「チャンネル桜、水島社長と我那覇さんの対立」の経緯と解決策/木村花さん/熊本豪雨/DV... | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

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「チャンネル桜、水島社長と我那覇さんの対立」の経緯と解決策/木村花さん/熊本豪雨/DVと成人教育

 

 

 

 

■誹謗中傷とネットリンチから「沖縄の魂」我那覇真子さんを守る


  

    (YouTube チャンネル 「我那覇真子」より)

 

 当初私は依田(よだ)氏の問題など、客観的な事実から、我那覇さんを応援してきたが、問題の解決と平和的な関係解消のため、水島社長の立場も踏まえた視点から論じていく。

 ここで私は、ネットを騒がせている、この泥仕合の対立の、これまでの経緯を振り返り、我那覇真子さんに全く非がないことと、また、水島社長にも情状酌量すべき、やむを得ない部分があることを同時に証明していきたい。
 一見して矛盾しているように見えるが、本項を読み終えた後で、誰もが納得されるはずである。
 
 私はあくまで中立な立場だが、依田氏の我那覇さんに対する誹謗中傷の動画が削除され、検証できないことと、50万人近い登録者数を誇るチャンネル桜で、我那覇さんに対するネットリンチが行われていることから、まずは我那覇さんに全く非がないことを中心に論じていくことをご容赦願いたい。


 東京新聞の望月衣塑子(いそこ)氏による、ナイナイ岡村隆史さんをなきものにしようとするツイッター上でのヒステリックな「ネットリンチ」、さらにはリアルを装った創作ドラマであるフジテレビ「テラスハウス」の番組スタッフよる木村花さんへの心ない演出指示が、スマイリーキクチさんの事件のようなネットリンチを煽(あお)り、そして知られざる重大なネットリンチの真実がここにある―。

 外国に乗っ取られた左寄りで売国のテレビ・新聞は、熊本豪雨災害後も、特にテレビ民放は報道統制というかたちで、高齢者に竹中平蔵の正体を報じないのと同様に、中国国内の長江洪水による大被害や中国海警局による尖閣沖侵入などの重要なニュースを一切報じず、日本国民をバカにさせるために、コロナの問題以外は、お茶の間ウケするような、どうでもいいニュースしか報じないが、沖縄の精神的支柱である我那覇真子さんが、かつての同志だった「チャンネル桜」の水島社長からの誹謗中傷や、同チャンネルのコメント欄でネットリンチを受けていることもまた一切報じていない。


 非常に長い話になるので端的に流れを説明すると、我那覇さん父娘は当初、同じチャンネル桜沖縄の同志として、沖縄での左翼による生活妨害の被害者だった依田(よだ)啓示(46)氏 を支援し、依田氏の知名度を上げるために、各地の集会に招いて我那覇さんと一緒に出演する機会を与えたり、依田氏の宿泊費や交通費を負担したり、依田氏個人の事業の失敗に充(あ)てられたとされる裁判の資金や、カナン基金の募金を集めるための広告塔として依田氏を応援してきた(そして依田氏によって、500万円の使途が不明になっているという)。

 
 ところが2018年4月に依田氏が女性に対する傷害事件で有罪が確定してしまう。

 その後、依田氏は今年6月の沖縄県議選に立候補したが、1,494票しか獲れず、当選ラインである5,545票には遠く及ばず、我那覇さんと共に「チャンネル桜沖縄」に出演するユーチューバーにも関わらず、傷害の前科があるため、下から2番目という泡沫(ほうまつ)候補並みの票数で惨敗している。

 さらに依田氏は、県議選の2日後にも、70代の知人男性に重傷を負わせて、傷害容疑で逮捕されている(7月1日に釈放)。

 私個人の憶測としては、水島社長は国民保守党を結党して、2019年の統一地方選に候補者を立てたが、ほとんどの「チャンネル桜」の著名知識人が、すでに公党の国会議員であったり、会社を経営するなどして独り立ちしているため、これに参加せずに惨敗し、ことに若手で水島社長に近いとされていた沖縄の我那覇真子さんが合流しなかったため、そこから確執が広がったのではないかと見ている。

 また、逆に水島社長は、傷害の前科があって二度逮捕されているにも関わらず、「チャンネル桜」のキャスターとして依田氏を起用して、庇(かば)い続けており、それに対して軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹氏は、水島社長が依田氏を処分せず、再び沖縄県議選に擁立する動きを懸念している。

 そして水島社長は、依田氏と共に「チャンネル桜沖縄」で、依田氏のために基金を募った手登根(てどこん)氏という人を同番組に頻繁に出演させ、また、水島社長と手登根(てどこん)氏の二人で、「我那覇さんは手に負えない人であり、我々は被害者」というような、誤解を与えかねない、一方的な印象操作をして、本来の彼らの主旨である「反沖縄左翼」や「反中共」ではなく、「反我那覇」で共同戦線を張っている始末である。

 

 また我那覇さんや、我那覇さん父娘と活動を共にしている江崎さんが、依田氏や手登根(てどこん)氏を批判する理由としては、依田氏の事業の失敗に充(あ)てられているカナン基金に我那覇さんが利用されてしまったことや、我那覇さんのお父さんが「恩を仇で返す」と言うように、依田氏が我那覇さんに対して、根も葉もない誹謗中傷を行ってきたこと、また、依田氏の放漫経営による事業失敗が、左翼による営業妨害のせいだという根も葉もないことを言って、お金を集めているためである。

 江崎さんによれば、手登根氏は、2019年5月31日の「チャンネル桜」の動画で、依田氏が放漫経営の末、銀行差し押さえにあい、競売(けいばい)されたことを、「左翼活動家の嫌がらせのせいで持って行かれた」と嘘をついて、「競売物件を買い戻すには3000万円が必要」として、手登根氏自身がお金集めまでしていたという(カナン基金支援金詐欺疑惑)。
 

 だが依田氏は、我那覇さん父娘と会う以前に、スパゲティ店LaLa Primoの経営に失敗し、さらにはその腹いせのためか、ネット上で、フランチャイズ本部について根も葉もないことを書いて誹謗中傷したかどで、フランチャイズ元に提訴されて敗訴し、謝罪文の掲載と、損害賠償金の支払いを迫られていた。

 

 また、依田氏と手登根氏は、お金を集めたに関わらず、競売物件は買い戻しされておらず、明細も不明なままカナン基金は閉鎖され、その後、依田氏は何の説明もなく沖縄県議選に立候補している。
 ここで私が「江崎さんの方が真実を語っている」と考える理由は、江崎さんによって厳しく批判され、一貫して「嘘つき」と言われ続けている依田氏や手登根(てどこん)氏が江崎さんを訴えないためである。

 もし江崎さんの方が両者について根も葉もないことを言っていたら、江崎さんに対して強く抗議し、訴えない人はいないのである。
 

 そして、依田氏は一体誰のために、あるいは一体誰の指示によって、沖縄のラジオ局「FM21」と裁判で争っている最中であり、しかも自分の最大の恩人であるはずの我那覇さんをあえて誹謗中傷していたのか?

 左翼系ではないFM21が、特段の理由もなく、いきなり我那覇さん父娘の番組を打ち切り、これを「言論弾圧」として、2018年12月に我那覇さん父娘がFM21を提訴したが、まさにこの提訴が今回の問題の発端であり、この裁判から、資金集めのために我那覇真子さんをさんざん広告塔として利用してきた依田氏が、恩を仇で返すかたちで、地元に根付いたユーチューバーであることを利用して、裁判で戦っている最中の我那覇真子さんに対して、裁判そのものを批判する根も葉もない誹謗中傷を始めたのである。

 

 それは事実に基づかない嘘を元に、我那覇さんがFM21の会長や手登根(てどこん)氏に対して、「意固地で、聞き分けがなく、恩知らず」という印象操作だったが、我那覇さんが問題としている依田氏の誹謗中傷の動画は、すべてネット上から削除されており、これに対して我那覇さんは「証拠隠滅だ」としている。

 つまり依田氏が、我那覇さんに対する誹謗中傷の動画をすべて削除もしくは非公開にしているこの一事を見ても、その動画の依田氏の言質(げんち)を確認したり検証できない以上、依田氏を擁護できる要素は微塵もないのである。

 ところがなぜか水島社長は一貫して、視聴者の誰もが依田氏の動画を見れないにも関わらず、依田氏擁護に回って物事を進めていくのである。

 また依田氏は、嘘に基づく誹謗中傷をされて謝罪と撤回を求めている我那覇さんに対して、事もあろうに1対1の討論の場で、何の脈絡もなく、「父親と縁を切った方がいい」という主旨のことを我那覇さんに直接言って、我那覇さんを傷つけている。
 
 その後、水島社長は、これら依田氏の誹謗中傷に苦しんでいる我那覇さんに対して、「真人間になれ」、「従軍慰安婦みたいな被害者づらをするな」、「日本人の心じゃない」という暴言を吐き、※ さらには水島社長から電話が来て、折り返し電話をすると、「土曜の夜に俺に電話するな」と言われたり、※ 我那覇さんが直接会いに行っても、「(俺に)土下座してくるのかと思った」と言われたという。

 

※ 訂正  ①我那覇さんから暴言を訂正するよう電話して、水島社長から折り返し電話が来た。

②直接会ったのではなく、電話の中で「土下座」という言葉が出た(貂天照毬さんのご指摘より)。

(「土曜の夜に俺に電話するな」というセリフから、我那覇さんが電話したのかと思いますし、「土下座をして謝ってくるのかと思った」というセリフから、直接会ったのかと思いました。)


 こうした我那覇さんに対する一連の心ない水島社長の暴言から浮かび上がる真実は、取りも直さず「俺の顔を立てて、これ以上、依田さんの事についてつべこべ言うな」という、我那覇さんに対する圧力ではないだろうか? また、水島社長は依田氏のことを「依田クン」と呼んでいたが、途中から「依田さん」と呼ぶようになっている。


 そして、これら我那覇さんに対する度を超えた誹謗中傷や、傲慢な態度を我那覇さんに暴露され、謝罪と「1対1」の討論を求められた水島社長は、事もあろうに我那覇さんではなく、我那覇さんの放送を一方的に打ち切りにしたFM21に対して、「チャンネル桜」内で謝罪している。

 水島社長は、FM21には「放送番組編集の自由」があるとして、たとえ我那覇さんの番組が一方的に打ち切られて、裁判で訴えても、「意味がないから裁判を起こすな」という論調だが、それではすべての番組出演者は、放送事業者に絶対服従しなければならず、一切何の権利もないということになってしまう。

 訴えを起こしている我那覇さんのお父さんは「もし我々が放送倫理に違反するなら、現在の地上波はすべてアウトですよ」と言っている。
 つまり水島社長の中で今の日本は、今の中国と同じであることを意味するのだ。
 

 そして江崎孝さんも、「チャンネル桜」内で、依田氏について言及しようとしただけで番組スタッフに止められたため、水島社長に対して「社長の指示ですか?」と尋ねたところ、一度は「ありえない」、「一生懸命やっているスタッフの行き違いで、誤解でしょう」と言われたが、江崎さんが再度ブログ内で依田について言及したところ、再びスタッフに止められたため、水島社長に電話したところ、「忙しい中、時間を割(さ)いてやっているんだから感謝しろ」という主旨のことを言われた後で、口論となり、水島社長が怒り狂ったため、※江崎さんは「言論封殺に遭った」として、やむなく降板したという。

 ※補足と訂正

 江崎氏が自ら番組を降板したのは事実だが、経緯としては、我那覇真子さんと依田氏の討論会に際し、水島社長と依田氏が、江崎氏の傍聴を黙認していたにも関わらず、水島社長から「一方的にルール破りをして大人数で押し掛けた」と言われ、江崎氏が番組内でその事実誤認だけを確認しようとしたところ、これに対して水島社長が、「江崎氏が番組内で『依田批判をする』というので、それを阻止したら、『言論封殺だ』と言われて降板した」という主旨の発言をしたため、江崎氏によれば、このような経緯で自分が降板したことは真っ赤な嘘であるということである(貂天照毬さんのご指摘より)。


 「チャンネル桜」には言論の自由がないようである。

 そして、我那覇さんに対するこの上ない誹謗中傷を指摘された水島社長が、このタイミングで、我那覇さんの放送を一方的に打ち切っただけの放送事業者に対して、進んで謝るというのは全く理解できない。

 水島社長は、自らの誹謗中傷やパワハラを棚に上げて、「チャンネル桜」の視聴者の視点をそらし、「私が我那覇真子の『沖縄防衛情報局』の主張を、『チャンネル桜』でも流したことで、FM21に謝らなければいけない」と、こう言うのである。


 つまり水島社長の意図としては、「チャンネル桜」最大の功労者であり、何ら非のない我那覇真子さんに対して、FM21と連携して、我那覇さん父娘が「我々にとって手に負えない、とんでもない人たちである」という印象操作をして、迷惑をかけられているふうを装って陥(おとしい)れ、「この業界と沖縄で、生きていけなくさせるぞ」という、無言の圧力をかけているというようにしか見えないのである。
 

 これだけ人としての最低限の道徳のカケラもない謀略劇を私は生まれて初めて見たが、この一事を以てしても、私はすべて水島社長が後ろで糸を引いていると思う。

 そして、FM21と水島社長は最初からつながっていたのではないか? 

 

 だが江崎さんの読みによると、まず左翼紙「沖縄タイムス」の意向通りに我那覇さんの番組を打ち切りにしたFM21の会長と依田氏がつながっていて、それゆえ依田氏が、言論弾圧としてFM21を提訴した我那覇さんを誹謗中傷したというのである。

 それでも私には、全く依田氏を批判せず、我那覇さんを陥れるため、最終的にFM21に謝罪した水島社長の不可解な動きも気になるのである。

 また、我那覇真子さんが「チャンネル桜」の最大の功労者であるからこそ、水島社長は1年ほど前に国民保守党の党首を我那覇さんに打診したと言われているから、この手の平返しの粛清劇は一体何なのだろうか? 

 

 この水島社長のあまりにも残念な反論動画を見て、我那覇さんを応援してきた私たちは仲間内で愕然としたが、ここ最近、この問題で頻繁に動画を投稿していた我那覇さんは、水島社長の、我那覇さんをなきものにしようとするFM21に対して謝罪する動画に、あまりのショックのためか、水島社長に返答する動画を、一週間経った今も一切投稿していない。

 

 「沖縄の魂」であり、「沖縄の精神的支柱」は、皮肉にも「チャンネル桜」によって潰されてしまったのである―。

 これらの経緯を全く知らなかった私は、完全に中立の立場であり、なにしろ今年の3月には水島社長宛てに自著と手紙を送ったばかりである。
 つまり沖縄とは関係ない全く中立の人間から見ても、両者の動画の多くを視聴して検証する限り、このようにしか受け取れないのである。

 また水島社長が、小林よしのり氏や田母神俊雄氏、倉山満氏と対立した時は、対立の原因となった問題の性質上、多くの「チャンネル桜」の有識者が水島社長と共に出演して、水島擁護に回ったが、今回の我那覇さんとの対立では、青山繁晴議員や西田昌司議員、三橋貴明氏や藤井聡氏など、数多くいる著名知識人の誰一人として、水島社長と共演せず、我那覇さんを糾弾する側には回っていないのである。

 

 それどころか青山繁晴議員は、「チャンネル桜」とは別の新しいチャンネルをこのタイミングでスタートさせているほどである。

 つまり、誰一人水島社長を擁護しないというこの一事は、我那覇さんは政治的なテーマによる意見の相違でパージ(美輪明宏さんがよく使う言葉、purge、粛清の意)されたのではなく、水島社長個人の私情によってパージされたのである。
 

 ただ、大人の事情、個別的な案件とは言え、彼らがこのまま「チャンネル桜」に在籍していれば、西田昌司議員、三橋貴明氏、藤井聡氏、渡邊哲也氏は当然「水島総の同志」と捉えられ、必然「依田啓示氏の同志」となってしまう。

 依田氏と共演することはもちろん、依田氏が県議選に出れば、彼らは応援演説に行くことも考えられる。
  

 さらに残念なことは、西田議員、三橋氏、藤井氏など、日本を救うことのできる、名だたる「反新自由主義」、「反緊縮増税」の論客が、ことごとく水島社長の同志であり、依田氏の同志ということになってしまい、日本が終わってしまうということである。 
 私個人は、道徳に無関心かあるいは反対のことを言われる三橋氏や渡邊氏よりも、経済産業研究所上席研究員の藤和彦さんに近く、藤さんだけには陰湿なパージの片棒を担いで欲しくないと願っている。
 

 また、三橋氏らが進める志の高い「令和ピボット」のサイトにも、水島社長の写真がデカデカと載っており、たとえ国を憂えて、ここにエントリーしたいと思ったとしても、道徳のすべてを全否定するような並々ならぬ悪魔の契約が必要であると個人的な主観として感じた。

 この我那覇真子さんに対する誹謗中傷問題で、声を上げる有識者は少ない。
 そもそも、水島社長並びにその支持者を恐れてか、話題に上げている有識者すらほとんどいない状況である。
 私と同様に、我那覇さんを擁護しているのは、保守論客である水間政憲氏と、軍事ジャーナリストの鍛冶俊樹氏だけである…。
 一方、この問題で、依田・水島社長を擁護している有識者は(我那覇さんと対立している手登根(てどこん)氏を除けば)、今のところ確認できない。
 

 我那覇真子さんはハメられたのである―。

 

 ことにYouTubeのチャンネル桜では、ネットで支配的である水島社長の支持者によって、我那覇さんに対する誹謗中傷で埋め尽くされ、木村花さん以上に追い込まれていると言っても過言ではない

 

 事実、我那覇さんの支持者によれば、「チャンネル桜」に書き込まれている我那覇さん寄りのコメントの多くは削除されて、50万人近いチャンネル登録者数を擁するチャンネル桜には、我那覇さんに対する批判と誹謗中傷一辺倒になっていて、「重大なネットリンチの状態」という。


 また、水島社長はチャンネル桜内で、まさに哲学の代表格であるヘーゲルの言う、道徳のない「自己正当化」に徹していた。

 

 「…正当性の意識を得ることがまったくの自己目的になってしまっている。

 ヘーゲルはこういう自己正当化の意識を、醜いものとしてとことん否定しようとしている。

 …それはかならず『おのれを義(ただ)しいと信じて他人をさげすむ』ことにつながる。

 イエスも…自分の義(ただ)しさを誇ることを戒めていたではないか。」

 (哲学者 西 研 「ヘーゲル・大人のなりかた」 より)

 

 

■「和を以て貴しとなす」 ―我那覇真子さんを応援する哲学者として―

 

 全く非がないにも関わらず、前代未聞のパージに遭っている我那覇さんを励ますために、先日我那覇さんがパーソナリティを務めるラジオ局宛てに手紙と自著を送付したが、ここではその手紙の中から、私の真意について要約して説明たい。

 まず、水島社長が、我那覇さんに対して「真人間になれ」と言ったことを、水島氏本人並びに、無思想な水島支持者は非常に軽く考えていて愕然としたが、これは哲学的な道徳・倫理から見て、ありえない。
 なぜなら、水島社長は他人である我那覇さんに対して、「相対善(どちらかといえば良いこと)をしろ」という、完全に自由の領域を制限しようとしているためだ。
 

 これは水島社長が、我那覇さんを人として尊重せず、自分の思うがままに「モノ化」して人格を隷属するという物言いに他ならない。
 私は水島氏の表現の自由を制限しているのでは全くなく、例えば、もし我那覇さんが脱法ドラッグを常用していたり、児童虐待をしていたり、つまり「相対悪」をしていて、水島社長が、我那覇さんに対して「真人間になれ」というなら話は通る。

 

 しかし、我那覇さん以上に家族を大切にして、模範的で勤勉な人は他にいないというほどであり、そのような言葉は全く当てはまらない。
 そして、そのような押し付けがましい物言いとは、「人さまの内心に土足で侵入すること」であり、三島由紀夫と美輪明宏さんが最も嫌うことである。


 また、真子さんに対して、「従軍慰安婦みたいな被害者面をするな」というのは、女性に対してしか言えない、女性に対する根本的な差別発言であり、水島社長の持つ根本的な女性蔑視に基づく女性観を露わにするものである。


 また私には、保守の女性が、このような左のジェンダーの問題では声を上げることができないことも見越しての悪質なパワハラとも取れるが、少なくともこれまでの水島社長の振る舞いは、日本の優雅さ、清き明き心、「和を以て貴しとなす」、また道徳的な「赦し」とは完全に正反対であることを、我那覇さんにも、我那覇さんの支持者の皆さまにもどうか認識されてほしい。

 

 

■私の提言に耳を貸さなかった水島社長

 我那覇さんに対する「(プロの政治活動家として)真人間になれよ」という言葉は、水島社長にそっくりそのままお返ししたい。
 私は今年の3月6日に、水島社長宛てに、自著と共に、体罰禁止の法律や倒錯したスウェーデンの悪法を日本に押し付けようとする、朝日新聞や宇都宮健児が進めるSDGs(エス・ディー・ジーズ)の脅威について、警鐘を鳴らす提言を出したが、全く反応はなかった。
 自著の献本については、伊吹文明議員から直筆の返事があり、北野武さんからは、さすがにご本人ではないが、代理人の弁護士の方からお電話を頂いた。
 ただ、かつて八木秀次先生が「子どもの権利条例」の問題を取り上げていた「チャンネル桜」だけが、日本だけに悪法を押し付ける国連左翼から日本の社会秩序と自由を守るために、「唯一反応があって然るべき」と思っていたので、水島社長が、このような脅威に対して無関心であることが非常に残念であり、痛恨の極みであると思う。
 もはやこの問題は、国連左翼と日本の左派メディアの思うがままだ。
 当時の水島社長は、コロナショックで財政出動しない安倍政権に対して我鳴(がな)っているだけであり、連日専門家でもない水島社長が、毎日のようにそれだけをやるのは、「やってますよアピール」にしか見えず、何の意味もない活動だったと確信する。

 「5分でもいいから出してほしい」という、私の思いは全く届かなかった。

 

 我々一般国民の保守層は、コロナ禍にあっても、自身のチャンネル登録者を増やすことや本を売ることだけに必死で、小銭稼ぎしか考えず、女性キャスターと歓談するだけの「『チャンネル桜』に出演するネットの保守論客」や、水島氏個人の公私混同した、影響力のある保守論客との不毛な対立とは全く関係なく、また、我々と「チャンネル桜グループ」との乖離(かいり)はまさに決定的なものと言える。

 
 もし本当に命がけで日本を変えたいのなら、左翼張りに他の保守論客を個人糾弾するくらいの行動力と影響力と知名度と動員力と資金がおありなのですから、国政選挙に出られてみては?と。

 


■「ワンマン社長」として戦ってきた水島社長

 

 ここまで、我那覇真子さんに非がないことを論証してきた。

 ここからは水島社長に対する正しい見方について論じていきたい。

 N国党の立花孝志が、政治家というよりも選挙プランナーであるように、水島社長もまた、今回の問題のように、「公」のために批判を受けることを由(よし)としないため、言論人というよりも、ワンマン社長である。

 

 水島社長に言いたいのは、たとえ社長といえども、著名な言論人となれば、批判されることは避けて通れないのである。

 

「批判を欠くと、理性はいわば自然状態にあるようなもので、その主張や要求を貫徹し或(あるい)はまたこれを確保するには、戦いによるよりほかに途はない。
…このような批判こそ、我々に平安な法的状態を与えるところのものである。」

(カント著 篠田英雄訳  「純粋理性批判」より )

 

 二人は共にテレビ業界出身であり、今は党と会社を運営する責任ある立場の人間である。

 彼らは二人とも、私のような哲学に裏打ちされた信条に基づく、社会性を重視した哲学者・道徳家ではなく、一組織を守らなければならない立場の人間である。

 つまりは現実的な、党の職員や社員の生活の面倒を看なければならない立場の人間である。 

 

 「ワンマン社長」である水島社長は、言うことを聞かない人をクビにしていかなければならない。

 水島社長にとって我那覇真子さんは一社員に過ぎず、社長が一社員の言うことを聞いていたら、会社組織は成り立っていかないというのが、水島社長の考えのように思える。

  

 また、前述した水島社長と江崎孝氏の論争はどちらも正しいのである。

 江崎さんは、いわば一ジャーナリストとして、「社会正義」のために、怪しいお金集めをしていた依田氏を追及しているが、水島社長もまた、前科や道義的な理由があるにせよ、自分の指示に従う依田氏はかわいい社員であり、「会社組織」のために、これを守ろうとしているのである。

 

 要約すれば、「公」のために生きる我那覇さん父娘・江崎さんと、「会社組織」のために生きる水島社長・依田氏の対立なのであって、「どちらが正しい」という話でもないのである。

 

 水島社長は典型的な中小企業のワンマン社長であり、私の父に近い。

 団塊世代には水島氏のような傲慢な社長はいくらでもいる。

 それを左翼紙のように「パワハラ」と叩くのもいいが、会社を経営し、人を使っていくのは並々ならぬことである。

 むしろ俗世で道徳を完全に遵守していたら、利益追求を優先する会社経営などできない。

 

 私も会社組織で、私一人だけ理不尽な事があって叱責されたが、上の人たちから見れば、私は一社員に過ぎないため、こちらの置かれている状況がわかるはずもなく、私が一度謝ったら、それ以降は理不尽な事もなく、むしろ優遇されて、問題なく会社で過ごすことができた。

 

 無論、理不尽な状況が二度三度続いて、改善されないようであれば、会社を辞めることも考えざるを得ないし、我那覇さんのケースはFM21に対する提訴が発端のようであり、第三者の依田氏による誹謗中傷も合わせて、比較することなどできない。

 

 そして、我那覇さんの場合は、両者の対立がネットで拡散されているため、木村花さんを死に至らしめたような、道徳のないガキというか、北野武さんが「ネットはバカのための拡声器」と言うように、ネットをやる資格のないような人たち、全く哲学も道徳もない人たちが大勢群がって我那覇さんに対する誹謗中傷の限りを尽くしているため、非のない我那覇さんとしても、公にされている以上、引くに引けなかったのである―。

 

 私は水島社長による「チャンネル桜」設立、日本のテレビがことごとく中国・韓国に乗っ取られているという実情の分析、尖閣事件に対する国内最大級のデモの呼びかけ、NHK「JAPANデビュー」の捏造問題の取材と追及、映画「南京の真実」などの実績を評価している。

 

 しかし、この度(たび)の水島社長による、我那覇さんに対する一連の対応や、自己正当化を擁護するものでは全くないが、「ワンマン社長」という観点から、キリスト教を作った聖パウロのように、水島社長に対する「赦(ゆる)しの心」を持ちたい。

 

 そして、彼には個人糾弾をやめて、いくばくかの「赦(ゆる)しの心」を持ち、建設的な方向に動くよう希(こいねが)うものである。

 それは先日の動画で、今回の問題をあえて取り上げないとした篠原常一郎氏や、「長幼の序(が大事)」と言われた青山繁晴議員の言葉に配慮して、功績ある水島社長の顔を立てなければならないという思いである。

 

 

 

■保守再編に向けて 

 

 言論人に向かない水島社長は、選挙が滅法(めっぽう)弱く、潤沢な資金や優秀な人材がそろっているにも関わらず、2014年の都知事選では惜敗した上、擁立した田母神俊雄氏を告発することになってしまったし、また、国民保守党は2019年4月の統一地方選挙で候補者を立てて惨敗した―。

 一方、同じ選挙で、私が長く関わっていた立花孝志のN国党が、なんと26人もの候補者を当選させている。
 

 水島社長の選挙手法は物々しく、また、一般国民とかけ離れていて、威圧的であり、異様に見えるのである。
 水島社長の選挙戦術は、N国党の立花氏の足元にも及ばない。 


 無論N国党も、立花氏のあまりにも道徳のない言動によって、ネット上で批判が噴出して、2019年の参院選以降は全く選挙に勝てなくなってしまったが、それ以前の、出れば必ず当選するN国党のキャッチーな選挙戦を共に戦っていた私なら、水島社長のような威圧的で政治的過ぎる、観念的な選挙戦は絶対にしない。

 有り体に申せば、私は立花孝志の選挙戦術・選挙スタッフと、水島総の放送設備・優秀な人材を手に入れれば、「令和 自由民主の会」は国政政党になって、日本を変えることができると信じている(無論、現実的に不可能だから、完全な冗談、妄想として、あえて書いているということであるが)。

 立花孝志氏と水島総(さとる)氏は、共にテレビ業界の人間であり、私のように哲学や、哲学・社会学・社会思想に基づく道徳、宗教倫理を勉強する時間がなかった。

 もしくはそうした素養が最初から希薄なのかもしれない。
 少なくとも、両者は責任ある立場上、自らの非を認めて謝罪することはほとんどなく、人さまのマウントを取ろうとする。

 

 だが、リーダーには「和を以て貴しと為す」という最低限の道徳が必要なのである。

 

 そして尖閣を虎視眈々(こし たんたん)と狙う中国から尖閣と沖縄を守るためには、沖縄の保守の「精神的支柱」である我那覇真子さんしかなく、つまりは、沖縄で左翼紙とチャンネル桜の両方から攻撃されている我那覇真子さんを守ることしかなく、つまりは、「新しい道徳的な保守の枠組み」作りの一手しかないのである。

 

 いわく「保守再編」の道しかないのである―。

 

 

※ あくまで高澤一成が勝手に考えたものです。

 

 無論、「新自由主義=竹中平蔵、対日年次要望書」という話ではなく、逆に山本太郎のように、「すべてを公務員で」という共産主義的な考えが正しいというはずもない。

 つまり、(先日の記事で書いたように)東京は「財閥」という民間の力によって、100年かけて今日のような世界有数の超巨大都市圏に至ったのである。

 日本がデフレから脱却して、コロナ禍から経済を復活させるためには、国民を貧困化する緊縮増税をやめると共に、石原都政で行われた汐留開発のような「民間の力」も必要なのである。

 

 「一億総中流社会の復活」と「民間の力」の両立である。

 

 また、「チャンネル桜」のような立派な放送局があれば、左翼系の「朝まで生テレビ」に対抗して、一ヵ月に一度は、MMT論者、リフレ派など、各グループの論客を一堂に交えて討論をする場を設けたい。

 つまり完全に中立で、全(まった)き道徳家である私を介して、水島社長がパージしてしまった各方面の保守論客、鈴木邦男氏、田母神俊雄氏、小林よしのり氏、倉山満氏、さらには百田尚樹氏、上念司氏に土下座して、出演を希(こいねが)い、我那覇真子さんも加えて、一堂に集めたい。

 無論、左派や野党の論客も加えてもいい。

 

 それこそが日本のために一番良いことであることを社長には認識してもらいたいのである。

 

 今みたいに「チャンネル桜」や「三橋チャンネル」などで、同じ意見の人たちだけが、リフレ派の人たちからの批判を恐れて(私はMMT支持だが)、少人数で集まり、えんえん一方的な話だけをしていても、見ているこちらとしては、何も話が進んでいかないのである。

 ましてや都知事選に誰も立てず、次の衆院選も誰も立てない、もし仮に立てたとしても、周りの人たちの声は一切聞かず、選挙に滅法弱い人たちの集まりとなると、小銭稼ぎ以外、一体何のためにやっているのかわからず、時間のムダである。

 

 

 

 

■木村花さんの死と日本を取り巻く不毛なメディアとネット (前回の記事の訂正)

(2020年 7月5日 朝日新聞)

 

※ 当初、私は一度も視聴したことのない「テラスハウス」は、「恋愛リアリティー番組」と銘打っていたため、「台本のないアドリブ、生(ライブ)である」と考えていましたが、7/2発売の「週刊文春」で、フジテレビの「テラスハウス」のスタッフの指示によって暴力的にさせられていたことや、演出の指示に従う誓約書が交(か)わさせられていたことなどが判明するなど、後日明るみに出た真相を踏まえ、一部文章に打ち消し線を入れて訂正します。

 私は「女子プロレスラーは闘争本能が必要な職業」であると考え、他の多くの視聴者と同様、「アドリブ、リアルである」と思い込まされていましたが、改めて、木村花さんのご冥福を心よりお祈りするとともに、新しい真相が明らかになった以上は、最初ツイッターで厳しく批判したフジテレビ、テレスハウスに対して、配慮し直した論調をやめ、木村花さんの遺族を支持するものであります。
 そして、「テラスハウス」は、普通のテレビドラマと同様、「作り」であり、「創作」であって、冒頭のテロップなどによって、木村花さんは悪い女性の役柄を演じていただけであるという事実を知らせることが、すべての視聴者に対してなされなければならなかったと確信しています。

 また、ネットによる誹謗中傷によって、木村花さんが追い込まれてしまったことも事実であり、テレビ制作サイドとは別に、深刻な社会問題として存在しますので、本記事は削除せずに、打ち消し線を入れてフジテレビの問題と同様に、問題提起として残す所存です。


 「木村花さんの死に際し、私も当初は、フジテレビとテラスハウスに大きな責任があるとして、強く非難していたが、ネットの誹謗中傷が自殺の原因であり、フジテレビだけの責任ではなく、道徳的価値観が退廃した日本のネット社会全体の責任であり、道徳を排除して破壊してきた戦後メディア全体の責任である。
 (中略) たとえば、テラスハウスが、木村花さんのことを、私が自著でも取り上げた、タフなメンタルの上西小百合のような女性だと思ってしまえば、どうしようもない
 (中略) フジテレビとテラスハウスだけの責任とするのは、日本では、ほぼバラエティー番組が作れなくなるというに等しい事態を招きかねない
  (中略)  無論、台本のない生きた番組作りを履き違えて、アドリブや生「だけ」にこだわり、若い出演者の未熟な部分を流すだけで、視聴者からの批判を浴びかねない番組作りには落ち度があったと言わざるを得ない。」

 

 




■熊本豪雨被害 (令和2年7月豪雨)に思う

 

(2020年 7月7日 朝日新聞  夕刊)

 熊本では2016年の地震に続き、死者が60人を超える甚大な豪雨被害に見舞われた。
 熊本県は長年、「新党さきがけ」や「たちあがれ日本」の幹事長を務めた園田博之さん(2018年に死去)を選出してきた地である。
 園田博之さんは、竹中平蔵や外資から日本の国益を守ろうとする亀井静香に近い平沼赳夫の盟友である。
 前回のブログで私が園田博之さんの娘さんと明大の同級生であることについて触れたばかりである―。
 私個人にとってはコロナショックよりも、大きな災いであり、被災された皆さまには心よりお見舞い申し上げる。
 私は1992年から95年の明大商学部時代、園田さんとは同じクラスであり、出席番号順で私の前の席
であったため、特に最初の2年間は、ずっと園田さんの後ろ姿を見てきたようなものである。
 

 地元札幌の高校時代は、文系クラスで女子が多いにも関わらず、全く挨拶もされなかったため、今となっては(社交的であるほんの一部の心ある女子を除いては)、話ができる女子はいないが、私が学生時代を通して、まともに話ができた女子は園田さんだけであろう。
 園田さんは、団塊ジュニア女や札幌の女子特有の、よそよそしさや排他性が全くなく、胆力のある立派な女性だった。
 それゆえ、私個人の主観としては、熊本豪雨被害では、熊本一の名士の娘である園田さんの顔だけが思い出されるのである。
 熊本地震の折にも触れたが、園田さんの思いいかばかりかと。

 また、近年相次ぐ西日本の豪雨被害について、私は全く無関係ではない。

 それは広島のスピリチュアルの話になってしまうので詳細は省略するが、要約すると、私が広島の平和記念公園で「奇跡の雨」に遭遇し、そこで得た強いインスピレーションを元に作った「リトリーバル」という曲がYouTube上で数人の外国の人から、感想をもらったため、「一前衛芸術として、広島の人に聴いてもらわないと意味がない」と思い、広島市のホームページにお金を払って広告を出そうとしたが、すべての要件をクリアしていたにも関わらず、「松井市長の本人都合」ということで却下されてしまい、その事務的な断りの返事が私の家に届いたまさにその日に、一連の西日本豪雨の発端である2014年の広島でのありえない記録的な集中豪雨が起こり、当時は「松井市長の人災である」と叩かれたのである。
 
 私は別の意味でも、松井市長の人災だったと思う―。
 その集中豪雨から「線状降水帯」という言葉が広まり、その年以降、西日本の豪雨災害は続いているのである。
 そしてそれと符合するかのように、私は、私の中の神からの啓示と言うべき、そして被爆された方々の思いともいうべき「リトリーバル」という曲を、私から見て、広島のことを思わない松井市長からの拒絶以降、依然世に出せていない。無論、あくまで私の主観である。

 だが、こうした豪雨災害が二度と起こらないためにも、時の権力者からの心ない対応にめげることなく、広島の暗示的な雨によりインスピレーションを得た「リトリーバル」という曲を、いずれ日本の人にも聴いてもらうため、世に出さなければならない。
 

 そうした毎年のように続いている一連の西日本の豪雨の中で、今年の熊本豪雨被害は、7割方完成していた川辺川ダムがあれば被害は食い止められたが、緊縮路線によって2008年に計画が中止されており、もし中止していなければ、たった1100億円の予算で2017年には完成していたという。

 ところが地元住民や熊本県民がなぜか「脱ダム」に傾き、その民意を受けた蒲島知事が川辺川ダム建設を途中で中止してしまったため、人災とも言われている。

 

 人災と言っているのは、大手ゼネコン・大成建設の代表で、技術畑出身である経団連の山内隆司副会長だが、蒲島知事による「ダムによらない治水」は(2008年から2020年の)12年では絶対にできない。
 

 藤井聡氏によれば、「ダムによらない治水」の選択肢として、放水路(もう一つ川を作る)は工期が45年で、ダムの4.5倍、予算が8200億円、引堤(「ひきてい」、川の幅を広げる) は200年かかり、遊水池(広い池を作る)は工期100年で、1兆2000億円かかるという。

 「ダムが一番現実的な治水である」と技術者である山内副会長は言いたいのだ。

 

 また今回の熊本豪雨被害は、ダム建設に反対だった地元住民や熊本県民の責任と言えなくもないが、ダム中止が決まった2008年は、小泉・竹中による新自由主義的な緊縮財政を支持している国民が多数であり(今も?)、つまり政治に関心のない人や詳しくない人が、当時の緊縮的な政権に乗せられてしまったのである。

 したがって小泉・竹中を礼賛してきた(今でいう小泉進次郎であったり、杉村太蔵などのバカな「小泉チルドレン」ばかりをテレビに出している)「メディアの責任」なのである。

 

 また、長年放送された「サンデープロジェクト」に出演していた竹中平蔵を見て、彼を信用してしまった国民も少なくないだろう。

 事実、竹中平蔵は「サンデープロジェクト」の出演によって知名度を上げて、政府中枢に食い込んで行ってしまったのである。

 そして彼らが進めた郵政民営化によって、日本の国富であるゆうちょや年金が外債や株式(日本には関係ない)に運用されて、日本国民に資金が還流せず、コロナショックにあっても、思い切った財政出動が全くできなくなってしまった。

 

 日本は対外純資産364兆円で、世界一お金持ちにも関わらず、辛坊治郎、村尾信尚、稲田朋美ら心ないメディア人間によって「国の借金1000兆円」とウソをついて国民をだまして、ダムなどの公共財を作るためにお金を使わず、それでいて国民からたくさん消費税を取り、過去最高益を叩き出している大企業から取るべき法人税を極限まで下げて、かつコロナショックや熊本豪雨のような大災害が起きても、十分な財政出動を行わない―。

 

 このようにメディアが国民を殺しているのである。 
 

 

 

 

 

 

 

 

■ 私が本ブログに「成人教育」と銘打つ理由について


(2020年 7月27日 朝日新聞)

 

 

 私がブログにあえて嫌われるために「成人教育」と銘打つには理由がある。
 当然、無闇に成人である人さまの内心に立ち入るということでは全くない。
 むしろ、私は非道徳な人を見ても、注意したことが一度もないほどである。

 ただ、私がこのようなことを書かなければならないのは、児童虐待やDV、また、相次ぐ公職者や公人の犯罪によって、その必要性が高まっているためである。
 

 まず、社会学者の代表格であるデュルケムが「もし道徳的環境が腐敗していれば、教師自身もそのなかに生きているのであるから、かれらにもそれが浸透しないわけにはいかない。」と言うように、すべての日本国民は、無哲学な戦後知識人によって、戦後70年もの間、道徳が排除された社会において、同様に道徳を排除してきたテレビ、新聞などの系列のメディアの影響下にある。

 つまり私は、「まず一般国民のような私人ではなく、社会全体に対して影響力のある著名人も含めた公人や公職者に対して教育すべき」と言っているのだ。
 

 だが無論、児童虐待やDVをするのはほぼ「私人」である。
 ただ、すべての男親を、表面だけで判断して、やみくもに教育することはできないし、また、本人の気づきがない以上はやっても無意味である(無論、少数ではあるが、女性による児童虐待やDVもある)。
 

 だが、私から見れば、答えは簡単。

 悪感情を抑えることと、そのための理性の必要性である。

「感情を宥(なだ)め、抑えるうえでの人間の無力を、私は「奴隷状態」と呼ぶ。
じっさいもろもろの感情に服する人は自分を支配する立場になく、偶運の支配下に置かれているからである。」

「『スピノザ エチカ抄』 佐藤一郎 編訳 みすず書房」
 

 朝日新聞やテレビ朝日、田原総一朗や橋下徹といった、すべてのメディア、すべての知識人が、法的拘束力のない「道徳」を、徳川幕府下における、国民に身分制度と男尊女卑を強いた林羅山の儒教(孔子の主観的な道徳)や、そのような儒教を元にした、戦時の国体的な修身と混同して、哲学、社会学、社会思想に基づく普遍的な道徳倫理までをも排斥してまったわけである。

 このような道徳を排斥する戦後の流れを、亡くなられた西部邁さんは、「国民の道徳」で懸念していた。

 

 そして社会から道徳を排斥することによって、社会全体の道徳が退廃していき、児童虐待やパワハラ、あおり運転が激増して、体罰禁止の法律 DV防止法 パワハラ防止法、改正道路交通法によるあおり運転の厳罰化など、皮肉にも、リベラルを自称する戦後左翼、すなわち日本の全メディアが、ひとえに彼らの無知無学ゆえに、法的拘束力のない道徳を排斥してきたために、いたずらに法権力を拡大させてしまい、国民の自由がなくなってしまったのである。

 

 我々日本人はバカ過ぎる戦後メディアを信じてしまったことで、悪いことをした子どもの手を軽く叩いただけでも違法であり、バカ人権主義の時代によって、新入社員に対する指導における裁量の自由もなくなり、また、信号の変わり目などで、偶然前の車との車間距離が詰まってしまっただけでも、前の車に乗っている人に道徳がないなら、あおり運転としてほぼえん罪として処罰される危険のある、自由のない国になってしまったのである。 

 

「法律的条項をもうけることによっては、どのみち人びとの道徳的感受性をめざめさせることはできないだろう。
…社会じたいが改革されないかぎり、教育の改革も行われえないのである。」
 (デュルケム)

 

 児童虐待、あおり運転、パワハラ、ネット上の誹謗中傷という今日の道徳退廃の窮状の中、私がNHKに対して「哲学に基づく道徳の番組を作らせてほしい」という投書をしたが、NHKは、私には一切の返事をせず、その数カ月後から、突如、哲学に関する人生相談の番組を始めたが、内容を見る限り、正直、「全く」的を射ていない。…というか、何も言っていないに等しい。
 

 むしろ番組内で取り上げられた哲学者や、道徳それ自体が誤解される懸念があるほどである。
 

 表面的(対外的)な学位のためではなく、先天的な才能や問題意識、洞察力によって、多くの哲学書を読み漁(あさ)った者でなければ、哲学や道徳の真意を伝えることなど毛頭できない。たとえ肩書きだけがある人たちを集めても、問題提起の張本人であり、現状認識があって、洞察力があって、卓越した知恵のある私がいなければ、それらが全く微塵もない、「肩書きだけ」の彼らだけでやれることなどほとんどないのである。

 そもそも「道徳が必要」とすら思っていない人たちに一体何ができるんですか? と。

 いい加減、これくらいのことは、メディアの上層部にいるバカ唯物主義の団塊世代にはご理解していただきたいものである。

 

 日本哲学会を見てきてつくづく思うのは、私は博士号や学位を得るためであったり、論文を書くための形式的な哲学であるとか、たこつぼ化した(たとえば、日本のほとんどの哲学者は社会学や社会思想を顧みない)、詰め込み型の、いわゆる日本流で現代流のアカデミックな彼らの哲学とは全く完全に異質であり、私の場合は、私自身がそもそも哲学に関心があるというわけでもなく、数ある私の驚異的なシンクロニシティの話をしたら、また前世の話と同様、嘘くさいと言われてしまうからしたくはないが、クリスティアーノ・ロナウドが自分で自分のことをそう言うように、神から与えられた(Godgiven)才能のインスピレーションによる、老子で言う「道」やスピノザやヘーゲルで言う「必然」に彩られた、縦横無尽なスタイルなのである。
 それはニーチェが「感覚も精神も、道具であり、玩具なのだ。それらの背後にはなお本物の『おのれ』がある。」というように、「背後の私」であり、かつ、フーコーの理性よりも深い源泉の、本質的に語られないものである「狂気」、決断である。
 それは「三橋が勝った」とか「倉山が勝った」とかいう、論争における他者との比較、相対的な優劣、勝ち負けの次元ではないのである。
 

 たとえるならNHKは、番組作りを提案したX JAPANのYOSHIKIを、簡単に呼ぶことができるのに、あえて現場だけの判断だけでYOSHIKIを完全に無視して一切参加させず、NHKだけで、YOSHIKIとYOSHIKIの作曲した楽曲を入れずに、X JAPANの番組を作るようなものである。

   

 DVに関しては、「道徳全否定」の朝日新聞が、どんなに全共闘世代のバカ御用(ごよう)学者を利用して、ない知恵を振りしぼって、倒錯したことを喧伝(けんでん)しようが、児童虐待と同様、加害者である親、主に男親の道徳の問題、ただそれだけである。

 

  DVについては「加害者更生が鍵」というか、それしかないのである。

 イコール 成人教育である。これで私のモットーに問題はないだろう。

 無論、前述したデュルケムが言うように、今の日本は「社会の道徳的環境が腐敗」しているので、私がNHKで道徳の番組を作ろうと考えたのである。だが無視されている。
 

 日本の戦後左派マスコミは、日本の社会秩序を破壊するスウェーデンの悪法を「押し付け」て、現実的に日本の自由を奪おうとしているが、道徳に必要なことは、そのような彼ら戦後左翼メディアの「押し付け」ではなく、「道徳」という言葉を、国民、特に若者や団塊ジュニアの女性、80年代生まれの女性、団塊世代の男性など、道徳に否定的な社会の構成員に対して、露出させることである。それが「社会に対する影響力」となるように。

 

 

「今日では、いかなる場合も、…一定のものの考え方を強制的に押しつけてはならないということは、
…万民の認めるところとなっている。」
(デュルケム著 麻生誠/山村健 訳「道徳教育論」)

 

 日本のメディアが、当たり前であるような、「道徳の必要性」に言及することとはほど遠いが、道徳全否定の、最も重要な真理を最も無視する、頭が焼かれたような社説しか書けない朝日新聞にあって、この記事の杉原里美さんという専門記者はまともなようである。
 
  朝日新聞を始めとするメディアが、もし自分たちの生き残りを図りたいというなら、崩壊した自分たちのイデオロギーを捨てて、もう少し哲学を勉強して、日本国民のために(無論、市民でもいいが)、普遍的な真理を直視することを願う。

 

 

 

■森友事件 

 

(7月28日 YouTube 「森友事件の解明はこれからです ついに籠池泰典vs酒井泰生弁護士が法廷で対決/立花孝志」 より)

 

 

 7月28日にYouTubeで、立花孝志氏に、私が作成した森友事件の人物相関図を使っていただいた。
 

 元維新の衆院議員である上西小百合さんによれば、維新が私立の小学校の授業料無償化を進めて、教育利権を得ようとしていたが、2017年2月9日に朝日新聞によって国有地の売却問題が報道されたため、松井府知事は森友学園に認可適当を出していたにも関わらず、一転して籠池理事長に批判的になり、さらに維新の青年会議所の酒井弁護士が籠池氏をそそのかして、籠池氏に認可申請を取り下げさせたことによって、松井大阪府知事は、森友からの損害賠償を免れた。
 

 その後も、維新との接点が疑われる元・整理回収機構の疋田(ひきた)管財人が、なぜか酒井弁護士を訴えず、立花氏が寄付した、森友の負債を返済するための8400万円を受け取らず、森友学園の破産を進めている。
 

 籠池氏・立花市・私は「業者ルート」だが、「主犯」はどう考えてもこっちであり、朝日新聞や文春などのメディアや相澤冬樹記者が取り上げている「財務省ルート」は、「役人がだまされて8億円を値引きさせられた」という単なる「実行犯」に過ぎず、ましてや背任でもないので、改ざんと赤木さんの問題以外は重要ではない。

 わかりやすく言えば、今までメディアは、銀行強盗をした犯人を責めず、銀行強盗に強要されて8億円を出さざるを得なかった銀行員だけを責めていたのである。だからこの問題は何一つ解決していないし、この国では銀行強盗をした犯人が守られる状況があると…。

 森友問題の核心は、偏向メディアが取り上げている、表面的で反国家権力(左翼)的な「財務省ルート」ではなく、メディアや野党が絶対に触れられないタブーも含んだ「業者ルート」にある。
 逆にこっちの「業者ルート」を追及していかないと、籠池泰典・諄子被告だけがえん罪になる。
「財務省ルート」しか報道しない、つまり真相を報道しない(立花氏に取材しないし、テレビにも出さない)メディアは、籠池被告のえん罪に加担しているようなものである。

 そして2年前に立花氏が、菅野完(たもつ)氏とそのタブーを話題にしている時点で(もちろん籠池氏や ※朝堂院氏 もよく言及しているので、全く問題ないハズだが)、左寄りのBPO(放送倫理・番組向上機構。道徳も倫理もクソもない。テレビ局の出向から成る)がまさにそのタブーだけのためにあるような組織なので、したがって立花氏が全くテレビに出られず、真相解明が全く進まなかった、と。

 

 

※YouTube 朝堂院 大覚 「食肉ヤクザ「ハンナン事件」の同和の浅田・岡田氏と高校時代に女性を殺○た松井一郎, 大阪市長の接点とは?【実践実学大学】 」 より抜粋  
https://www.youtube.com/watch?v=CteiJKd0K_A


「かつての大阪府は、肉屋行政と言って、ハンナン畜産、浅田(満)によって、全てが牛耳られる。
 横山ノック、そして太田、これらのハンナンの傀儡(かいらい)知事として、表に立っとったわけだが、実際、裏で、ハンナンの意向通り、権力を持って利権を追求したのは岡田(進)という府会議員がおった。

 元々は岡田とは、船子川(?)一家の若い衆で、暴力団からのし上がって、府会議員になり、それでハンナンの府会議員団を作った。
 この頃の大阪府は、無茶苦茶なことをやっていた。だが府営住宅で、ドーンと3DK作って、ハンナン畜産の社員たちは、また関連の人間は、その府営住宅の3DKを月3,000円で借りるという。

 だから3,000円払えば、3DKに住めるというもんで、それは困った人たちに貸す名下(めいか)で、そういう相場にしたんだろうけど、弱者救済という。

 でもそれを全部ハンナンが使っているわけだ、府営住宅を。
 ハンナンは弱者どころか、山口組五代目渡辺と組んだ強者ですよ。

 もう、好き放題、大阪を荒らしまくったわけだ。

 だがそういう無茶苦茶な税金泥棒が、大阪だけではなく、全国で同和行政の、いわゆる暴走が始まっとった。

 だからそういう中から、横山ノックが辞め、太田が知事になって辞め、太田が辞めるのは橋下徹が勝ったからですよ。
 そこで橋下徹にピタッと府会議員に入り込んできたのが松井一郎ですよね。
 高校時代に女を殺して、大阪から福岡方面に逃げてた奴。

 この松井一郎がパッと橋下の支持に回った。

 松井一郎がなぜ橋下の方にパッと行ったかっていうと、ハンナンは府会議員では岡田です。

 松井も同和ですけども、岡田のグループにはいじめられてる。

 ハンナン岡田で全部押さえているわけだから。

 そこへバーンと、まぁ、なんでもやるぞという、ムダは省くぞと、汚職は許さんぞという、正義感の強い、橋下がバーンと知事になったことによって、岡田の自由にならなくなった。

 岡田は今まで通り行かない。それを見た松井はパッと橋下支持に回った。

 そして結局ハンナンを駆逐したわけだ、これで。橋下と松井によって。

 同和同士の勝負によって、橋下と松井が勝ったわけ。

 だがこれが一つの、大阪の改革につながったわけです。」

 

 

 このように日本のテレビは公共の電波を使っている公共放送にも関わらず、経営上も外国に乗っ取られているのはもちろん、古いイデオロギーに取りつかれて、森友事件のようにBPOの影響で恣意的に重大事件の真相を隠して、政権打倒のためだけに恣意的に報道していることからしても、また、道徳・倫理の必要性を一切報じない観点からしても、そしてそれによって、スウェーデンの悪法を日本に押し付けて、日本の自由と社会秩序を破壊しようとしている観点からしても、さらには我那覇真子さんのような保守の人が受けている誹謗中傷とネットリンチは一切報道しないことからしても、さらには竹中平蔵、橋下徹など、新自由主義(格差・売国)の論客ばかりを出演させていることからも「国民だましの偏向報道しかなく」、あらゆる視点からの情報があるネットよりも、見るべきではないことが証明されたのである。
 

 無論、ネットにはフェイクニュースや誹謗中傷の問題があることもさることながら、さらには多くの保守論客がバラバラにチャンネルを持ち始めて、一堂に会した討論会や、民意を反映させた、政治的なまとまった動きが皆無となってしまった。

 早晩、日本は知らないうちに、外国に乗っ取られることになる。
 

 三島由紀夫が信奉したバタイユ哲学的に言えば、経済的に蓄積された余剰エネルギーは必ず蕩尽(とうじん)されなければならず(アメリカの原子爆弾のように)、中共は(石平さんが言うように)、日本が橋下徹ら中国寄りのメディアと親中派の二階派によって混乱し、アメリカがコロナと黒人差別に反対するデモによる分裂の混乱の間隙(かんげき)を衝(つ)いて、必ず尖閣を取りに来る

 

 


 そしてその時にはもう遅いと。