8月29日 安倍首相辞任/渡辺恒雄主筆の道徳/木村花さん誹謗中傷対策/男系女系論は無意味 | 高澤 一成 「真の哲学者とは」

高澤 一成 「真の哲学者とは」

■哲学・社会学・社会思想に基づく「社会衰退の克服論」
■成人道徳教育(啓蒙)の必要性と、道徳と自由の両立

 

8月29日 安倍首相辞任/渡辺恒雄主筆の道徳/木村花さん誹謗対策/男系女系論は無意味

 

(8月9日   NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治」より) 

 

 

 

 

■安倍首相辞任  ~新自由主義と反日の悪夢増幅へ~

 

(8月29日   朝日新聞) 


 8年に渡る長期政権が終わった。安倍首相の会見は終始道徳的であり、主に80の国と地域の訪問や、2016年と2019年のサミット、さらにはアメリカとロシア・中国・イランとの仲介、橋渡し役など、外交で成果を残し、最長の在任日数を記録した総理の激務に耐えたことは一定の評価に値する。
 だが…。
 安倍首相が辞めたからと言って、新自由主義や緊縮増税の悪夢が終わるわけではない―。
 安倍首相は「3本の矢」に財政政策を入れて、むしろそれらに抵抗した方。
 ところが総理の後任に有力視されている石破、岸田共に「ド」が付くほどの緊縮派であり、これから国民にとってさらに貧しくなる未来が来るだろう。
 石破氏の地元鳥取は、三橋貴明氏によれば、私の地元青梅と同じく、シャッター街と化しており、荒れ果てている。
 石破氏の地元鳥取は、沖縄の次にインフラが整備されていない都道府県であり、貧乏である。
 私の地元は緊縮増税の麻生太郎財務大臣の派閥の重鎮である井上信治の選挙区だが、青梅駅前で写真を撮ろうとしただけで、自治会の高齢者たちに怒鳴られるほど、駅前がシャッター街と化している。

 

  

  青梅駅前  (2019年7月)

 

 その麻生太郎氏は、百害あって一利ない、外資のための水道民営化を進めており、これで地方には水道が行き渡らなくなり、むしろ安倍首相の辞任によって、日本は竹中平蔵路線を猛進して、新自由主義や緊縮増税の悪夢がさらに加速されるだろう。

 自民党による日本人の国富と、郵政、農協、公共サービスの破壊が。
 日本はさらに「アメリカの経済植民地」として、一般国民はテレビと自民党にだまされて、外国債と株式のために搾取され続ける―。
 世論調査で次の総理に、石破や小泉進次郎を選んでいる時点で、有権者の99%が政治を全く知らないのである。

 ただ、「親中派」の二階派と「外資系」の菅義偉のグループからは総裁選に立候補する者はいない。

 それぞれ秋元司と、河井克行・案里夫妻という「逮捕者」が出ているためだ。

 但し、菅義偉氏に関しては、総裁選に名乗りを上げる可能性があると報じるメディアもあるが、菅グループでは河井夫妻以外でも、菅原一秀経産相が有権者買収疑惑でスピード辞任しており、「政治とカネ」の問題がつきまとうため、難しいだろう。

 

 そして健康問題による安倍首相の突然の辞任は、長期政権の後ろ盾となった二階俊博氏の責任が大きく、かつ安倍首相に代わる有望な人材が党内にいないという事情もある。

 それだけ外圧、外圧、外圧で、日本の政治には「全く選択肢がない」ということだ。

 

 もっとも、マスコミが絶賛した小泉純一郎の「郵政民営化」とは「ゆうちょ外債化」であった。

 郵便事業なぞ全くどうでもよく、国民のゆうちょとかんぽ300兆円をだまし取りたかったというだけなのである。

 その辺りから日本の政治家はおおよそ死んだ方がマシというようなペテン師どもになった。

 

 外国の要求を120%受け入れるような世襲政治家では「絶対に」この国は救えない。

 日本は絶対に戦争をしてはならないが、三島由紀夫が目指したように周辺国に対して軍事的プレゼンスを示すか、もしくは哲学があって欧米にレスペクトされる徳川家康以来の異端の歴史的リーダーが現れるかして、経済的にも軍事的にも独立しなければならない。

 いつまで日本は、莫大な国富や(北方)領土を他国に奪われ続けなければならないのか? 

 

 「中道・反緊縮増税」は、玉木雄一郎氏だけであり、私は全身全霊で玉木氏を応援するが、やはりすべての外圧と、その傘下にあるような新自由主義の悪徳大企業や連合を敵に回せば、彼一人では持ちこたえられないだろう。

 

 日本を救えるのは世襲議員でも官僚出身者でも法律家でもない。

 かなり異彩を放った、異色で異端の、欧米諸国にレスペクトされるような、哲学のある政治家でなければ、現状を変えることは不可能だろう…。

 そして、国富の大半が外国に奪われつつあるということすら知らない日本の99%の有権者が、そうした政治家を、仮にいたとしても、選ぶことはまずもって不可能だろう―。

 

 かつてはゆうちょや年金が、投資財政投融資(国土の開発、港湾設備、社会的インフラの投資)として地方に回っていたが、小泉純一郎が手を付けた国民のゆうちょに続いて、安倍首相が今度は国民の年金を海外の株式市場に投じたため、云十兆円というお金が国民に還流せず、景気が悪化し、かつ国民の財産である年金の積み立てのうち14.8兆円損失して、受給額に響くことさえ知らずに、国民は安倍首相を手放しで礼賛している(さらに今年1~3月だけで約18兆円の損失)。
 旧森派の世襲政治家たちは、国民のことを「¥」としか見ていないのである。 

 「ゆうちょを奪われ、年金奪われ、小泉-安倍を応援している日本人。」

 そしてそうしたお金は、アメリカの99%の貧しい層ではなくて、ブルームバーグのように一人で5兆円以上も持っているような、アメリカの1%の富裕層に行くのである。

 

 それだけのお金があればどれだけの日本人を救えると思う? 

 アメリカのために使えなくなっている日本人の資産である米国債がザッと120兆円。

 日本の子どもの7人に一人が貧困であり、母子家庭の半分近くが貯金50万円以下。

 今はコロナ禍だから、もっとヒドい。

 それだけのお金があれば、いったいどれだけの日本の子どもを救えると思う? 

 執拗に郵政民営化に賛成した安倍晋三と小泉進次郎と菅義偉に私は問いたい。

 

 尚、「幼児教育の無償化」を、安倍政権の実績として挙げる人もいるが、玉木雄一郎氏によれば、保育料はすでに所得に応じて決まっているので、低所得層が安い保育料で済んでいるため、一律で無償化にしてしまうと、高所得者だけにメリットがあって格差は埋まらず、やはり金持ち優遇の政策でしかないため、「ムダなバラまき」なのである。


 日本国民は、アメリカと財務省と大企業寄りのテレビ・マスコミが、辛坊治郎や村尾信尚を使って「国の借金1000兆円」というデマを流布してだまされ続けているが、そうした新自由主義勢力の一方で、それとは別に、反日と日本の社会秩序を破壊するためにテレビと新聞を支配する中国、韓国寄りの勢力もあって、日本国民は「完全に内憂外患、四面楚歌」である。

 「日本のテレビには新自由主義(緊縮増税)と、反日しかいない。」

 法人税を極力払わない大企業と、中国・韓国がテレビを支配しているためである。

 日本は、少なくともテレビの中は、列強に分割支配されているアヘン戦争のころの中国みたいな状況である。

 今の日本の対外純資産は364兆円もあり、歴史上世界で最も裕福な国である。

 しかし、安保法制や強固な日米関係と引き換えにあまりにも莫大な国富をアメリカに明け渡し過ぎた。

 安倍首相は「改憲を目指す」ということで、支持する保守層も多いが、あまりにも「奪われ過ぎ」である。
 今の日本は、18世紀にイギリスの東インド会社に搾取されていた植民地のインドよりもひどい。
 無論、同じ日本でも、法人税をほとんど払わなくなってしまった大企業は搾取する側である。

 我々一般国民は、ソフトバンクグループがほとんど払っていない法人税を消費税という形で払わさせられている。子どもまでもが。そしてそうしたツイートをするとすぐに大企業の手先のような匿名のやつから、私のツイートを全否定するような物知り顔の反論ツイートが付く。

 しかし法人税が下がった分だけ消費税が上がったのは事実である。

 
 消費税10%は一般国民の年収の一カ月分弱になる額である。
 また、男女共同参画という不要なジェンダーの陰謀によって、女性が結婚するのではなく、無理矢理自立させられて、少子化で人口が減少する時代に、見せかけ上の世帯数を増やして、従順な女性からNHKの受信料を徴収して、NHKが1兆円近くまで不用に資産を増やして、そのお金がサッカーワールドカップの放映権料でFIFAに行って、海外のセレブの蓄えとなり、また、他の特殊法人に行って天下りの蓄えになっている。

 最近のニュースと言えば、選挙目当ての立憲民主党の新党合流だが、国民民主党から、屋良朝博議員などの「反基地」の党員や、比例復活した労組寄りの日和見(ひよりみ)組が抜けて、「中道・減税」のまともな政治家だけが残ったことで、私としては、ようやく支持できる政党ができたタイミングでの、安倍首相辞任だった。

 玉木雄一郎氏は、元財務官僚であり、財務省を敵視する経済評論家とは異なり、現実的な実務能力と財務省を説得できる立場にあって、かつ新自由主義ではなく、私と同じ福祉国家を目指しているため、「反基地」を中心に据えて、共産党に近い山本太郎氏よりは支持できる。

 安倍政権の安全保障と外交は、北方領土問題を除けば、ある程度評価されるべきだが、経済政策は正直、最悪のものだった。その一つが昨年の消費増税であろう。
 しかしNHKでさえ、二度に渡る消費増税を「安倍政権の成果」に上げているから日本のテレビは完全に頭がおかしいとしか言いようがない。

 このような国民だましの報道を続ける、国民の方を全く向いていない、1兆円近くを貯め込む犯罪組織NHKには受信料は払わなくてよい。

 

 また、「評価されるべき」とした外交についても、安倍政権によって確かに日米関係だけは強固になったが、米国の武器の購入、基地負担、日米FTA、米国債で、完全な「ぼったくられ外交」であり、ケタ違いの高い代償を払っている。

 これが今のスイスみたいに周りを平和的な同じEUの国に囲まれていたなら、タダで済む。

 さらに堤未果さんによれば、アメリカによって、他国の3~4倍の値段で無理矢理買わされていて日本の高齢化以上に医療費40兆円の大きな負担になっている新薬と医療機器も含めて、日本が平和のためにアメリカに脅されて払っている代償は、三島由紀夫が知ったら発狂するくらい、あまりにも高過ぎるのである…。

 

 自主独立した日本の国益を守っているとは到底言い難く、完全なアメリカの属国であり、事実上の経済植民地なのである。小林よしのり氏が安倍首相のことを「親米ポチ」と表現するが、それでも完全に生ぬるすぎるのである。

 日本人の国富の奪われ方ハンパないって。

 

 そしてロシアのプーチンとは30回近く首脳会談を行ったが、山本太郎氏に「支店長(安倍首相)はもういいから本社の人間(アメリカ)を呼んで来い」と揶揄されるように、北方領土問題は一歩も前進しなかった。 

 

 一方、マスコミが口を酸っぱくして問題視した日中関係、日韓関係、拉致問題は、私は全く問題とは思わない。なぜなら、日本の側からでは全くどうしようもない問題であるためだ。

 米中関係がさらに悪化すれば、中国と仲良くなれるし、南北関係がさらに悪化すれば、韓国と仲良くなれるという、ただそれだけの話であって、日本が時間とお金を割く意味はないように見えるから。

 つまり完全に相手の問題であって、中国、韓国、北朝鮮の問題は、誰が総理をやっても関係ないのである。

 ただ、ロシアはどこと仲が悪くなっても、北方領土なんて返すわけないから、日ロ首脳会談なんて完全に時間とお金のムダなのである。逆に「日本とうまく渡り合っている」ことをロシア国内や国際社会に見せることで、プーチンの独裁政権を長引かせるのに加担している分マイナスである…。

 

 

 国民の生活に直結する増税が見事にコロナと重なって、レジ袋有料化とも重なった。
 それでも、麻生財務相は消費減税に後ろ向きであり、自民党内から減税を求める100人前後の国会議員の造反が出たが、安倍政権では減税できなかった。

 消費増税のタイミングがあと1年先だったら、コロナの影響で間違いなく延期されていたから、観光や飲食を始めとする日本経済の景気を直撃して、最悪の相乗効果だったと言わざるを得ない。
 ましてや安倍政権はTPP推進であり、日本の農業を事実上切り捨てることが決まっていて、日本で優遇される業種は、竹中平蔵ら新自由主義を信奉する、道徳のないレントシーカー(自らに都合よく規制を緩和して特殊な利益を求める人物)に限られているように見える。
 

 そして大企業だけがスポンサーである日本のテレビは、完全に新自由主義寄りなのである。

 もちろんイデオロギー的には安倍首相を応援せざるを得ない。
 なぜならテレビ民放は、中国海警局の公船が毎日尖閣沖に侵入していることを「一切」報じない。
 つまり、マスコミの報道姿勢は、尖閣沖で起きた中国漁船の衝突事件で、当時海上保安庁にいた一色正春さんによる映像流出による内部告発の頃から悪化していると見ていい。

 

 日本は完全に終わっているのである。

 まさに一億総白痴化。

 99%超の有権者がそのことに気づいてすらいないことが終わっている。

 

 最後に森友問題について、多くのメディアで書かれているが、率直に言って安倍首相が主導した事件ではない。資金の乏しい維新や橋下徹氏についても、特に彼らだけが悪いとも思わない。

 森友問題については、根本問題であるご当地の業者の問題について、この国で追及していくのは不可能であり、かつ反日寄りの勢力が、メディアを使って反安倍の印象操作で利用しているに過ぎない。

 

 また、暗い話や、愚痴みたいになって申し訳ないが、私が日本が置かれている現状と、安倍政権を振り返って思うところは以上のようなことである。

 

 

 

■読売新聞代表取締役主筆 渡辺恒雄さんの道徳  ~初心に返って~ 

 

(8月9日   NHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治」より) 

 

 私は前回の記事で本ブログをやめようと真剣に考えていたが、前記事は、「チャンネル桜と我那覇さんの内輪もめ」であり、哲学や道徳とは全く関係なく、かつ、最近は政治に関する時事的な記事ばかり書いていて、本ブログの主旨を逸脱していることが多かった。

 

 私がホームページを作って投稿を始めた2005~2006年くらいは、哲学についてしか論じてなかった。

 それが加齢や時代の流れとともに逸脱してしまうものである―。

 まぁ、でも「チャンネル桜と我那覇さんの争い」という、私とは全く関係ない、ほとんどの読者にとっても関心のない不本意な形で、ブログを終わらせるのも、道徳のない今の時代を象徴していて仕方ないと考えていたところ、たまたま8月9日のNHKスペシャル「渡辺恒雄 戦争と政治」を視聴して、ナベツネさんが私と全く同じ「哲学と道徳」をよりどころとしていることを知って感銘を受けた。

 

 私の考えを理解できるのは、公の場では、94歳になるナベツネさんしかいないのである。

 

 そして、同番組は「やはり私のブログは哲学と道徳以外ありえない」ということを気づかせてくれたのである。

 (まぁ、上の項でNHKを批判したばかりなんだけどね)

 

 ここでは私が先日ナベツネさんに送った番組の感想文の要約を紹介する。

 

 なにしろ手紙を出す相手は、戦後最大の実力者であるため、下手な本を書くよりも神経を使い、かつ久しぶりに長文を書いたため、何度も何度も文章を書き直したり推敲することで、大変有意義な勉強となった。

 

「まず先日のNHKの番組「戦争と政治」で、ナベツネさんが大学1年で陸軍にご入隊された時、哲学者カントの道徳律を身上とされていたことを知り、感銘を受けた。

 なぜかと言うと、ナベツネさんが同じ道徳であっても、当時国民に強いられていた主観的な儒教を元にした国体的な修身の道徳ではなく、哲学における普遍的な道徳を大切にされていたためである。

 カントの道徳律と言えば「定言命法」が有名だが、カントはまた、「純粋理性批判」や「永遠平和のために」の中でも、道徳の必要性について言及している。

 そして私のよりどころである身上も、ナベツネさんと同じく、「哲学と道徳」である。

 しかしながら今の日本では、それらが完全に潰えつつある。

 

 (中略)

 

 道徳の必要性については、カントのみならず、ほとんどの哲学者、そして主要な社会思想家、社会学者が言及している。

 価値観が相対化して混乱していたポリスの中で、道徳を普遍的なものとすることで哲学者足り得たソクラテスに始まり、アリストテレス、スピノザ、カント、ヘーゲル、ニーチェ、西田幾多郎、また経済学者、社会学者、社会思想家などでも、ルソー、アダム・スミス、J. S. ミル、デュルケム、マックス・ヴェーバー、レヴィ=ストロースなどが道徳の必要性を説いている。

 さらに現代においても、カレ・ラースンやマイケル・サンデルが道徳の必要性を強調している。

 また私は、普遍的で哲学的な道徳を説いた宗教家として、老子、キリスト、聖パウロ、マホメット、日蓮上人を特に重視している。

 哲学と道徳を研究し続けてきた私にとっては、哲学者ヘーゲルと社会学者デュルケムの道徳が、最も普遍的で重要な道徳でありながら、日本で全く取り上げられない道徳であると認識している。

 ヘーゲルは後世に最も影響を及ぼした重要な哲学者とされ、また、デュルケムは社会学の代表格であり、同国の文化人類学者レヴィ=ストロースに多大な影響を与えている。

 しかしながら、道徳に否定的で哲学を知らない全共闘世代が、メディア、学界、財界の上層部にあって、哲学において論じられる普遍的な道徳と、国体的な儒教道徳とを混同してしまい、それゆえに全く顧みられておらず、人格障害、自殺の増加、少子化、いじめ、そして児童虐待の激増やネットの誹謗中傷につながる今日の日本の深刻な社会衰退を引き起こしている。

 そうした戦後のメディアや知識人による道徳排斥の流れについて、故・西部邁氏も著書「国民の道徳」の中で強く問題視している。

 

 (中略)

 

 そんな中、ナベツネさんは、私の記憶では故・中曽根康弘氏と共演された2000年代の日本テレビの番組内において、道徳を重視するドイツの政治家に言及して、政治家の道徳の必要性について発言しており、田原総一朗や橋下徹がテレビで公然と道徳を否定する昨今のテレビでは、私が記憶する限り、道徳の必要性を言及された唯一に近い人物と認識している。

 

 (中略)

 

 今のネットには保守にも左派にも、哲学や道徳がない人が大多数であり、また、そうした人たちだけが、ホリエモンを筆頭に、知名度を活かして、ツイッターやYouTubeなどで、何十万人ものフォロワーや登録者を有して、絶大な影響力を持ったインフルエンサーとなっているため、道徳と哲学を重んじる私は完全に多勢に無勢の状態である。

 また政治家も評論家も自己啓発の人も、各人のチャンネルを持っていて、バラバラにアトム化してしまい、意見が対立する論客同士が一堂に会して議論するテレビのような番組が存在せず、いわばソクラテスが登場する以前の古代ギリシャと同じように、価値観の相対化による混乱状態となっている。

 

 さらにネットは、テレビのような公共財ではないため、西部邁氏が重視したような規準や規範がなく、教養も道徳もない一般のユーチューバーに至っては、文化や教養以前に、道徳を崩しただけのようなコンテンツしか作れず、悪感情を全面に出したり、思いの丈を語るだけであり、非生産的で不毛な炎上商法と誹謗中傷の場となっている。

 

【ネットの否定と、道徳によるテレビの復権について】

 

 そうした状況の中、私は今こそネットよりもテレビに存在意義があると考えており、公共の電波であるテレビが復権するためには、公共性のある道徳しかないと考えている。

 視聴者の際限のない欲望を満たす物はネット上にあふれているから、まだ影響力が残っているテレビの役割とは、どうしても見なければならない災害報道のように、公共性、社会性を重視した番組を作ることであると考える。

 

 道徳は、戦後全くと言っていいほどテレビでは取り上げられず、またそれゆえに、日本は人格障害から児童虐待の激増に至る今日の深刻な社会衰退に瀕していると言える。

 そして、それらの問題以外にも、あおり運転、パワハラ、大企業の不祥事、教師、警官、役所の職員などの公務員による犯罪も含めた、日本全体の深刻な社会衰退を克服するためには、デュルケムの社会学に読み解けば、社会に対して影響力のあるテレビから、哲学・社会学・社会思想に基づく普遍的な道徳の必要性を知らせることであると考える。

 

 テレビ業界の関係者は、「娯楽性がなければ、誰も見ない」と思うかもしれないが、人は愚かではないので、それがいじめや児童虐待、あおり運転の撲滅に直結するのであれば、賢明な日本人の多くが、普遍的な道徳に関する番組を高く評価して、視聴して頂けるものと確信している。

 

 私はNHKに対して、道徳に関する番組作りを提案したが返事はなく、それから数カ月後にNHKで、哲学による人生相談の番組が始まった。しかし、同番組には、第一に今日の社会衰退に対する現状認識がなく、第二に諸哲に対する読解力と洞察力がなく、第三に道徳の必要性を感じていないため、的を射ておらず、つまり道徳の必要性には一切言及せず、むしろ道徳を避けて、哲学を無理矢理、卑近的なものとして取り上げ、さらには潤沢な予算を活かして人気芸能人を出演させることを優先しており、哲学そのものは薄っぺらなものとして軽々しく見せるだけに終わっている。

 

 このようなNHKを含む日本のメディアが国民に広めてきた芸能人の主観的な感想は道徳では全くなく、普遍的な道徳とは、「1+1=2」のような理論的なものである。

 たとえば、2018年度に児童相談所が対応した児童虐待は15万9850件であり、このうち摘発されたのはわずかに1380件であり、つまり残りの99パーセントは理論的に言って親の道徳でしか解決することができない。

 しかし、戦後の日本では、無哲学な左派イデオロギーによって、最初から「道徳だけは排斥する」という結論ありきであり、それによって「児童虐待をしない」という最低限の道徳(ヘーゲルの言う「制限」)まで全否定してしまい、つまり児童虐待が激増した平成の時代に児童虐待を肯定して、さらには児童虐待の深刻化によって、国連左翼から体罰禁止の法律を押し付けられて、親が悪いことをした子どもの手を少し叩いただけでも違法とされてしまい、パワハラやあおり運転も同様に法規制が強化されて、道徳を全否定する左派の人権主義が、朝日新聞やTBSを中心に幅を利かせて、これらのメディアはリベラルを自認しながらも、倒錯したスウェーデンの様々な悪法を日本だけに押し付けて、日本の自由を奪いつつ、社会秩序を破壊しようとしている。

 

 日本の大勢である左派マスコミは、戦後75年に渡って排斥し続けてきた道徳を「押し付け」と言って、私が所属する日本哲学会の学者を含む御用学者を駆使して、やり玉に挙げてきた。

 彼らは欧州の中で近年、「宗教倫理を破壊するもの」として批判されているスウェーデンの悪法を日本だけに押し付けようとしているが、そもそも道徳には法的拘束力がない。

 

 私は一応道徳的な文言の入ったSDGsを全否定するつもりはないが、SDGs(エス・ディー・ジーズ)を声高に叫ぶ朝日新聞やTBSは、女性の側から男性を一方的にレイプ罪に問えるスウェーデンの悪法を日本に押し付けたいだけのように見受けられるのである。

 

 こうした極端なジェンダーの流れは、ヘーゲル哲学を読み解けば、存在意義がなくなった日本の左翼が「ジェンダー」という概念を以て「自己正当化」に利用しているに過ぎず、いわばヘーゲルが批判したロベスピエールのように、道徳なく、概念だけによって、反対する他者を攻撃し、偽善的に大衆を味方に付けようとしているだけであり、さらには日本社会を道徳なく、和解なく、赦しなく、分断し、社会の内部で日本人同士を対立させるための陰謀に過ぎないのである。

 

 事実、国連は女性の権利が全く十分ではない中東やアフリカ、中国ではなく、女性の権利が十分な日本だけに極端なジェンダーを押し付けている。

 

 それゆえに日本の自由と社会秩序を守るためにも、欧米のキリスト教に匹敵するような、強大化した人権主義の流れに対抗する道徳が必要であり、そのために孤立無援で活動していますが、「日暮れて道遠し」であり、未だ何もできていない状況のため、(中略) 

 

 先日のNHK特番で渡辺さんが元共産党員だったことを知ったが、夕張の炭鉱夫だった私の伯父は毛沢東に会ったというほどの熱心な共産党員であり、私の父もまた伯父に勝る共産党員であった。

 

 (中略)

 

【ネットの否定と、道徳による新聞の復権について】

 

 若者から50代の多くが利用しているネットは、北野武氏が著書で「ネットはバカのための拡声器」と言うように、もっぱら誹謗中傷や日本人同士のイデオロギー対立の場と化していて、フェイクニュースもあふれており、社会で共有できる客観的な情報の詰まった新聞とは全く異なるものだと思っている。

 

 こうした混乱の時代において、読売新聞がネットと正反対の役割として、新聞の公共性を重んじて、普遍的な道徳の必要性を広めることができれば、道徳に否定的な他紙やネットと一線を画して、この上ない社会貢献になると確信している。

 

 (以下省略)」

 

 

 

 

■ネットの誹謗中傷対策おける「発信者の影響力」の重要性について

 

(7月5日 朝日新聞)

 

 木村花さんの死により、ツイッターを始めとするネットの誹謗中傷が社会問題となっているが、一概に誹謗中傷を書き込んだすべての人の発信者情報開示を請求するのは、非効率に思える。

 むしろそんなことをすれば、未成年を始めとするネットを利用している非常に多く人を取り締まらざるを得ず、ネット空間での行き過ぎた表現の自由の弾圧になりかねない。

 

 まず、木村花さんを死に追いやったような誹謗中傷とは、フォロワーがほとんどいなくて、「いいね」が付いていなくて、全く影響力のない、どうでもいいようなアカウントの人による誹謗中傷ではない。 

 

 そういうアカウントからの、感情的かつ単発で、明らかに未熟な人による一過性の誹謗中傷は、誰にも相手にされない取るに足らないものであるし、むしろ人としての未熟さを露呈しているに過ぎないし、事実、年端も行かない子どもである場合も多い。

 また、木村花さんのような著名人であれば、その程度の誹謗中傷は職業上の有名税として捉えるしかない。

 つまり、すべての誹謗中傷を一律に取り締まるのは非常に馬鹿げていることなのである。

 

 一方ツイッターには、津田大介氏やホリエモンさんみたいに、顔と本名を公表している著名人ではない一般の匿名の人の中にも、非常に多くのフォロワーがいたり、書き込んだツイートに非常に多くのいいねが付く人もいる。

 そういう匿名のインフルエンサーが、ものすごい速さで誹謗中傷を拡散しているのである。

 木村花さんもそうだったと思うが、人は自分に対する誹謗中傷に、たくさん「いいね」が付いているのを見て初めてショックを受けるはずである。もちろんリツイートも。

 
 私は、(たとえば、右の日本第一党(桜井誠氏)や、左の津田大介氏、町山智浩氏、選挙ウォッチャーちだい氏といったイデオロギー論客の周りにいるような)計算立てて組織的に誹謗中傷をやっている匿名のインフルエンサーにターゲットを絞ることを提案する。
 

 つまり誹謗中傷をしている残りの無名の人たちは、これらのインフルエンサーが作った流れや同調圧力に踊らされている感が少なくないためである。
 

 匿名ながらも、フォロワーが非常に多くて、ツイッター上で大きな影響力を持っている、しっかりしたアカウントの人による誹謗中傷に発信者情報開示を絞るべきである。

 そういうアカウントの主は、未熟な子どもであったり、SNSに疎いネット初心者ではないはずだ。

 

 事実、橋下徹氏が岩上安身氏を「リツイート」しただけで訴えたり、伊藤詩織さんが杉田水脈(みお)さんを「いいね」しただけで訴えており、これらの訴訟がスラップ訴訟かどうかは当事者間ではないとわからないし、今後判例を積み重ねていくのだろうが、これらの事例から言えることは、「発信者の影響力」が問題になりつつあるのである。

 

 無論、感情的かつ単発で、明らかに未熟な人による一過性の誹謗中傷ではない、明確な犯罪予告や、脅迫、根も葉もないデマによるAmazonレビューなどでの営業妨害など、悪質な書き込みについては、発信者情報の開示は進められるべきである。

 

 

 

 

■男系女系論は無意味  「染色体ガー」、「憲法ガー」

 

 最近、青山繁晴さんや門田隆将さん、水間政憲さん、チャンネル桜がSNSで男系論を熱く語っているが、私個人は、日本の神話や神道そのものを「現行憲法ごとき」や「科学ごとき」の下に置くような男系女系の世俗的な議論に与(くみ)する気はなく、先の天皇陛下が譲位をご表明されたように、皇室が表明されることと思っている。
 私は完全な男系論者に違いないが、青山繁晴さんや門田隆将さん、水間政憲さん、チャンネル桜のように、旧宮家を復活させたいためだけに、「現行憲法ごとき」や「科学ごとき」を引き合いに出すことは絶対にない。

 第一、日本の神話や神道を科学的に説明できるわけないだろうと。

 私は科学を全く不完全なものであると考える哲学者であり、江原啓之さんも私に近いのではないかと考えている。
 

 「いくら科学技術が進歩しても、まだまだ知れてるんだよと。
 まだ98%、99%、未知の、哲学の状態で横たわってるんですよと。」
 ( ノーベル化学賞 吉野彰さん夫妻会見 2019年10月10日)

 

 「遺伝子を持ち出すと、皇統の継続という点では、命取りになる可能性があります。
 ミトコンドリアDNAからみると、800年位前、つまり鎌倉時代までさかのぼるとたいていの日本人に血縁があることになります。
 …遺伝学的には皇族とそうでない人たちを区別する根拠がかえって消えます。
 …皇統というのは、そういう問題ではない。十親等離れても八親等離れても大丈夫だというのは、血の濃さではなく、系譜線という幻想です。
 継体帝が武烈天皇から十親等離れた血筋だと言っても、それは「そう言われている」だけで、十親等離れた点を結びつける系図をまともに信じる人などありえない。
 百地(章)先生がおっしゃったように、「そう言われている」のを信じるしかない、ということでいいんです。
 …それが血縁カリスマというものの本質なんですよ。
 遺伝学的な血の濃さを優先してしまうと、厳密な科学的検証が必要になり、科学的検証を経ないものはプロージブルではなくなって、かえって血縁カリスマの継承を阻害することになります。 」
 (社会学者 宮台真司  「天皇と日本のナショナリズム」)

 

 だから、旧宮家を復活させたいためだけに、染色体を引き合いに出して、神社神道を唯物論だけで捉えるような不謹慎で無哲学のバカげた議論に与する気は毛頭ない。

 そして左翼張りに現行憲法だけを盲信して、GHQによって天皇を政(まつりごと)から外すという考えを信奉している自称保守が多いのにも驚いた。

 

 日本国民が作ったものではない憲法なんていくらでも変えられるだろうと。

 無論、今の時代に天皇が政治に関与してはいけないが、日本の安全保障や経済などに全く直結しないような、皇室内だけの皇位継承の問題に関しては完全な当事者であり、先の天皇陛下が国民主導ではない形でやむを得ず譲位を表明されたように、男系が危機に直面する時も、やむを得ず皇室が表明されるべきものと考える。

 事実、国会で皇室典範を改正することによって、現実に適した譲位が実現されている。

 

 無論、男系を守るなら、側室を考慮に入れる以外ないが、そもそも昭和天皇が完全に否定的であり、その流れは変わるものではなく、かつ海外の王室などの国際社会に配慮しなければならず、かつジェンダーに傾倒してヒステリックになり過ぎた今の時代には大変難しい。


 しかし旧宮家は一度民間人になっていて、中には道徳のない傲慢な人や犯罪を起こした人もおり、天皇のあり方そのものを根幹から変えてしまう恐れもあり、また、男系と言っても、600年以上も遡(さかのぼ)るので、そんな重大過ぎることを、一国民が「科学ごとき」を持ち出してエイヤで決めるのはおこがましく、…というか神道全否定であり、やはりどう考えても先に天皇陛下が表明されるべきことである。
 

 たとえばあなたの家に1億円の財産があり、一人娘がいたとして、どこの誰ともわからぬ偉そうな唯物主義の自称保守に、「あなたは一人娘ではなく、600年以上前に親戚だった男系の血のつながりのある家に財産を譲るべきだ」なんて横やりを入れられたらいい気がするだろうか? 

 しかも600年前に親戚だった、ほとんど他人のような連中は、道徳もなく犯罪者もいて評判が悪いのである。

 無論、財産と皇位とは全く違うが、それだけ外部の無哲学な唯物論者に干渉されることがいかに横暴かということであり、600年以上前にさかのぼること自体が前例がないのである。

 むしろ推古天皇のように、男系の女性天皇が一時的になることもあり得る。

 無論、男系のその先がないのが問題なのであるが。

 

 当たり前だが、ゆくゆくは悠仁さまが皇位をお継ぎになられる以外ない。
 

 そして悠仁さまの妃に男子がお生まれにならなかった場合に備えて、今となっては圧力団体のような染色体系の唯物論の男系論者を納得させるためにも、愛子さまを旧宮家の男性と結婚させる以外ないだろう。

 この形なら、民間人となった旧宮家の男性を天皇にすることもないし、もしお二人に男子がお生まれになったら、今上天皇陛下の孫にも当たり、600年前に遡るだけではなくなる。

 

 でも、皇室でもない国民にそんなことが決められるのだろうか? 

 やはり、先の天皇陛下の譲位のように、こうした案も含めて皇室が先に表明されるのが筋と心得る。

 「天皇の政治介入だー」と騒いで、杓子定規で現行憲法を日本の神道や天皇制に厳密に当てはめること自体糞くらえだ。

 それこそアメリカのスパイなのではないかと。アメリカだって望んでないだろ、そんなこと。

 

 最後に私個人は、この皇統断絶の危機について、青山繁晴さん、門田隆将さん、水間政憲さん、チャンネル桜とは全然別の理由で、相当怒っている。


 

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