先生がこの「先祖の話」の為に筆を取られたのは
「昭和20年4月上旬に筆を起こし」
と書かれており、
この時期は日本の戦況がいよいよ苦しく、日本中で死というものを身近に感じながら暗澹たる空気感の中、日本中が神と先祖に祈りながら戦々恐々と暮らしていた時代だと誰もが想像できる
明日の命の保証など全くなく、そんな中終戦を迎えたは良いものの
近所、友人、真に親しくしていた方などの訃報に触れ、絶望の淵を彷徨っている人も身近に感じていたであろう時期に書かれたものなのです。
その後8月15日に終戦となり
はじめにの自序には
家の問題は自分の見るところ、死後の計画と関連し、また霊魂の観念とも深い交渉をもって国ごとにそれぞれ常識の歴史がある。
民族の久しい慣習を無視したのでは、よかれ悪しかれ多数の同胞を安んじて追随せしめることができない
の御文章を書かれたのが
昭和20年の10月22日
「超非常時局によって、国民の生活は底の底から引っかきまわされた。
悲壮な痛烈な人間現象が全国の最も静かな区域にも簇出(そうしゅつ)している」
と書かれてあります。
この御本はその時代の空気感を感じ取りながら読み進めるのが大切だと感じているので
私は毎年この終戦の時期にこの本を手に取っているのです
この本の特筆するべきところは仏教伝来以前の
私たち日本人の祖先たちが先祖というものをどの様に捉えていてどう接していたかを丁寧に検証して書かれているところです。
祖先を祀るという行為は仏教的に捉えられやすいのですが、古の頃より当たり前に日本人は祀っていたのです。
と同時に
「ご先祖になる」
という言葉は、御著書によると
この児はみどころがある、きっとご先祖さまになる児だ、やがて一家を創立し永続させ新たな初代となる力量がある
という褒め言葉だった
精出して学問をしてご先祖になりなさい
と少しも不吉な感じがなしに言って聞かせたのは、周りの人からの激励だったのである
と本文にあるように先祖になるということは
自分自身が
家を興し初代となり子々孫々まで家が続く様に立ち上がる
と言うことなのです
それは気概を持ち努力し財産などを貰わずに一家を起こした次男以降の人達や、先祖からの財産などが無かった人達への励ましの言葉だったのです。
天皇家の初代天皇は神武天皇
パナソニックの初代社長は松下幸之助
と言うように、この初代の人の力量が大きいと家が繁栄しそれが永続的に続いて行くことになるのです。
昔の人はそうやって自分が御先祖になる
と志を立てて、親や先祖からの土地なとの家督を貰わず立身出世することをいったのですね
余談ですが、この家督のとくは家々に付いてる根本的財産をさす音霊らしくそれを「督」という漢字に当てはめたそうです
子孫はその家の「徳」も相続しているので、
家督は家徳と言っても良い気がするなと思いました。
色んな方のご相談にのっていても、この世は最後は徳分の差がものをいう世界だなと常々感じているからです。
徳がある家と人は栄え
徳が無い家と人は衰退するのは昔から言われる通り、法則なのだろう
積善の家に余慶あり
積悪の家に余殃あり
私の座右の銘です。
話がまた逸れてしまいました
お盆は家に先祖が戻ってくる
嬉しい再会の日
とし、旧家の当主は紋付袴を着て提灯をもって玄関で御先祖を迎えたと
書かれており
それだけお盆という日を嫁取りくらいのお出迎えで先祖を迎え家に招きいれてたそうです。
「盆花採り」といって山に登って色々の花を手折り盆棚の飾りにした
と書かれているので
ご自宅に特別お仏壇が無い方はこの時期簡易的な
盆棚を作り、そこに山で摘んだ花でも良いだろうが、花屋で花を買って飾り御先祖様お迎えコーナーを家に設けるのも良いと思います
その場合は今年の歳徳神がいらっしゃる方位
「南南東」を向いて飾るのがよいです。
スマホアプリで165度の方に向けて仏棚を作ってください。
昔の日本人は歳徳神は「御先祖」と考えていたようで、昔の習いにあっているのです。
そして、前回のお盆から今回のお盆まで自分の家から不幸が出た家は荒盆といい、悲しみを分かつ礼儀をしてました
この本が書かれた終戦の年は特に日本中で荒盆を迎えた家が多かったのだろうなと考えると、
心が苦しくなります
ですが、10年、20年となんの不幸もなく(身内が亡くなっていること)暮らしている家は
静かなよいお盆でございます
とか
皆様もお丈夫でおめでとうございます
と挨拶を交わしたそうです
となると我が家はお陰様で今年も
静かなよいお盆
となるので、なんとも有難い事だなとしみじみ感じました。
柳田國男先生によると、
毎年時を定めて
「先祖は還ってくるもの」と信じることが容易であったのは仏教の感化ではない
とあり、世のはじめから今日まで日本人の「死後の概念」に霊は永久にこの国土にうちに留まってそう遠方に行ってしまわない
と言う信仰が世のはじまりから今日まで根強くあったことによるものだ
と書かれてあり
これはまさに理屈じゃなく「そう感じる」という日本人独特の霊性のなせることだと思うのです。
われわれの「魂祭り」では「米」と「水」の二つが欠くべからず供物であった、
「茶湯(ちゃとう」と称して湯を沸かし茶を煎じて1日に何回も取り替え上げ
一方水鉢を霊前に置いて始終供物の上に新鮮な井戸の水をそそぎかける
盆の精霊さまはひどく渇いてござる
と言い伝えもあり、水の中に洗米を粒の中入れて備える地方の作法もあったようだ
御祖神を生まれた故地に迎えるには親しんだ水と米が必要と考えたのであろう
荒盆の家では
御霊の握り飯をこさえてその家々のルールで数が決まりその数の握り飯を置く作法もあると書かれていて
感覚的にその数は7個が良いと観じた。
これは、先祖祭りをやってみようと思う読者の方も作った仏棚でやってみられても良いと思う。
御先祖様も喜ばれるだろう
お米のパックを湯煎かレンジでチンして温めて7等分して小さく握るだけなので誰もが簡単に出来る。
日本人は最も先祖の祭りを重んずる民族であった。それは仏教が入る遠い以前からそうだったのだ。
盆は家から外へ出される食物であるのに反して「祭」は内において遠い親祖と子孫との間の
「歓会」幸せな集いであり心意が感応しあう
「交歓」であったのだ
だからその様な十津御祖神である御先祖との交歓の時を年に何度も長い長い歴史の中で繰り返し行ってきたのだと思う。
現代語訳されてるとはいえまだまだ本文はとても難しくかなりの国語力が必要となる御本です。
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日本人は古くから「あの世」と「この世」の境が近いと考えられてきたと書かれています。
それは現代でも
お墓や仏壇ではお供物(食べ物)をあげますが、
海外では死んだ人は食べないと考えられて
不思議に思われるらしいです
あの世のもこの世も繋がっているのです
それが身近に感じるこの
お盆の間は御先祖さまたちと交歓の直会をして
日頃の御守りとお導きを感謝する時としたいと思います
中井耀香