「働いている心」

 

 誤りを犯した時人はそれだけで、傷つくものです。

 

誰からも、何も言われなくても、すでに深く自ら傷ついているものです。

 

正しいことを言ってその誤りに触れるのは心ないというよりは、

傷ついた心を察し得ない鈍感というべきでしょう。

 

誤りを犯しても傷つかない人はたしかにいるでしょう。

 

それどころか誤りに気づかない人もいるでしょう。

 

それでもなお相手を傷ついている人と信じてかかる、甘いかもしれませんが、

そこには相手を思って働いている心があります。

 

正しさよりは甘さの方に、人間としての勤勉さがあります。

 

 

 

『神の風景』p221 藤木正三著

 

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