダ、フーコー、ローティ、ディルタイ、アドルノ、マルクーゼ、コジェヴ、フランシス・フクヤマなど後世に最も影響を与えた哲学者であり、「精神現象学」は哲学界随一の大著である。
 私はヘーゲル哲学を全く知らない人を哲学者とは認めない。
 

 日本で唯一の名の通った哲学者である西田幾多郎もヘーゲル哲学研究に明け暮れたし、日本哲学会も高山守元会長など、日本の哲学界にはヘーゲル哲学研究者が多い。

 尚、西田幾多郎の主著「善の研究」は、ヘーゲル哲学を元にした哲学体系と道徳に関する著書である。
 そしてなによりヘーゲルは(私の前世であったとする兆候が多くある?)スピノザの影響を最も色濃く受けた、スピノザの正当後継者でもある。
 また、道徳にはなくてはならないルソーやカントが抜けているのも疑問だ。

 無論、両者はそれぞれ社会思想、哲学においても必須である。
 しかし、それでも、ソクラテス、スピノザの「哲学」、デュルケム、レヴィ=ストロースの「社会学」、そしてJ.S.ミルの「社会思想」を一つの図に収めているのは興味深い。
 なぜなら、宮台真司も重視する社会学者のデュルケムや、サルトルを批判・超越したことで知られる文化人類学者のレヴィ=ストロースはなぜか高校の倫理科では教えられないためだ。
 高校の倫理科では「社会集団の類型」という道徳倫理には不要なテーマで、マッキーバーやクーリーなどの社会学者が紹介されるが、儒教や、老子と日本神道と原始キリスト教を除く各種宗教など、他の主観的な道徳の偉人を学ぶくらいなら、日本の社会衰退に対する解をすでにして出している社会学者のデュルケムと、文化人類学者のレヴィ=ストロースは「絶対に」入れなければならない。
 無論、たとえ入れたとしても、高校の倫理科とは受験のために簡素化した概念や固有名詞をなぞるだけであり、個別の哲学は一切掘り下げず、あまりにも表面的であり、要領を得ない。 

 だが端的に言えば、哲学の代表格であるドイツのヘーゲルにおいても、社会学の代表格であるフランスのデュルケムにあっても、共に「道徳とは社会性」である。
 日本哲学会の人間はデュルケムを知らないし、メディアに出てくる社会学者はヘーゲルを知らないから、それだけを取っても私一人だけに大きな利点がある。

 そもそもが、日本哲学会の人間はヘーゲルの道徳に関する膨大な叙述を読む心がなく、またメディアの社会学者にはデュルケムの「道徳教育論」を読む心がない。
 そして、二人の巨人には全く関連がないように見えるが、ともに「社会契約論」で有名な社会思想家であるルソーの影響を色濃く受けている。ヘーゲルの師であるスピノザとルソーは共に私と同じ市井(しせい)の、つまり天性の哲学者であり、社会思想家である。
 つまり哲学と社会学の二人の巨人は、同じ社会思想家の流れを汲(く)んでいるのだ。
 ここにおいて、私が哲学、社会学、社会思想の三つの人文学を以って、アノミー(道徳退廃による混沌)にある今の日本に必要な普遍的な道徳を目指しているということの妥当性が証明できたと思う。

 

 





■8月24日 加筆 「こども六法」は法律という無機的な精神しか育まない
 

(8月23日 フジテレビ「バイキング」)

 

 正直言って、バカ過ぎて呆れ返るしかないが、社会に対して完全に誤ったメッセージを送る、無責任で無意味な暴論が世を席巻(せっけん)してしまっている。
 

 皆さんにとっては法律とは絶対だろうか? 

 テレビ局は放送法第4条の政治的公平性を全く守らないが、国民には64条の第1項を守ってNHKの受信料を払えという。
 

坂上 「この本(こども六法)が9月1日問題(子どもの自殺が多い問題)、解決する糸口になるかもしれないとして注目されているんですね。」
東国原 「クラスに一人か二人、こども警察官とか、こども弁護士を一人か二人置くような時代になるかもしれませんね。」(同番組)

 改めて言えば、学校とは教育の場であると同時に、人間関係という「社会」を学ぶ場である。
 その前提から行けば、学校への継続的な法権力の介入は、学校の存在意義がなくなり、かつ職務怠慢を招く。
 そもそも「どう教育するか」という学校の主体性、独自性という観点からも外れ、つまり、すべて法で解決でき、一人一人の教育方針や人間性が異なる校長以下の多様な教員など全くいなくてもいいということになる。

 少なくとも彼ら生身の教育者の言葉とは、絶対的な法に比べれば妄言となる。
 また、すべての子どもが六法を学ばなければならないほど、学校でのいじめが深刻なら、子どもは学校に行かず、家で六法だけ学べばいいということになる。
 そして、そもそも法とは絶対的なものではなく、人間が道徳を元にして作ったものである。 
 そして法と道徳とは何が違うのかというと、「国家権力を介入できる」という無機的な強制力があるという点に過ぎない。
 この若い著者は、学校で暴力によるいじめを受けたとして、社会への復讐として、社会性としての道徳を学ぶ場に、無機的な法権力だけを持ち込むという愚挙に及んでいるが、それは人間そのもの、もしくは人間社会の多様性を無視した、あまりにも未熟で浅はかな思考である。
 

 確かに私は2006年に文科省に対して「いじめ加害生徒出席停止案」を提言して、それが後年のいじめ防止法にも組み込まれている。しかし、私は当時の教育再生会議に対して、同案の主旨を説明する機会を与えられたなかった。

 そして、この著者のように、道徳を無視して子どもたちを法だけで取り締まれとする主旨ではないことは言うまでもない。

 また改めて確認しておくと、いじめの大半である「無視、陰口、仲間はずれ」は違法ではない。
 逆に言えば、未熟な子どもたちは「合法であれば何をしてもいいのか?」と考えるようになる。
 そして、いじめ加害生徒に対して「悪口は違法である」と脅しても、道徳がない限り、第三者にはわからないようなあだ名としての合言葉を作って、LINE上で悪口を書くだけである。

 

 荻上チキに対して、井ノ原快彦さんが言った「いじめる側の心をなんとかしなければならない」というのが正しいのである。

 つまり、たとえ悪口として口に出さなくとも、心でそう思っていて、いじめられっ子として相手にせず、(私と同世代の女性のような)排他的で軽蔑的な態度を取っていたら、結局は何も変わらないのである。
 私が文科省に伝えたかった主旨は、いじめによる「出席停止」とは、サッカーのレッドカードであり、集団スポーツのルールのように、他のどんな人に対しても、個人的な悪感情を抱かず、公平さ、公正さに徹するということである(つまり、親しきとそうでないとをあまり区別しないということであり、美輪明宏やビートたけしが強調する「友達の否定」にもなるが)。


 そしてメディアの若手論客は、「児童虐待」に際しては「子どもの人権」と言うくせに、「いじめ問題」に関しては「子どもを法で厳しく取り締まれ」と言う。
 つまり一方では「自分で勝手に遊ぶ権利がある」と言って極限まで子どもを甘やかし、他方では「悪口だけでも法に触れる」と極限まで子どもを脅す。
 今の日本社会の大人たちがバカ過ぎて、いったいどうしていいのか子どもたちにはわけがわからない。

 メディアに露出する有識者はなぜこんなにもバカなのか?
 「1+1=2」の道徳を教えればいいだけなのに、こんなばかばかしいことになっている。

 エネルギーに満ちあふれていて、心ないことを言ったり、物を隠したり、プロレスの技をかけ合ったりする未熟で理性的ではない小学校低学年を「法で取り締まる」と考えること自体が、度を超えて馬鹿げている。
 これらの子どもたち、未成年に対しては、成人だけに適用されるような法ではなく、理性的な道徳教育と同時に、赦(ゆる)しの心が必要だ。
 

 また、法が適用されない子どもの自由な精神を、義務教育の段階から法によって縛ることは、未発達な子どもをいきなり成人扱いして、健全な学校教育の課程を放棄させるような社会実験をさせることになろう。

 さらに子どもや青少年とは、多感な好奇心と、法のような社会的な権威に対する反抗期であり、血気盛んな十代に対して、上から刑罰だけをちらつかせて、無機的な法を押し付けることは、逆に大きな反発を招くだろう。

 

 そして、競争原理の多様な人間社会にあっては、共産主義者が目指すような、人間すべてが同じ顔のロボットで、無機的で完全に平等で病的な社会などあるはずもなく、またニーチェに言わせれば、あってはならないし、そして個々の長い人生には快楽ばかりではなく、挫折、孤立は付き物であり、ボクシングの内藤大助など、いじめを乗り越えて、曽野綾子の言うように、いじめを燃料として立派な人間になる人も多くいる。 
 逆に若いうちに挫折や孤立を経験して道徳的に成長しないと、豊田真由子や石崎徹、中川俊直など、「魔の二回生」と言われる自民党の国会議員や羽賀研二、押尾学ではないが、成人してから大きな失敗する人も多くいる。
 

 西田幾多郎が「多年苦心の結果、技芸内に熟して意到(いた)り筆自ら随(したが)う所に至って始めてこれを見ることができるのである。道徳上における人格の発現もこれと異ならぬのである」と言うように、何も知らない子どもが、最初からすべての法を守れるような模範的な社会人であるはずがなく、まずは個別的な刑法以前に、学校という多様な人間社会の中で人として道徳的に成長させていくことを助けることが教育なのである

 若い著者に対しては多く批判してしまったが、社会全体の道徳の不在だけが、このような事態を招いている。

 

 

■8月25日 「デマ拡散」 本当に道徳ではなく法規制、法権力の拡大がいいのか

 (8月24日 朝日新聞)

 

 最近の体罰とパワハラの法規制により、青少年のしつけと社員教育とが制限され、ほんの2~30年前から比べれば国家権力によって本当に何もできない時代になってしまった。

 ドラマの「探偵物語」で、ノーヘルながらも遅いスピードで原付を乗り回していた松田優作を見ていると、「今はもうこんなことすらできないのか」と息苦しさを感じる。
 飲酒運転、ながら運転、あおり運転、高齢者ドライバーに対する厳罰化や法規制で、これからもかつてのドライバーの自由は制限されていくだろう。
 「松田優作が死んで、自由も死んだ」
 道徳を全否定する戦後知識人やメディア、そのスポンサーである大企業によって、彼らが一番守ろうとしている自由がことごとく制限されるという「バカ丸出し」の皮肉な事態となっている。
 

 そして今、ネットでは、デマ情報を拡散するリツイートが社会問題となっている。
 かつてツイッターで、橋下徹氏に関するデマをリツイートしただけの岩上安身氏が橋下氏から訴えられた。
 同じような状況が、常磐道のあおり運転で逮捕された女性と間違えられた女性に対して起きている。
 

 道徳なく、ネットで実名を出して人を叩く風潮がこれ以上加速するなら、リツイートもいずれ法規制の対象になるかもしれない。
 そもそも私人の実名を出して感情的に非難することは厳に慎まれなければならない。
 私も実名と顔写真とを出しているから、YouTubeのコメント欄などでも、私を誹謗中傷すれば名誉毀損となる(しつこく粘着してくる人がいるが)。
 ネットで誹謗中傷をしている人はほとんど匿名で顔写真がなく、いわば名を名乗らず覆面をしたままやりたい放題の状態だ。
 そして私人でなくとも、スマイリーキクチさんの事件のようにデマの度が過ぎれば、名誉毀損で犯罪になる。

 無実の女性を犯罪者に仕立て上げたネット上の道徳のない人たちは、いずれも顔なし、匿名であり、ともすれば愉快犯のように、ネット上だけで「優越感」に浸っている。

 また宮崎容疑者はフェイスブックで顔と名前をさらしてはいるが、その分、危険運転をすることで、車に乗っているときだけ「優越感」に浸っている。

 美輪明宏が一番嫌いな言葉がこの「優越感」である。


 かつて西部邁が「ネット上のような空間であっても、何らかの規範がなければならない」と発言していたことがある。
 だが、一部の道徳のない人たちが起こした事件によって、惰弱な時の政権の選挙目当てなだけの法改正で、リツイートができなくなる日が来るしれない。

 日本社会がかたくなに、このような各人の行動規範という道徳の自由を拒絶するなら、すべては殺伐とした法権力の拡大と、無機的な監視社会になるだろう。

 道徳を理解できない日本人の劣化こそが、いたずらな法規制と厳罰化の社会である。
 

 

 

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