「天上天下唯我独尊」

という言葉の意味を調べていたら

 

 

「十方微塵世界」

(じっぽうみじんせかい)

 

という仏教用語に出会い

読んだ瞬間、なぜだか

涙が流れ出てきてしまった。

 

 

 

 

 

 

それは 「宇宙」 のこと。

 

 

東西南北上下…

あらゆる方角に

塵のように無数の世界がある。

 

 

そんな意味の言葉です。

 

 

 

「天上天下唯我独尊」の意味には

諸説あるけれど

私の心に響いたのは

 

 

人間に生まれてくる

ということが

どれほど有難いことなのか。

 

 

生まれ難い人間に生まれて

本当に良かった。

 

 

こうして人間に

生まれてくることができたこの世で

 

生きる目的を果たさなければ

いつの世で、

それをできるだろうか?

 

 

そうして生まれてきた

我々人間のみになしえる

「たった一つの尊い目的」があるのだ。

 

 

という解釈でした。

 

たった一つの尊い目的。

 

 

だけどそのページには

その「尊い目的」とは何か、

ということまでは

明確には解説されておらず。

 

 

だけど私の中には

私なりの答えが浮かんできましたね。

 

でも、その答えも

もしかしたらまた時が経てば

変わってゆくのかもしれない。

 

 

たった一つの尊い目的は

誰かから与えられるものではなく

 

人生をかけて

自分の中から見つけだし

都度、自ら世界に

表してゆくものなのだろうと

思います。

 

 

 

さて、↓の記事のつづきです。

 

 

 

 

 

堂内で、しばし

仏様のご霊氣の印象を

味わってみたあと

 

阿弥陀如来さまに

意識を向けました。

 

 

 

私の「憑依体質」に関わることに

サポートをくださりそうな、

そんな感じがしたので

 

そのことについて

相談させていただくことに。

 

 

 

ちなみに、無反応だった・汗笑

本堂の観音さまに

私が祈念したのは

 

 

自分は占術の鑑定や

インスピレーションアートを通して

人の魂の進化・成長の助けとなりたいと

考えていることと

 

それゆえに

占術やアートに取り組む時、

より良い仕事ができますように…

ということだったのです。

 

 

 

それで、

 

「占術やアートに集中できるように、

未成仏な方に縋られることが

ありませんように…」

 

と祈ろうとしたら

 

 

 

阿弥陀如来さまからは

 

『 それは 少し違う 』

 

という印象の想いが感じられました。

 

 

 

これまでも

 

何度かべつの仏様方にも

未浄化の霊を

「シャットアウトする系」で

 

自分の無事を祈願をしても

 

それはあなたの魂の中の

「浄化」という約束とは違う

という感じだったので

 

阿弥陀如来さまも

そのような反応だったのかなと

思います。

 

 

 

「では、たとえ未成仏な存在に

救いを求められ縋られたとしても

 

それが自分の心身の苦になることなく

浄化してさしあげられるくらい

強い自分になってゆけますように。

 

どうか、応援してください」

 

 

と祈り直したら

 

 

わん、わん…っ!と

胸の中に暖かく深みあるエネルギーが

返ってきて、

涙の響きが湧き上がりました。

 

 

そのあとも、しばらく

堂内のベンチに腰掛けて

ずっと、仏様のエネルギーに

浸っていると

 

 

左の肩甲骨あたりの

背骨寄りの一点がなぜか

チリチリと痛みはじめ

 

その後徐々にやわらぎ、

いつの間にか

痛みはなくなっていました。

 

 

( 霊座の調整 )

 

 

そんな言葉が浮かび。

 

 

 

チリチリしていた部分は

他者のエネルギーが

私に影響してくる時の

入口となっていて

 

その「穴」を

すこし小さくしてくださった

 

ということのようです。

 

 

 

霊座というのは

「遺骨や遺影を供養する場所」

という意味の言葉。

 

 

 

完全に塞いでは

くださらなかったのは

 

 

あなたの背中の穴は

未浄化な霊を供養するための

場所でもあって

 

ある種の救いを求めている

霊的なエネルギーに対して

 

自分の気質をもって

「慰霊や供養や浄化」を

行ないます

 

と、あなたは潜在意識の内に

自ら願い、約束している。

 

その「穴」を

自分自身で修復し

調えてゆくことも

あなたの人生の課題のひとつですよ

 

 

という意味であるように

感じました。

 

 

 

 

阿弥陀堂を出て

広くはない境内をまた歩くと

 

紫陽花たちがとても綺麗でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

花弁のグラデーションの

透けるような優美さ。

 

 

華やぎもあって艶やかながら

伝わってくるエネルギーは

羞じらいを含み慎ましく、

しとやかで清涼でした。

 

 

美人な紫陽花^^

 

 

 

 

 

帰りに、もう一度

本堂の十一面観音様に

ご挨拶をして。

 

 

山門をまたごうとした時

 

ぶわっと涙の響きが起こりました。

 

 

衝動的に観音堂をふりかると

涙の響きは、わん、わん、と続き…

 

嗚咽をこらえるように

胸が強くわななきました。

 

 

『自分が決めたことに、励みなさい』

 

 

美江寺の観音様がそう仰り、

ご縁をくださったことが

感じられたのでした。

 

 

 

私たちの心に繋がっている

仏様方の慈悲と慈愛の道を傷めず

 

その道からいつも

私たちの生き方に御心を

おくってくださっている

 

縁ある仏様方のその想いに

恥じない生き方ができるだろうか?

 

と時々思う。

 

 

せめて、心がけないとね。

 

私は励めているかなあ…。