ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその378-秋立ちぬ

2019年09月03日 | 邦画
無垢な少年期の寂しさ。

無垢な少年少女期、疑うことを知らず、素直に首を縦に振っていた時代。
現代の彼ら世代はどうなのだろうか。
裕福な環境、予め与えられた物、物、物。
素直さとは、もう昔に置き忘れられたのかもしれない。

今回紹介する映画は「秋立ちぬ」名匠成瀬巳喜男の作品だ。
ストーリーを紹介しておこう。

茂子は夫を結核で亡くし、東京で八百屋を営む兄のところへ、息子の秀男を連れてやってくる。
茂子は近所の旅館で、住み込みの仲居として働き、秀男は兄の家で面倒を見てもらうことにした。
しかし茂子は、真珠の仲買を仕事にしている店の常連と関係を持ってしまい、やがては秀男を置き去りにしてその男と駆け落ちしてしまう。
たった一人となった秀男は身の振り方に困ることになるのだが.......

まずこの映画の素晴らしいところは、この映画製作年の東京の情景を細かく撮ってあるところだろう。
私も昭和生まれだが、これがおおよそ60年前の東京の姿なのかとびっくりさせられるところが多い。
この映画は、想像するに「オールロケ」で撮られたのであろう。
そして一人置き去りにされた秀男の悲しさ。
彼には順子と言う、母が働いていた旅館の娘と友達になる。
しかし、この順子も、母親は金持ちの妾で、実はとても寂しい立場だった。
この二人の素直なセリフ、演技を観ていると、こちらの方がなにか切ない気分になってくる。
特に順子が、本家の子供達と初めて会うシーンは、彼女の悲しさがこちらにも十分伝わってくる。
秀男達が東京へ来たのは夏休み中。順子は夏休みの昆虫採集ができていないことを、秀男に話す。
秀男は田舎から持ってきたカブトムシがあるから、それを貸すと順子に約束する。
しかし、そのカブトムシは逃げ出してしまい、なんとか他のカブトムシを秀男は躍起になって探す。
ラスト、ひょんなことからカブトムシを捕まえた秀男は、走って順子の家を目指す。
しかし、そこには新たな悲しさが待っていた。
成瀬が珍しく少年を題材に撮った映画だが、その切なさは健在。思い出しても秀男の切なさ、悲しさには涙腺がゆるんでしまう。
観ていない方には是非観ることをお勧めする。

1960年、日本製作、モノクロ、78分、監督:成瀬巳喜男

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