「端的」
「一体何のために生きているのか」。
私達はこういう問をよくします。
そして、人生は無意味であるとか、何のために生きているのかわからなくなったとか、言って呟きます。
しかし、人は本来、何のためにあるのでもないのです。
意味といえば、与えられた人生をただ精一杯力をつくして生きる、
つまり、端的に生きること自体にあるだけでありましょう。
それ以上に意味や目的を問わないと気がすまないのは、人の欲であります。
この欲をしづめ、迷いをさまして、生きることに端的にならしめる、それが信仰というものでありま
す。
『灰色の断想』p51 藤木正三著
ekyoukaiは良い教会(ekyoukai.org)から転載