こんにちは。
昨日、漢字検定試験(2級)を終えました。
いや〜、やっぱりかなり難しかったです。
えっと200点満点で160点以上が合格なのですが…。
私の感覚では155点から170点くらいの間じゃないかという、なんとも微妙な見解。
問題用紙も回収されてしまうし、自分ではちゃんと書けたと思っても漢字の「はね」とか「はらい」をかなり厳しくチェックされてバツになる可能性もあるので上記のような予想です。
結果は40日後、どうなることか。
さて本題です。
去年、チビの小学校の校長先生がご退任される時、子どもたちに贈ったお別れの言葉は
「花のしなじな」
という言葉でした。
これはチビが通う小学校にゆかりの深いある古い詩の一節からのものです。
先生は子どもたちに「みなさんは花のしなじなです。一人ひとり背の高さも顔も声も違うけど、でもみんな素敵で先生は大好きです。だからお友だちと競ったり争ったりするのではなく、どうしたら自分がもっと素敵になれるのかな?を考えてこれからを過ごしてください」という内容の話しをされました。
聞いててこっちがウルっとしてしまう、とってもいいお話しだったんです。
小学校の先生がこんなにいいこと言ってるのに、これが中学・高校と先に進めば進むほど過酷な競争社会になっていくという矛盾。
そして大人になって仕事を始める頃には立派な競争社会人の完成となる。
そんな社会の仕組み自体を変えることはできない中、多くの人が苦しみ必死に耐えて生きてるから、「世界で一つだけの花」みたいな歌が大ヒットするのでしょう。
「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」というフレーズに心を救われた人がどれだけいたことだろう。
その結果、この曲のCDは300万枚も売れて、これは歴代3位の記録だそうです。
(ちなみに1位は「およげ!たいやきくん」(1975年)で、2位は「女のみち」(1972年))
で、その曲の作者の槇原敬之さんが先日、覚醒剤取締法違反で2度目の逮捕となったわけなんですが…。
昨日チビがこんなことを言ってきたのです。
「あーあ、世界で一つだけの花は大好きだったんだけど、作った人が悪い人だったから嫌いになっちゃった」と。
私「ちょっちょっ、ちょっと待って!たとえ歌を作った人がどんな人でも、いい歌には変わりないよ。だからそんな理由で歌を嫌いになっちゃ可哀想だよ。それだし、槇原敬之は悪いことをしたけど悪い人じゃないと思う」
チビは「そっか、そうだね」と言ってそのやりとりは終わったのです。
でもね、これ、なんでチビがそんなことを言ったのか、理由を知ってるのです。
原因はテレビ。
たまたまつけたテレビのワイドショーでこの事件を取り上げていて。
司会者が「それでは街の声を聞いてみましょう」とか言って、映像は都内のカラオケ店へ。
そこでカラオケを歌ってる若者にインタビューをするんですよ。
若者「あ、ショックですねー。世界で一つだけの花はよく歌ってたんですけど、これからは歌うと事件のことを思い出しちゃいそうでちょっと…」と、よくもまぁテレビ局の思惑通りのコメントをしてくれる人を見つけたなーと感心。いや、わざわざ見つけないよね、普通。
そして映像はスタジオに戻り、さっきの若者が話した空気感のままコメンテーターが同じような話しを繰り返す。
「いや、ショックです。この人の作品はどれも大好きだったのに…」ってね。
チビはそれを私と一緒に見てたんです。
で、さっきのチビの発言に繋がるわけで、テレビの印象操作は根深く罪深い。
さて、では世の中に存在するすべてのものは聖人君子が生み出したものでなければいけないのでしょうか?
そもそもいったい誰がそんな息苦しい世の中を望んでいるのか…。
テレビを含むマスコミはその時その時の世論を無責任に作り出し、単にそれに乗っかってるだけにしか思えない。
そしてもう一つ。
「世界で一つだけの花」について調べてみたら、楽曲ができるまでの経緯が紹介されていました。
槇原は本曲を作る3年前の1999年に覚醒剤取締法違反(所持)容疑で逮捕されたことが自分を見つめ直す機会になった。その中で彼は仏教と出会い、従来の私小説的な作風とは異なる人生をテーマとする作品を手がけるようになり、その成果が本曲だった。(Wikipediaより引用)
いやいや、これ、そもそも覚せい剤で捕まったことがきっかけで生まれた曲だったわけじゃん!
私は犯罪行為や不法行為を肯定したり庇うつもりはサラサラ無いけれど、多様な経験を積んで、時には過ちを犯したりする弱い人だからこそ、人の心に深く染み込むような名作を残せるのではないか、とも思うのですよ。
「世界で一つだけの花」には生みの親と育ての親がいるんだけど、育ての親は解散しちゃって生みの親は2度目の逮捕。
みなしごみたいで可哀想だからこそ、私たちが今まで通りに聴いたり歌ったりして伝え残してあげればいいのにと強く思うのです。