今日は3時限の土曜授業の日で

放課後デイも利用していなかったので

 

ぽよくんをお迎えに行って

雨の中を

テクテク、一緒に帰ってきた。

 

傘を差すと、足取りは遅くなるものの

 

今日のぽよくんは 傘をちゃんと持ち

グズりながらも

40分の道のりを歩いた。

 

途中でスーパーに寄って

少し買い物をした。

 

店を出る頃には雨が上がっていたので

軽く荷物を持たせて歩かせていたら

 

家まであと数分というところで

ぽよくん、ズッコケて

水溜まりの中に尻もちをついて。

 

号泣…。

 

(^^;)

 

そこからまた、泣きながらも歩いて

頑張ってお家に帰ってきたのだから

上等だよね(笑)

 

 

帰宅後は、一緒に昼食を食べて

 

以前からぽよくんと約束していた

レンタルDVDを鑑賞して

シルバニアファミリーのドールで

ごっこ遊びをした。

 

 

 

 

雨の日に歩くのは

嫌いではなく

 

道端の緑の葉表に

輪郭が白銀に光る水の玉が

いくつも美しく乗っている様子や

 

街路樹や民家の庭木が

今にも垂れそうなつややかな雫を

枝や葉裏に

留めている様子を見るのが好きだ。

 

 

 

 

 

 

綺麗だよね^^

心が、スッ… とするよね^^ 

 

 

小学校の近くの畑の

コスモスもまた

雨に濡れていた。

 

今年は

コスモスの花の付きが少なく

その花弁の色や形成も

すこし歪な気がする。

 

雨の中で

花は皆、下を向いていた。

 

たぶん、

雨粒が重たかったのではなくて

 

花弁の中の何かを護るために

自ら、下向きになっているんじゃないかなって

 

そんな気がした。

 

落ち込んで、

元気がないんじゃないの。

賢いんだよね^^

 

ほら、涙の響きがあった(笑)

 

 

 

 

雨天といえば

 

今年の夏休みの帰省中に

ちくわちゃんと

「由加山蓮台寺」に参拝した時も

雨天だった。

 

雨天というよりも「暴風雨」?(笑)

 

・・・

 

ずっと、記事にしようと思いつつも

時間が経ちすぎてて

細部を思い出せなくなってしまい

 

後回しにし続けていたんだけど

 

ちくわちゃんが

「そういえば、由加山の記事は?」って

楽しみにしてくれていた旨を

伝えてくれたので

 

思い出せる範囲で

書いてみようかなって。

 

見えない世界への微細な感覚って

その時は強烈な印象を持っていても

 

どうしても、三次元の現実に

刻みつけておきづらいというか

 

すぐに潜在意識の領域に

ふわっと溶けてしみこんで

 

時が経つと

物理的な思い出以上に、

儚くなってしまいます。

 

私、おでかけや参拝した後って

あまり時間を置かずに

怒涛のように更新するでしょ。笑

 

そうしないと

「旬」を逃してしまうと

自分の中に生まれた精妙な感動を

忘れてしまうから(;^ω^)

 

それが惜しくて…。

 

でも、そうしていて尚、

 

手のひらに掬った

きめこまやかな砂の粒子が

 

指の合間から

サラサラと零れ落ちるように

微細な、微細な、多くのことを

 

私は忘れていっているんだと思います。

 

 

 

 

さて、蓮台寺は。

 

 

↑これは4年前の写真です

 

 

確か、新しい本殿を建造するとかで

工事が始まっていたかな。

 

本当は、ちくわちゃんと

「精進料理」をいただきたかったのだけど

 

お寺の方たちがご多忙ゆえ

 

お盆の前後や

年末年始のシーズンは

提供していないとのことだったから

 

じゃ、ねらうなら「春休み」?なんて

ちくわちゃんと「次は食べたいねー!」

って話したっけ。

 

私は奥の院の雰囲気が好きなんだけど

 

この日は台風なみの天候だったので

そちらにはお参りしなかった。

 

 

↓蓮台寺のHPです。

 

 

 

 

「ゆがさん」の「由加」は通称で

本来は「瑜伽」と表します。

 

私は「瑜伽<ゆが>」という

この音の響きが、この音の連なりが

口にした時に残る

この「余韻」が・・・

 

たまらなく好きで

 

胸の深いところにしみいるような

 

自分にとって

とても「大切な言葉」だという気がするのです。

 

サンスクリット語を音写した

仏教用語なのだそうで

 

本来は

『結びつける』という

意味を持つ言葉みたい。

 

「瑜伽」の意味について

いろんな解説があったけれど

 

私はいつも、この言葉に

『宇宙と一つになる感覚』

感じている。

 

「瑜伽行派」という言葉を見ると

深い、涙の響きが沸き起こるから

 

何か、魂の記憶に

抵触するものがあるのかもね^^

 

つづきます。

 

 

 

 

読んでくれてありがとう(*^-^*)

またね。