豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

全身全霊で事をなす…東京市内

2020-06-30 21:02:45 | ファース本部

 

先般はテレビで若い修行僧の訓練風景を見る機会がありました。

僧侶の厳しい修行は、死域に達するまで自分を追い込んでいるようです。

死域とは、生きているのか死んでいるのかの境目を云うのでしょう。

全身全霊で修業し、まさに三途の川を亘一歩手前のような事なのかも知れません。

 

「全身全霊」とはカラダ全身と全ての精神力のことをいうのです。

朝礼などで「全身全霊で頑張ってきます」などと軽々しく云える言葉などではありません。

人間が自らの鍛錬や敵の拷問などで「死域に達し」そこから現世に戻ることのようです。

 

死域を辿るとは、身命を持って難関に立ち向いつつ現世へ蘇る事が前提です。

人生は闘いだと言い切る人もおり、死域とはまさに命を賭けて闘う事なのでしょう。

「事」を完全に成し遂げるためには、死域に達するほどの気概で取り組めと云う事です。

 

私は今までに多くの試練に遭遇してきましたが、「死域に達した」と事などありません。

口だけ云う「全身全霊」と、「死域に達する」ことの奮闘などとは次元が異なります。

私は、誰もが「全身全霊」で事を起こせば、不可能を可能に出来ると確信しております。

 

創業経営者で成功を収めたひとの多くが、この死域を経験していると言います。

死域とは、困難の壁を取り払うのに無我夢中で闘い、生死の判断すら出来ないような修羅場のことをいうようです。多くの人々から畏敬の念を持たれ、無いものを生み出し、多大な社会貢献をするには、この死域に達するくらいの壮絶な闘いが必要なのでしょう。

 

死域に達すると言う事は、もう一度、人が生まれ変わるくらいの試練に遭遇してし、それを乗り越えた事なのでしょう。

今日、東京都内で頸椎治療を行い日本の医療の素晴らしさに感銘しましたが、自分自身が「全身全霊」で事をなす機会はありませんでした。

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