「不正との戦い」

 

 不正は許さず、不義は認めず、すべて正しくないものと戦ってゆくのを当然としがちですが、それらは、案外そのままにしておくべきものかもしれません。

 

なぜなら、不正との戦いは莫大なエネルギーを要するわけで、

そのために自分自身を問題にする切実さが稀薄となるでしょうし、

また、正しくないものの中でも自分なりの生き方を創造してゆくことができる人間固有の可能性を見落すことになるかもしれないからです。

 

ですから、気力充実して自分自身に集中している人は、

不正と戦うことを少くとも第一義的な戦いとはしません。

 

 

 

 

 

『神の風景』p233 藤木正三著

 

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