ひとつ前の記事で書いた

 

 

 

 

我が家で羽化に失敗し

飛べない成虫になった、

 

モンシロさんのこと。

 

 

残念なことに

 

昨日の夜~朝の間に

命としての機能を

停止してしまいました。

 

 

 

きのうの日中、

差し出した私の手や指を伝ったり

 

じっと留まったり

 

くしゃくしゃの羽で

羽ばたこうとしていたモンシロさん。

 

 

 

そのときには

 

止まり木がわりにしていた

観葉植物の葉や枝に

つかまる力もあり

 

ひっくりかえってしまった時は

自力で戻ることができたり

 

じっとしている時間は

多かったけれど

 

モンシロさんなりに

今を生きようとしているような

そんな姿に見えました。

 

 

 

時間が経つにつれ

 

つかまっていたはずの

葉や枝から

下に落ちていることが多くなり

 

ハチミツ水は

最初に私が促した時以後も

 

一度、自分から口吻を伸ばして

先端をチョロチョロ動かしながら

 

何かを探るみたいに

飲んでいるような姿を見たし

 

栄養、

少しは補給できていたのではと

思うのだけど。

 

 

 

ああ。

弱ってきているなあ・・・

 

 

 

というのは

 

目に見えて

わかりやすかったから

 

昨夜のうちには

(明日の朝、もう生きてないかもな)

という予感はあったんです。

 

 

私のお世話に

至らない部分があったのか、

 

あるいは

もともと、個体としては

弱い存在だったのか。

 

 

短命であった

理由はわかんないけれど。

 

 

モンシロさんを

手のひらに乗せるとき

 

小さなモンシロさんに

意識を合わせるように

 

ささやかな、ささやかな

レイキを送ると

 

モンシロさんは

小さな細い足をくりくりと動かして

触覚掃除を見せてくれました。

 

 

なんらかの

習性によるものだったのかも

しれないけれど

 

観葉植物の枝や葉の方に

つかまらせようとしても

 

すぐに私の指に戻ってきてしまう

モンシロさんが

可愛くて

 

 

何をしていても

モンシロさんのことが気にかかり

何度も、

どのように過ごしているか確認しては

 

葉の上で大人しくしていると

ほっとしたり

 

 

落ちたり、ひっくり返っている時に

手に乗せてみると

 

離れがたく

そのまま、部屋の中を

歩いてまわったり

 

網戸ごしの外のそよ風に

そっとあててみたり

 

場所を変えながら

「ほら。見えるか?」なんて

話しかけると

 

不思議そうに

頭部を左右にキョロリと動かしたり

触覚を揺らす様子が

 

愛おしかったのです。

 

 

 

 

 

モンシロさんと過ごしている時、

数度、

 

人間の言葉に

翻訳することは難しいけれど

(言葉ではないので…)

 

感情が伝わってきたことがありました。

 

簡単な「喜」「悲」や

「切ない」といった心は

あるみたいなんです。

 

 

「笑う」という表現が

正しいのかどうかは謎だけれど・・・

 

 

観葉植物に掴まっていたはずの

モンシロさんが

 

羽をばたつかせながら

フローリングを移動していることに

ふと気が付いたとき

 

 

そっと手のひらに乗せて

 

「どうした?落ちたのか?」

「飛びたいねぇ^^」と

 

話しかけたのです。

 

 

そのとき、なぜか

 

大きな喜びと笑っているような

開放的な想いが

ぶわっと伝わってきたことが

 

印象的でした。

 

 

(何に喜んだのかは、わからなかったけど)

 

 

今回、モンシロさんと過ごした中で

 

ああ。やっぱりそうなんだ。

と理解したのは

 

虫にも「霊魂」があるということでした。

 

 

朝、動かず、カサリとしたモンシロさんの

むくろを見た時

そこにはなんの生気も

名残の想いもなく

 

ほんとうに、ただの物のように

カラっぽで

空気のようにあっさりとしていました。

 

なんか、あまりにも

ただのモノで

 

虫の死骸なんて嫌いなのに

なんの不気味さもなくて

 

むしろホッとしたくらい(笑)

 

 

 

けれど、私のまわりには

視えない何かが

まとわりつくように飛んでいて

 

何度も、なにか

「せつない」想いを向けているのでした。

 

 

私の身体は自然な衝動に従って

手のひらを差し出し

何かをそっと掬うような動きを取りました。

 

 

(いるんだね)

(虫にも、魂があるんだね)

 

 

と心で語りかけると

いっそう、切ないような泣きたくなるような

想いが胸に広がったあと

 

遠のき、

なくなってゆきました。

 

 

「ぼくは飛んでいるよ。」

 

 

そのことに、

気づいてほしかったみたいです。

 

 

(雌雄は知らないけど

「ぼく」の方がしっくりきたので

そう変換してみた)

 

 

そして、ほどなくして

自然界のエネルギーの世界に

ふっと溶けていったのでしょう。

 

 

今回のことで

すべての虫を

可愛く思えるようになったとか

好きになれたとか・・・

 

いつでも、命として

尊重して扱えるのかというと

 

けしてそんなたいそうな器は

未熟な私に

育まれたりなどは

してないんだけど・・・

 

 

「一寸の虫にも五分の魂」

 

という言葉は

そのままの意味で

 

あながち間違いではないんだろうなって

思った。

 

 

 

調べてみたら

 

「昆虫の意識」について

研究しているコリン・クラインという学者がいて

 

昆虫の脳のスキャンからは

そこに意識が宿る容量があることや、

 

自己中心的な振る舞いをすることが

明らかになっていて

これは昆虫が物事を主観的な経験として

認識している可能性を示すと同時に、

 

人間や他の動物の意識の始まりについても

示唆しているのだとか。

 

「昆虫が体験している世界は、

人間の体験ほど豊かでも、精密なものでもないが、

似たような感覚であることには変わりがない」

 

氏は、そのように論じていると。

 

 

 

生きる、そして、死ぬ、を

私たちの近くで見せてくれて

 

ありがとう、モンシロさん。

 

 

 

ぽよくんが学校から帰宅するのを待ち

小雨につつまれながら

 

二人で庭の花壇の片隅に

花と一緒に埋めました。