過ぎた年(2019年)におくる35冊
本来ひと月前の話ではあるが、このところの更新頻度からもお察し頂けるように多忙なため、今日になってようやく書き上げることとなってしまった。いちおう恒例化した、過ぎ去っていった年に捧げたい本のリストである。
このリストは、2019年の間に私が、世の中の動きなどから気になった本、人に薦められた本、実際に読んで心に残った本などを挙げるものである。
多分に個人的事情を含むので、対象は今年出版された本に限られないし、文学賞やベストセラーなどでもスルーする場合もある(むしろそういう方が多いかもしれない)。“興味がある”だけで未読本も多いため(多忙と何より怠惰のためである)、「読んだ本から選ぶベスト〇冊」などとも異質であろう。
つまり、個人的なメモに過ぎないのである。が、どこかの誰かの備忘または反面教師、あるいは研究対象くらいにはなるのかもしれないと思って公開する。
今回も前回に引き続き、月毎に区切って日付順で挙げていくことにする。それでは1月から。
1月(4冊)
12日、『まんが日本昔話』の語りや『家政婦は見た!』などで知られる女優の市原悦子氏が死去された。私は氏を役者としてよりも『日本昔話』の声優として親しんだ方であるが、ともあれ残念な知らせだった。
上に示した本は、氏の生前最後の著書となったものである。死後にも氏の発言を集めたものが編まれているが、市原悦子の大ファンだというライターの沢部氏を前に、飾らない言葉を語ったであろうこの本を挙げておきたい。
同じ12日、日本古代史研究者・思想家の梅原猛氏が死去された。京大(当時は京都帝大)哲学科出身、神道や仏教の研究など、興味を惹かれる要素のある人物ながら、その著書を精読した憶えがない。未読のまま見送ることになったのは、やはり心残りである。
よく知られた氏の著作といえば、法隆寺を聖徳太子の怨霊鎮魂のために建立されたとした『隠された十字架』かもしれないが、今の気分としては、より広範な論考である上掲書が興味深い。
16日、第160回芥川賞・直木賞の決定発表があった。受賞作3作のうち、ここでは芥川賞を受けた上田岳弘氏の『ニムロッド』を挙げておこう。未読だが、高度な情報化の末に登場した仮想通貨を織り込んだ作品という点に面白みを感じている。
29日、直木賞作家である橋本治氏が死去された。以降に挙げる人もそうだが、未読のまま作家を見送るのは、毎度ながら残念至極である。
挙げたのは、10歳ごとに年齢が異なった6人の男を主人公として、敗戦から2つの大震災までという、戦後の日本と日本人を描き出した物語だという。初期の『桃尻娘』なども未読ではあるが、氏の文学的決算と目される上掲書も興味深い。
24日、日本文学研究者であるドナルド・キーン氏が96歳で死去された。
氏の代表的な著作である『日本文学史』も挙げたいが、大部なのでこちらとする。そんな消去法まがいによらずとも、谷崎潤一郎、川端康成、三島由紀夫、安倍公房、司馬遼太郎という5人の作家と交流し、かつ文学的見識を有する人間の記録として貴重であろう。同時に、若き研究者だった頃の氏の記録とも言えそうである。
22日、マリナーズのイチロー選手が現役引退を表明した。それほど野球に興味がない私だが、それでもイチロー選手のスタンスというか考え方には共感するところが多い。そういう意味で、これからどのようなことをするのか、気になる人である。
上掲書は4冊刊行された「262のメッセージ」シリーズ最後の1冊。本人の言葉をそのまま収録するという編集方針にこだわりを感じる。
6日、TVアニメーション『鬼滅の刃』の放映が開始された。原作は、『週刊少年ジャンプ』で連載中の吾峠呼世晴(ごとうげ・こよはる)氏による同名漫画である。以前から私の周囲では「久々の大ヒットになる」との予想がちらほら聞こえていたが、アニメ放映によって裏付けられる結果となった。
内容については既に詳しいところが幾らもあるので繰り返さないが、一読、ヒットも頷ける作品だと思う。主人公である竈門炭治郎(かまど・たんじろう)少年は、思考力と慈しみを持ち合わせた、今の時代に相応しいヒーローではないだろうか。
7日、いわゆる「ファーストガンダム」であるシリーズ第1作『機動戦士ガンダム』の放映開始から40年となり、ガンダム40周年の節目となった。今回は時間があまり取れず「〇周年」の類は割愛したものも多いのだが、40周年という数字はなかなか無視できないだろう。
とはいえ、世代的に強い影響を受けていてもおかしくない私ながら、実はガンダムについては疎い。「ファースト」を通しで観たことくらいはあるが、同年代の愛好者が持っているような深い造詣やファン意識は、無いと言わねばないだろう。
そういった理由から、無粋ではあるが、ここで挙げるのはガンダムへの理解を助けるような1冊とした。監督である富野由悠季氏ご自身が書いた新書『「ガンダム」の家族論』も興味深いが、語っている焦点はいささか作品から離れているように思う。ガンダムの世界観をより網羅していると思われる上記の本を挙げておこう。
15日、フランスのパリに建つノートルダム大聖堂で大火災が発生し、屋根の尖塔部分が崩落した。出火からおよそ9時間後に鎮火されたが、パリ市民や周辺各国の教会、大聖堂を愛する人々の悲しみようは、一方ならぬものがあった。出火は過失によるもののようだが、後述(10月)の首里城の火災も含め、文化財の防火体制を見直す動きはあって良いと思う。
上に挙げた1冊は、ノートルダム寺院のみに特化したガイドブックである。写真や図版もさることながら、その来歴や細部についても踏み込んだ記述がされているのが特徴だろう。
11日、漫画家のモンキー・パンチ氏が死去された。氏といえば、やはり『ルパン三世』であろう。私は往年のテレビアニメで氏を知った世代だが、てっきり風刺絵あたりが本領の海外の漫画家だと思い込んでいたのが、日本の漫画家だと知った時には驚いたものである。
氏について挙げる1冊として色々と変化球も考えたが、『ルパン』を差し置くことも考えにくい。上掲はその最初の巻である。
1日、それまでの日本の元号「平成」から新元号「令和」となり、新しい時代が始まった。
令和の典拠としては、『万葉集』巻五の「梅花謌卅二首并序(梅花の歌 三十二首、并せて序)」の以下の文だといわれている。元号として、漢籍ではなく日本の古典を典拠とする初めての例とされた。
于時初春令月 氣淑風和
ただ一方で、上記の記述はそれ以前の漢籍の詩文集『文選(もんぜん)』巻十五にある『帰田賦(きでんのふ)』の以下の文(一部の機種依存文字を修正している)を踏まえたものではないか、と漢籍の影響を指摘する説も出ている。
仲春令月 時和氣清
題名が示す通り『文選』は、その時点における過去の名文を集めたもので、美文の手本として平安時代前期まで日本でも多く参照されたということなので、この説は妥当ではないかと感じる。『万葉集』の方は既に周知されていることも勘案して、ここでは『帰田賦』の方を挙げておく。
ともあれ、そこまで典拠にこだわることはないだろう。なるべく和やかな時代になるとよい。
6月(2冊)
6日、作家の田辺聖子氏が亡くなった。『感傷旅行(センチメンタル・ジャーニィ)』で芥川賞を受けた作家だが、ほとんど読んだ記憶はなく、古典文学と大阪弁を積極的に作品に織り込む作風というほどの印象しかない。
挙げたのは2003年に映画化された短編を表題とする短編集である。同書収録の「うすうす知ってた」では、独特な癖(気持ちを切り替えるなど時に手刀を切ったり「シャーッ!」と口に出す)を持つ女性が主人公である。読了したわけではないものの、そのことだけは知人から聞いて印象に残っている。表題作も魅力的だが、そんな記憶も取っ掛かりに手に取りたい。
28日、サスペンス映画『新聞記者』が公開された。原作は、現役の東京新聞記者による同名の新書である。タイトル・内容ともに現在の映画界からすれば異質と思われるものだが、興行収入5億円というヒット作となった。と言いながら、私もヒットしたずいぶん後で知った作品である。よって観たわけではない。
内容としては、現政権に不都合な事象を追う新聞記者と、内閣情報調査室の若手官僚の相克と交錯というもののようだ。映画も上掲書も賛否あるようだが、少なくとも映画の興収は、現政権に一言いいたい人は相応に多いということを示すものと思われる。いずれにせよ、ジャーナリズムについて再考したい私には興味深い。
18日、アニメーション制作会社である京都アニメーションに侵入した男がガソリンを撒き放火したことにより、同社社員の36人が死亡、33人が負傷するという痛ましい事件が起きた。その日、疲れて午睡していたら、ニュースサイトを見ていた家人に知らされて起きたことを憶えている。
同社は、『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』、当ブログでも感想文を書いた「古典部シリーズ」のアニメ化『氷菓』など、ゼロ年代以降のアニメーションを牽引する制作会社の1つだろう。そこで働いていただけの罪もない人々が襲われたこの事件は衝撃だった。
事件後、追悼の意味もあってか、同社の作品を放映する動きがテレビや動画サイトでみられた。そのうちの1つに上述の『けいおん!』もあったのだが、家人が「和気あいあいと軽音楽に取り組む日々を過ごす作中の少女たちに、きっと同じような日々を過ごしながら突然に命を奪われた社員たちが重なって観られない」というようなことをこぼしていたのが忘れられない。
上掲書は、表題や表紙こそ『けいおん!』のリプレイのような印象を受けるが、内容的には主に制作者各位の言葉を収録したもののようである。事件について満足なルポなどは今のところ出ていないようであるし、そうであるならば、むしろそれで“何が失われてしまったか”を確かめるべきではないだろうか。
19日、アニメーション映画『天気の子』が公開された。新海誠氏の作品には、いつもどこか惹かれるものがあり、今回も仕事の合間を縫って映画館に赴くこととなった。物語の顛末や直接的な感想を書くことはここではしないが、ひとまず今回も満足のいく作品だったことは確かと言える。
上に挙げたのは、恒例となった監督自身の手による映画の小説版である。こちらはまだ手が出ないが、いずれ読んでみたい。読むならやはり夏だろう。
17日、第161回芥川賞・直木賞が発表された。2作のうち、ここでも芥川賞の今村夏子氏『むらさきのスカートの女』を挙げたい。面白さをうまく説明できない、という声をよく聞く。読んで上手く説明できたらよいと思う。
6日、農林水産省は2018年度の食料自給率を公表、カロリーベースの食料自給率は37.33%となり、過去最低となった。食料自給率について、2025年度にカロリーベースで45%、生産額ベースで73%にするとの目標が設定されているが、本当に可能なのか検討結果が待たれる。
食料自給率についてはカロリー、生産額という尺度によっても解釈が異なるため、妥当なものか疑問を持たれることもあるが、見直しが必要な数字であることは変わりないと私は思う。
上掲の1冊は少し古いのだが、食料の生産から輸送まで網羅し、競合し得るバイオマスエネルギーや環境への影響にも目配りし、周辺事情をマクロ的に理解できるものと思う。
2日、作家・タレントとして知られる安部譲二氏が死去された。
自身の経験に取材した『塀の中の懲りない面々』を始め、アウトロー色が強い作品の書き手として知られる氏だが、無類の猫好きという一面もあった。どちらの方面の本を挙げようか迷ったが、最晩年の著書ということで上掲書を選んだ。私もまた猫好きなのである。
1日、消費税率が8%から10%に上がった。軽減税率等はあるものの、以来やはり買い物を控えるようになった、というのが偽らざるところである。
以前よりも物を大切にするようになった気がするし、間食や深酒も減って身体的には良いことのようにも思われるが、やはり閉塞感はある。週末の街の様子も、何となく活気がないように感じられる。現状で間違いないのか、議論は必要だろう。
消費税だけに絞って考察する本は存外すくないようだが、上に挙げた本の著者は1925年生まれ、国税庁に勤務しながら第1回公認会計士試験および税理士試験に合格したという人物である。出版年からすると90代半ばの著書ということになるが、それを考慮しても手がかりとして一読しておきたい。
バットマン:キリングジョーク 完全版 (ShoPro books)
- 作者:アラン・ムーア(作),ブライアン・ボランド(画)
- 出版社/メーカー: 小学館集英社プロダクション
- 発売日: 2010/01/21
- メディア: 大型本
4日、映画『ジョーカー』が日米当時公開された。「バットマン」シリーズ最強の悪役であるジョーカーを主役とするピカレスク・スリラーとでも呼ぶべき作品だという。私は本作を含め「バットマン」シリーズには疎いのだが、この映画の評価というか、観た人の心に生じた動揺に興味を惹かれた。
映画の脚本はこのためのオリジナルであり、原作に当たるコミックは存在しない。が、上に挙げた1冊は、監督・脚本を担当したトッド・フィリップス氏が「強い影響を受けた」と語ったというものである。ジョーカーがジョーカーとなった契機と、彼とバットマンとの対照性(または類似性)を色濃く描いたものだという点で、気になる作品である。
8月の九州豪雨の記憶も新しいうちに、10月に襲来した台風19号は、東日本を中心とした広い地域に大きな被害をもたらした。決壊する河川も相次ぎ、東京都心に被害が出るか危ぶまれたが、ひとまずそれは回避されたようである。
その際、試運転中だった八ッ場ダムが大きな役割を果たしたとの言説が、特にSNS上で散見された。しかし、長野県にあり利根川水系の一部に関わるだけの八ッ場ダムが、それほど重要であったかは疑わしい。田中康男氏の「脱ダム」宣言(2001年)を引き合いに長野県の被害を指摘する向きもあるが、それも確たる検証がされるべきだろう。
いずれにせよ、ダムを基幹とした現状の治水策が、変動しつつあると思われる今後の気候に対して適当なのか、確認する必要が出て来ているのではないか。現状、そうした問題設定にぴたりと合致する本は無いようだ。まずは上掲書でダムとこの国との関わりについて押さえておきたい。
31日未明、沖縄県那覇市の首里城址に建つ首里城正殿が炎上していることが明らかとなった。鎮火には数時間を要し、結果として正殿が全焼するなど大きな被害が出た。原因は現在も不明のようである。
琉球王朝の遺産である首里城だが、太平洋戦争でいちど消失し復元された経緯がある。従って、再建はできるとは思われるが、地元の人々や復元に携わってきた人の気持ちを思うと辛い。
上掲は、今回の事件を受けて刊行された写真集である。炎上中の写真を表紙に持ってくるあたり少し疑問符が付くが(報道写真集という位置付けだから仕方なしか、とも)、収益は全額首里城再建募金に寄付されるとのこと。往時を偲ぶという意味では、電子書籍版しかないようだが『沖縄世界遺産写真集シリーズ07 世界遺産 首里城』が手軽かもしれない。
13日、漫画家の吾妻ひでお氏が死去された。不条理な味わいのギャグやSF、いわゆるロリコン漫画などの諸作が知られる氏だが、近年の注目は自身の失踪体験とアルコール中毒体験を綴った『失踪日記』によるところが大きいだろう。
私は一部のギャグ漫画と、だいぶ間を空けて『失踪日記』やその関連作などを読んだのみで、ファンを名乗るのはおこがましい。が、近年の著作に描き出された創作者としての辛さや、漫画への熱意が失われた時期の焦燥のようなものに、共感に近い感慨をおぼえた。亡くなった今、氏は彼岸で好きなお酒を心置きなく飲んでいるのではないか、と思えるのが救いである。
22日、国際政治学者で国連難民高等弁務官なども歴任した緒方貞子氏が死去された。女性として、それ以前に日本人として初めて国連難民高等弁務官となり、難民に関する諸問題の解決に尽力した方ということは知っているが、その実際的な現場については残念ながら私は知識がない。
氏の本からどれか1冊を選ぶのはなかなか困難だったが、比較的あたらしく、また平易という点から上掲書を挙げる。日本でちまちま編集作業などしていると、難民問題は遠く感じてしまうが、間違いなく同じ世界での話である。多少なりとも知っておきたい。
3日、SF作家の眉村卓氏が死去された。未来の星間国家における官僚機構を題材とした「司政官シリーズ」が代表作と目されるが、私はそちらの方は読んでいない。
むしろ、大昔に読んだ記憶から、『なぞの転校生』『ねらわれた学園』といったジュブナイルを再読しようという誘惑にも駆られる。しかし、ここでは偶然あらすじを読んで気になっている1冊を挙げておこう。残念なのは、比較的あたらしい上掲の青い鳥文庫版も絶版であるということである。電子書籍等で読める時が来るのを待つ。
9日から10日にかけては、かつてドイツを東西に分かっていたベルリンの壁が崩されてからちょうど30年が経った日付だった。してみると、ドイツの再統一と日本の平成時代の始まりとは、2か月ほどの差しかなかったということになる。それから30年という“新時代”を、ドイツはどう過ごし、日本はどう過ごしただろうか。
上掲の本は、イデオロギーによって分断された東西ベルリンであった、市民の日常に取材した5つのエピソードから成る漫画である。30年は長いが、すべてを忘れ去れるほどの時間でもない。そのことを確認するためにも開きたい1冊だと思う。
8日、アニメーション映画『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』が公開され、12月29日には観客総動員数が100万人を突破した。こうしたジャンルの映画としては、異例のヒットと言っていいだろう。同作は「すみっコ」というキャラクター群が先に発表されており、ストーリーは新たに用意される形で映画化されたようである。
映画は観ていないが、たまたま家人が上掲書を持っており、キャラクターとしては知っていた。疲れた時に効きそうな作風なので、そういうタイミングで観ることができたらと思う。
29日、元首相である中曽根康弘氏が死去された。氏の業績について、私は記憶よりも記録として知ったことの方が多い。氏の主張は私の考えと相容れない部分があると思う。が、物事に取り組む根本的なスタンスは尊敬すべきものとも感じる。
上掲の本は、かなり前の単行本の文庫化のようだが、氏の著書としてはいちおう最後のものであるし、氏の考えや人となりを網羅していると思われるので挙げる。
1日は、故・藤子・F・不二雄氏による漫画『ドラえもん』が誕生してから50周年を迎えた日だった。
上に挙げたのは、この機に刊行された特別版である。『ドラえもん』には『よいこ』『幼稚園』『小学一年生』『小学二年生』『小学三年生』『小学四年生』という6種の雑誌に掲載された第1話が存在するが、それらを全てカラーで収録し、当時の予告や創作秘話も収められている。
小学館は以後も50周年の記念本を幾つかリリースする予定のようだが、まずは皮切りとして読んでみてもよいだろう。
23日、宮内庁により公開された「上皇陛下のご近況について(お誕生日に際し)」にて、上皇上皇后両陛下が交互に音読されている本として、上掲の『ことばの歳時記』が紹介された。上皇陛下と上皇后陛下が穏やかな日々を過ごされているようで何よりと思う。同時に、『折々のうた』や『パンセ』など、陛下の読書歴の一端についても知ることができ、興味深かった。
上記の宮内庁の発表を受け、版元であるKADOKAWAは、同書角川ソフィア文庫版の1万部重版を決めたという。上掲『ことばの歳時記』は、季語を集成した「歳時記」から選び出した季節の言葉と、それを読んだ名句や名歌、著者によるその鑑賞文から成る本とのこと。複数巻の俳句歳時記が家にはあるが、持ち歩きやすい本書を鞄に入れ、折に触れて読むのも良さそうである。
昨年は「机の周りから」として、その時点で自分の周辺に置いていた本を幾つか挙げてみたが、今回は一部未読の本も含むので、上記のような見出しとした。自分の趣味と問題意識が表れているように思う。
プロレタリア文学といえば、すなわち『蟹工船』などの小説が主だろう。ぼんやりとそんな風に認識していたのだが、あるとき見かけた本書は、そうとも言い切れないということを示していた。
表題通り、『蟹工船』とほぼ同時代の労働者たちが自らの仕事に取材して詠んだ短歌を収載した本である。仕事の辛さや、資本家への呪詛が詠われた歌は無論ある。しかし一方で、働くことへの純粋な喜びや、その仕事ならではの詩情が込められた歌もあり、味わいは多彩である。このジャンルの隆盛は短かったとのことだが、なかなか見逃せない文芸的収穫のように思え、しばらく携えて読んでいた。
きっかけは忘れてしまったが、島根県出身の作家を調べたことがあった。その際、名前を知ることとなったのが、明治36(1903)年生まれの作家、田畑修一郎である。
40歳にならずに急逝してしまった人で、発表された作品は多くない。第7回芥川賞の候補作となった『鳥羽家の子供』が最も知られている文章だろうか。同作を含め幾つかの文章は青空文庫で読むことができ、随筆「盆踊り」などは、作者の出身地である現在の益田市の当時の様子が知れて興味深い。
そんな氏が昭和10年代の故郷を描いた紀行文が、上に挙げる『出雲・石見』である。2004年に復刊されているものの、まだ実物を見てはいない。想像するに、太宰治の『津軽』のような本ではないかと思うのだが、どうか。近いうちに手に取りたい1冊である。
近年その名前をよく見聞きするようになった人物の1人が、スウェーデンのグレタ・トゥーンベリ氏である。地球温暖化に対する大人たちの取り組みが甘いとして、その歯に衣着せぬ言葉で耳目を集めている。
氏の活動を揶揄する向きもあるようだが、私はまず支持したい。近年の日本だけを取り出してみても、自然災害は多く、気候は過ごしにくくなっているように感じるからである。多くの人にそれを問題として意識するようにしたという一点だけでも、氏の活動は有意義ではないか。
昨秋、翻訳出版された上掲書は、氏とその母親による共著である。氏の主張を精緻にまとめたというよりは、どちらかというと自伝的な色彩が濃いようだが、氏を理解するのに適した1冊と言えるだろう。
上記のトゥーンベリ氏も部分的にそうなのかもしれないが、主にインターネットを介した情報発信によって、個人レベルで何かを行い、何らかの成果を出す人は年々増えているように感じる。それは金銭面だけでなく、社会にムーブメントを起こすという面も含む。
そうした個人の一類として、人知れず勝手に研究をしている人々というものが存在する。そんな人々が、各人独自の方法論や考え方を明かしたのが上掲書である。大学や研究所の人に話を聞くと、組織による研究は頭打ちな感もし始めた昨今、この在野という視点は重要だと思う。
考えてみれば、個人で編集者をやっているというのも、在野研究に近いものがある。その意味でも興味深い1冊だ。
1937年生まれの古井由吉氏は、明晰さと幻想性が同居するような文体が魅力とされる作家である。氏の作品は『木曜日に』など初期のものしか読んでいないのだが、何か心惹かれるものがある。『仮往生伝試文』など、題名だけでも味わいがある。
しかし、電車の中などで慌ただしく読むのは何か違う気がして手が出ない。今年こそは少しでも読みたいものだ。上掲の本は昨年出た氏の新刊である。
以上、前回から大きく数を減らして全35冊となった。前回も書いたように、これは単純に私がどれだけ時間をかけられたかの違いで、実際の事件や出来事の多寡とは無関係である。
ともあれ、年末から抱えていた本件もとりあえずは完了できた。ほっとするとともに、過ぎ去った年を思いつつ、今年はもう少し感想を書けたらと毎度ながらのことを祈念して結びたい。
大変おそくなりましたが、本年もよろしくお願いします。