Netflixのマリッジ・ストーリー見ました。ネタバレどころか、ストーリー紹介もしませんのでご安心を。
離婚を扱った映画で、父親の相手を信じきった呑気な態度にイライラさせられた。本気で親権が欲しいなら、全てを賭けて取りにいかないとダメなのに、ぬるい甘いことばっかり言ってる。
ふた言めには、自分は嫁さんの言うことを尊重してきたから相手もこちらを尊重してくれるはず、と言い続ける。
ほんとにイライラさせられる。本気で欲しいなら、本気で取りにいかないとダメでしょう。戦い方が分かってないな~。
さて。かくいうワタクシは、母子家庭で育った。このことは自分に大きな影響を与え続けてると思う。
もう子供は20歳で、とりあえずは健康に育ってる。それで充分だ。
とにかく子供とは離れたくない。よく言われるように、嫁さんは他人だけど、子供は血を分けた存在だ。
けれども、ひとつだけどれだけ辛くとも決めていたことがあった。離婚する時は、親権などは絶対に争わず(争っても勝てないということもあるけど)、嫁さんに任せようと思っていた。
子供は母親のものだ。もの、という言い方は適切ではないとは思うけど。
子供にとって、母親と比べたら父親はオマケみたいな存在だ。
両親とも熱でへばってた時は一人解熱剤飲みまくって子供の誕生日プレゼントにウルトラマンに会いに連れて行っても、寝るとき枕代わりにずっと足やお腹にしがみついて寝るクセがあって、母親はそうそうに逃げたからずっとその相手して一緒に居ても、もーなにしても、母親がおいでって言ったら絶対にそっち行くんだから。
だから、絶対に子供から母親は奪えないと思ってた。その覚悟があったからこそ、嫁さんもあえて遠ざけようとはしなかったんだと思う。あの時引き剥がされたら死ぬかもしれんかった。
お泊まり保育があって子供が一晩居なかったときは、寂しくて死ぬことって本当にあるのかもしれないと思った。
ま、今ならも少し耐えられると思う。2.3日なら。
これほど一緒に居たいと思っても、やっぱり子供は母親のものだってずっと思ってた。
いっぱいの家庭が世界にはあって、同じ家庭は二つとない。だからそれぞれの事情があって当然だ。でもま、とにかくほんとの意味で自分が犠牲になれるのは、子供のためだけだろね。
子供が辛い顔してたら、本当に辛いもんね。自分に子供ができてから、両親には、常に笑顏で接しようと本当に思ったのでありましたっ。
こんな感じで。