『ラマンチャの男』感想 | 大海の一滴、ミルキーのささやき

大海の一滴、ミルキーのささやき

舞台・映画・小説の感想を自分勝手に書き綴る、きまぐれブログ。

スタッフ

 

脚本:デール・ワッサーマン

作詞:ジョオ・ダリオン

音楽:ミッチ・リー

演出:松本白鸚

 

キャスト 

 

セルバンテス/ドン・キホーテ: 松本白鸚

アルドンザ: 瀬奈じゅん

サンチョ: 駒田 一

アントニア: 松原凜子

神父: 石鍋多加史

家政婦: 荒井洸子

床屋: 祖父江進

ペドロ: 大塚雅夫

マリア:白木美貴子

カラスコ: 宮川 浩

牢名主: 上條恒彦

 

あらすじ

 

時は中世、場所はスペイン。

主人公・セルバンテス(松本白鸚)は、劇作家アンド役者アンド詩人です。

教会を侮辱した嫌疑をかけられ、召使い共々、牢へ入れられてしまいました。

牢では、泥棒や殺人容疑で捕らえられたならず者たちが待ち構えています。

彼らの退屈凌ぎに、なんちゃって裁判にかけられるセルバンテス。

セルバンテスがそこで語り出したのは、アロンソ・キハーナという狂人の物語でした。

キハーナは、自身を諸国遍歴の騎士ドン・キホーテと名のり、風車を巨人、宿屋の下働き・アルドンザ(瀬奈じゅん)を姫、召使いサンチョを旅の家来(駒田 一)と思い込んでいます。

例えるなら、幼稚園児が仮面ライダーのライダーベルトを着けるとライダーになってしまう、例のアレです。

幼稚園児ならばやがて目も覚めましょうが、キハーナは大人も大人、相当大人ですから、自力で覚めるわけがありません。

知人牧師親戚たちは、田舎者とはいえ地位あるキハーナの妄想を解こうとやっきになります。

現実をみるよう説得するカラスコ博士(宮川浩)に対し、「夢に溺れて現実をみないのも狂気だが、憎むべき狂気は、ありのままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わぬことだ」と言い放つキハーナ。

諸国遍歴の騎士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャに待ち受ける未来とは・・・

 

このミュージカルは、1969年に帝国劇場にて初演、主演は松本白鸚(当時は市川染五郎)。

今回で50周年を迎えたミュージカルです。

 

感想

 

私は「ラマンチャの男」を観るのは初めてです。

ですが、著名な作品なので耳にしたことはあります。

そして勝手に、「ラマンチャの男」=「ドン・キホーテ」だと思っていましたが、違うんですね。

劇中の劇中の「劇」、最後の劇部分が「ドン・キホーテ」でした。

 

さて、いきなり脱線します。

このミュージカルを観て、思い出したエピソードがあります。

それは「ドラえもん」です。

全世界からブーイングが聞こえてきましたが、恐れず気にせず続けます。

ドラえもんと言っても本編の話ではなく、いわゆる都市伝説の方です。

私が小学生の頃、友達がこう囁きました。

「ねえ、知ってる?ドラえもんの最終回」

「知らない」

「実はね・・・のび太は寝たきりのお爺さんだったんだって。ドラえもんはお爺さんの夢の中の登場人物なの。お爺さんは、なんでも願いを叶えてくれるロボットが欲しかったんだね。かわいそう」

そんなシビアなアニメだったのかと驚く一方、ずっと夢の中にいて楽しければそれはそれで幸せじゃないか、とも思ったのです。

丁度その時私が読んでいた小説が、子ども向け用の「ドン・キホーテ」でした。

ドン・キホーテの旅があまりにも楽しそうで、一緒にワクワクしたものです。

タイミングのせいもあって、ドン・キホーテとのび太は私の中で一致しました。

自身が創った世界の中で愉快に生きられる極楽人物です。

念の為綴っておきますが、ドラえもんの最終回はガセ話ですからね。どうぞ、惑わされないよう気をつけてください。

 

舞台の感想に戻ります。

「ラマンチャの男」のドン・キホーテは楽しそうではありませんでした。

苦行のようでもあり、悟りの境地のようでもあり、生きるのが辛そうにみえてしまったのです。

もし、もしもですよ、劇部分が原作通りの「ドン・キホーテ」ならば、せめて楽しくあって欲しかったです。

自分の妄想くらい、楽しくないと救われません。

またコミカルな場面が弱く、笑いが少ないのも重苦しくなる原因。

明暗を分けると作品のメリハリにも繋がると思うのですが、どうでしょう。

 

登場人物の在り方は、比喩にも感じます。

キハーナは「男」、いくつになってもヒーロー願望、年老いても幻視で夢に生き徘徊、そして「騎士」の称号に拘るところは肩書きで安心を得るタイプ。

アルドンザは「女」、どれだけ願っても男に実態を見てもらえない、リアリスト。時に男の欲望を満たす存在。

サンチョは「部下」「後輩」、上が白を黒と言えばそれは黒。深く考えなければ人間関係バッチリのイエスマン。

アントニアは「親戚」、上辺ばかりで近しいことを言っても遠い存在、近いのは財産関係のみ。

カラスコは「世間」、人様にどう見られるかが最重要事項。

というように、皮肉たっぷりなんですよね。

 

ひねくれた人間にはひねくれた内容にみえるのだろうという噂が無きにしも非ずですが、それも含め、私はこの舞台がかなり好きでした。

パッと観、真っ直ぐなようで人間の裏をエグるヒリヒリした内容も、長い年月を経て練られ、安定した在り方も好むところです。

ドラマティックな展開、心を掴むメロディにも惹かれました。

 

キャスト感想

 

セルバンテス、キホーテ、キハーナを演じたのは松本白鸚さんです。

松本さんは主演を演じるだけではなく、演出でもあります。

演劇に対する個人的な意見ですが、役者は狂気です。

衣装やメイクでその気になり、泣いたり笑ったり、人を愛したり殺したふりをするわけですから、それはもう、正気の沙汰ではありません。

ドン・キホーテの滑稽な姿とオーバーラップする部分です。

対して演出は、狂人を操る最も冷静な人物です。俯瞰で流れを見ます。

役者と演出は同居できないだろう、という自論がある私にとって、松本さんがもし、役者だけに専念したらどうなるだろう、という興味がありましたね。

といいますのは、上にも記したように、ドン・キホーテがとても楽しんでいるようにはみえなかったからなのです。

高潔冷静かつ寂しそうな面持ちに引き摺られてしまいました。

とはいえ、茶目っ気と絶妙な笑いの間合いはさすがですよ。

サンチョが理屈抜きで好きになるのも頷ける愛らしさでした。

 

狂気役者からは赤い炎がみえるのですが、松本さんは青い炎が燃えていました。

カルト的な話ではなく、例えですよ。

ドン・キホーテが踵を返し背中を見せる場面で、足が縺れよろけたのですが、グッと堪えた時、メラメラと青い炎が大きくなったのです。

「この人は真に、命をかけて役者をやっているのだ」と、身震いした瞬間でした。

 

残念だったこともあります。

それは、不明瞭な台詞が多かったことです。

初見だった私が、どれほど集中して耳をそばだてたことか!

松本さんは、難解な台詞をも自分のものとし、しかも観客にわかりやすく伝える術を持っている貴重な役者さんですが、せっかくの大切な台詞が聞き辛くては、ストレスを感じてしまいます。

台本を目にしている役者やリピーターには大丈夫でも、初めての観客にはキツいです。

ドン・キホーテ、宿屋の主人の2人は群を抜いて芝居が上手いのですが、上手い人ほど不明瞭・・・惜しいです。

 

アルドンザを演じたのは、瀬奈じゅんさんです。

なんといいますか、とても生々しいアルドンザでした。

生々しくならないための男役風演出かもしれないのですが、そんなことは吹っ飛ぶくらいの生々しさです。

そして、それはいいことだと思いました。

屈辱的でショッキングなシーンは、脚本で描かれているのですから、変に覆い隠さず、ストレートに表現したほうが観客に伝わります。

若木のような女の子ではなく成熟した女性が演じることで、痛々しさと説得力が倍増。

大熱演でした。

それにしても、セルバンテス氏は女性を侮辱している作家ですね!まったく。

この物語、男はいつまでも理想郷を目指す旅人で、女は惨めな現実を担う構図に、「バカタレが」と思う人も少なからずいることでしょう。私もその中のひとりです。

また、脱線しました。

 

以前、帝国劇場に立つ瀬奈さんは、臆しているようにみえましたが、無理なく自然体で存在していたことに、時の流れを感じました。

歌に関しては、高音がもう少し気持ちよく出てくれるとよかったですね。

 

最後に

 

50年同じ役者で同じ舞台が続くのは素晴らしいことです。

“継続は力なり”といったところでしょうか。

しかし、若干の“記録に挑戦”感があるのも否めません。

“リスペクト”するのは良いのですが、無闇に“有り難がる”と、真の姿が見えなくなってしまうのではないでしょうか。

と、鏡の騎士もどきの私は思いました。

 

Fin

 

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