すっかり間が空いてしまったけれど。
7月末に楽しんだ
神仏を愛する友人たちとの
お泊りありの
参拝旅行のシリーズ記事の
続きです。
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「水無神社」のあとに向かったのは
「飛騨総社」。
鳥居に入る前の一瞬、
強めの涙の響きが。
胸の中に瞬間的に広がったのは
恋しさや懐かしさに似た気持ちだった。
とはいえ、
そういう強烈な印象ほど
すっと退いてしまうもの。
すぐに、よくわからなくなった。
境内に充満する空気は
清冽な印象で
どことなく厳かさもあり。
とても気持ちの良い場所でした^^
午前中の早い時間帯だったのもあってか
参拝者は私たちだけ。
本殿。
古代の国の指導者のような
清廉で貫禄ある父性を感じました。
大きめの男性の神様かな?
「鎮守」という言葉がしっくりくる
「礎(いしずえ)」の雰囲気があり…。
お参りさせていただいた感謝と
ご挨拶を申し上げたけれど
微動だにせずに佇まれ
寡黙にお聞きくださっていただけ…
という印象で
特に私に対しての語りかけは
なかったです。
アルテシマちゃんとKちゃんは
本殿の神様と
何かお話してらしたかな?
◇
鳥居前で感じた涙の響きは
なんだったのかな。
疑問に思いながら
つと気を惹かれたのが
本殿の左手奥の末社でした。
赤い鳥居の連なる細い参道を
通ってゆきます。
お社に近づくにつれ…
強反応!
私に想いを飛ばしてくださったのは
本殿の神様ではなく
こちらの末社の神様だったのでした^^
「水無神社」内の稲荷社に感じたものと
とてもよく似た想いが
この末社からも、私の内側からも生じ
交流しあっていました。
体の自然な衝動にしたがって
鈴の緒を、そっと両腕で
抱きしめると
静かな優しさと喜びと
しみいるような感慨が体に満ちて…
私自身も、鈴の緒を通して
誰かにそっと
抱きしめられているような感覚になり…
しばし、こみあげてくる嗚咽の
心地よさに感じ入りました。
こちらの末社には
複数の神様がいらっしゃるみたいですが
この時、私が気を交感していたのは
案内書に記載のある中でも
「うかのみたまのかみ」という
稲荷神社の神様のように思います。
扁額には「豊受大神」とありました^^
◇
ところで、「飛騨総社」での参拝で
興味深く感じたのは
こちらの小さな末社でした(笑)
案内書には
杉山和一大人命(マッサージの始祖)
金清大神(子宝授かりの神)
祖霊舎(歴代宮司等の霊)
とあってね。
何度か気を惹かれて
前に立つたびに
顔がニッコリするので
(祈願していきなさい、ってことかな?)
と思い、手を合わせて
とりあえず
第二子について祈願をしてみたものの
シーーン。
「いやいや、そうではなく…^^」感が。
それで、改めて
小さな末社の神様に
意識を合わせてみると
神様が、私に何を求めてくださったのかが
ピンと入ってきた。
私は改めて柏手を打ち
深々とお辞儀をして
神様方の御心が
安らかであること、お幸せであること
そのご霊威、ご神力が
ますます豊かに輝かれますように
という、神様への寿ぎを
小さく呟きながら祈った。
すると、ようやくまた私の
顔がニコ~~ッとして
ウンウン^^と
頷くのです。
おまえは「いなり」だろう^^
と神様は笑っていらっしゃいました(笑)
確かに私の魂の源には
「水」や「豊穣」に関わる神様との
深い繋がりがあるので
そのあたりを指して
神様は私を「いなり」と仰って
幸福や豊穣を祈る力があるんだよ、と
教えてくれたのかな。
また、
人が神様から「祝福」という
後押しを得られるように
人もまた神様に
「祝福」という応援の気持ちを送ることができるのだと
あえて、そのようなことを
教えてくださったのかな。
なんて解釈してみました^^
(とかいって、全然違ってたらどうしよ・笑)
それにしても、神様からの
「ことほぎ」の頼みは
なんとも、愛嬌に満ちていて
それでいてサラッとしていて
嫌な感じ、なかったな^^
私、きっと
神様に「祝福させてもらった」んだね(*^^*)
私の中に、小さな自信の芽を
優しく植えてくださったのだと思います。
ありがとうございます
飛騨総社での初お参りは、
こんな感じ。
水琴窟の音色のような
きらめくように鳴る鈴のお守りを
購入して帰ったよ。
読んでくれてありがとう^^
またね。