「断続的に」
心に清さを抱いて、それを貫いて生活をしたいと願っても、実際はそうはゆかず、不徹底なことになってしまうのが普通です。
そういう経験をすると、どうすれば清い心を貫けるのだろうかと悩んでしまいますが、その必要はないのです。
元来私たちは、清い心を生活の中に連続的に貫けるほどに清くはなく、
私たちにとって清い心とは、所詮断続的なものでしがないからです。
連続的にではなく断続的に、これが清い心が生活を貫いてゆく姿なのです。
断続的であることを清い心の不徹底と思う必要はありません。
断続的でよいのです。
『神の風景』p75 藤木正三著
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