すっかり間が空いてしまったけれど。

 

 

7月末に楽しんだ

神仏を愛する友人たちとの

お泊りありの

参拝旅行のシリーズ記事の

続きです。

 

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↓↓ これまでの記事 ↓↓

 

【参拝旅行】<1>豊川稲荷~法多山尊永寺

【参拝旅行】<2>静岡・法多山尊永寺

【参拝旅行】<番外編1>素顔な時間

【参拝旅行】<3>熱海・來宮神社

【参拝旅行】<4>伊豆国一宮・三嶋大社

【参拝旅行】<5>秩父・三峯神社1

【参拝旅行】<6>秩父・三峯神社2 

【参拝旅行】<7>秩父・三峯神社3

【参拝旅行】<番外編2>不思議で心惹かれる長野

【参拝旅行】<8>飛騨・水無神社1

【参拝旅行】<9>飛騨・水無神社2

【参拝旅行】<10>飛騨・水無神社3

 

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「水無神社」のあとに向かったのは

 

 

「飛騨総社」。

 

 

 

 

鳥居に入る前の一瞬、

強めの涙の響きが。

胸の中に瞬間的に広がったのは

恋しさや懐かしさに似た気持ちだった。

 

 

とはいえ、

そういう強烈な印象ほど

すっと退いてしまうもの。

 

 

すぐに、よくわからなくなった。

 

 

境内に充満する空気は

清冽な印象で

どことなく厳かさもあり。

 

 

とても気持ちの良い場所でした^^

 

 

午前中の早い時間帯だったのもあってか

参拝者は私たちだけ。

 

 

本殿。

 

 

 

古代の国の指導者のような

清廉で貫禄ある父性を感じました。

大きめの男性の神様かな?

 

「鎮守」という言葉がしっくりくる

「礎(いしずえ)」の雰囲気があり…。

 

お参りさせていただいた感謝と

ご挨拶を申し上げたけれど

 

微動だにせずに佇まれ

寡黙にお聞きくださっていただけ…

という印象で

特に私に対しての語りかけは

なかったです。

 

アルテシマちゃんとKちゃんは

本殿の神様と

何かお話してらしたかな?

 

 

 

 

鳥居前で感じた涙の響きは

なんだったのかな。

 

疑問に思いながら

つと気を惹かれたのが

本殿の左手奥の末社でした。

 

赤い鳥居の連なる細い参道を

通ってゆきます。

 

 

 

 

お社に近づくにつれ…

強反応!

 

私に想いを飛ばしてくださったのは

本殿の神様ではなく

こちらの末社の神様だったのでした^^

 

「水無神社」内の稲荷社に感じたものと

とてもよく似た想いが

この末社からも、私の内側からも生じ

交流しあっていました。

 

体の自然な衝動にしたがって

鈴の緒を、そっと両腕で

抱きしめると

静かな優しさと喜びと

しみいるような感慨が体に満ちて…

 

私自身も、鈴の緒を通して

誰かにそっと

抱きしめられているような感覚になり…

 

しばし、こみあげてくる嗚咽の

心地よさに感じ入りました。

 

こちらの末社には

複数の神様がいらっしゃるみたいですが

 

この時、私が気を交感していたのは

案内書に記載のある中でも

「うかのみたまのかみ」という

稲荷神社の神様のように思います。

 

 

 

扁額には「豊受大神」とありました^^

 

 

 

 

ところで、「飛騨総社」での参拝で

興味深く感じたのは

こちらの小さな末社でした(笑)

 

 

 

案内書には

 

杉山和一大人命(マッサージの始祖)

金清大神(子宝授かりの神)

祖霊舎(歴代宮司等の霊)

 

とあってね。

 

何度か気を惹かれて

前に立つたびに

顔がニッコリするので

 

(祈願していきなさい、ってことかな?)

と思い、手を合わせて

とりあえず

第二子について祈願をしてみたものの

 

シーーン。

 

「いやいや、そうではなく…^^」感が。

 

それで、改めて

小さな末社の神様に

意識を合わせてみると

神様が、私に何を求めてくださったのかが

ピンと入ってきた。

 

私は改めて柏手を打ち

深々とお辞儀をして

 

神様方の御心が

安らかであること、お幸せであること

そのご霊威、ご神力が

ますます豊かに輝かれますように

 

という、神様への寿ぎを

小さく呟きながら祈った。

 

すると、ようやくまた私の

顔がニコ~~ッとして

ウンウン^^と

頷くのです。

 

おまえは「いなり」だろう^^

 

と神様は笑っていらっしゃいました(笑)

 

確かに私の魂の源には

「水」や「豊穣」に関わる神様との

深い繋がりがあるので

 

そのあたりを指して

神様は私を「いなり」と仰って

幸福や豊穣を祈る力があるんだよ、と

教えてくれたのかな。

 

また、

人が神様から「祝福」という

後押しを得られるように

人もまた神様に

「祝福」という応援の気持ちを送ることができるのだと

あえて、そのようなことを

教えてくださったのかな。

 

なんて解釈してみました^^

(とかいって、全然違ってたらどうしよ・笑)

 

 

それにしても、神様からの

「ことほぎ」の頼みは

なんとも、愛嬌に満ちていて

それでいてサラッとしていて

嫌な感じ、なかったな^^

 

 

私、きっと

神様に「祝福させてもらった」んだね(*^^*)

私の中に、小さな自信の芽を

優しく植えてくださったのだと思います。

 

ありがとうございますチューリップ黄

 

 

 

 

飛騨総社での初お参りは、

こんな感じ。

 

水琴窟の音色のような

きらめくように鳴る鈴のお守りを

購入して帰ったよ。

 

 

読んでくれてありがとう^^

またね。