私の足のケガが治りかけていることとか、欲しかったCDを案外安く買えたこととか、定期が切れるのを一日前に気付けたこととか、そういうどうでもいい話が、ほんとうに誰にとってもどうでもいいままで、それなら誰もいなくたって同じ事で、そういうとても当たり前なことは悲しかったり辛かったりするものじゃなくて当たり前のことで、だけどただ疑問に思うじゃないか。疑問に思って、それに、どうしたらいいのかなって思って。私さ、昨日さ、CDショップでね、とても安い値段で、あのね、ってだれかに話し出す瞬間のために人間に触る、触るから、笑って欲しいと思う。だれにだって笑って欲しいと思う。私はいったいどんなとき笑ったり泣いたりするだろう、私はいったい誰の話を聞くんだろう、誰かはいったいいつ泣いたり笑ったりするんだろう。とてもどうでもいい話をするときのために詐欺みたいな口調でどうでもよくない話をするなんてそんなのってないよ。ただどうでもいい話をだらだらすればいいじゃないか。いつも胡散臭く、暴力的にさえなれないで、間が抜けているのかな。それはきっと誰かにばかり期待して、誰かが笑うのを待つクジ引きで、当たれば嬉しくなるだけのプラスチックな、だけどいいからちょっと眠いから、今だけどうでもいい話をしよう。どうせ同じくらいにくだらないことで喜んだり悲しんだりしてるよ。ところで昨日おれはCDショップで七尾旅人のアルバムを買ってね、とても嬉しかった。
階段を昇っていると、急に次の一歩が踏み出せなくなるときがあって、持ち上げた片足が宙ブラりんで着地点を探している。俺の踏もうとした次の一段は尊いはずの一段だったし、俺の踏んだ一段は駅の改札へと続く石くれだった。和音の出ないような違和感と、代用のフラットの不協和音で、心のどこか楽器が鳴っていた。一階ずつ止まるエレベーターみたいに、大切にしたかった。
思考と思考のあいだにマシュマロとか、詰めたかった。口の中を歯で一杯にしたかった。右手の小指を引っ張ると赤いランプが点いて、左手の親指を引っ張ると首がぐるんと回った。スイッチはふたつきりだった。俺は、そのあいだの名前もない空白が、いなくなった次の一段が、俺を見離しているんだなあと思い当たって、悲しくなった。悲しかったけど、俺はだって、改札に行かなくちゃいけないのだから、階段は昇るためにあった。俺は見離されているのだと思った。呆れさせているのだと思った。小指と親指を交互に引っ張って大笑いしてる猿のオモチャみたいなにんげんだから、呆れられているのだと思った。俺の踏みたい次の一段に、俺の足の裏側が探した一段に。でも、どう考えたって、駅の階段の次の一段は駅の階段なんだよ。バカだな。駅の階段に見離されたら、今よりずーっと困ってしまうくせに、ばかだな。
目の前を泳ぐ魚を見ながら、魚が泳ぐということについて考えたいんじゃなかった。水槽に十本の指を圧し付けて、その十本の指の十しかない文字で挨拶したかった。魚に。明かりの乏しい部屋の隅っこで、水槽に十本指を圧し付けて、魚を見て、会話を望んで、それで、俺は他のなにもかもに目もくれず、答えを待ちたかった。部屋の外では何度も朝が来て、秋や冬が来て、車は空だって飛ぶようになって、貧困も紛争も消え去って、それで、まだ俺は骨が浮かび上がった両手で部屋の隅で魚の水槽に指を圧し付けていたかった。それを勲章にしたかった。もうずっと、魚、きみのことを考えている。たった十文字伝えるために。たった五文字の返事が欲しいだけで。そうやっていつか、誇らしく言いたかった。じぶんは魚のことを考えられる人間なのです!って。豆電球みたいに単細胞だけど、目の前のもののためにだけのものになれるって。一グラムの普遍性も持たない、魚のための骨になれるって。でも、だから、魚だってなんだってよかった。机の上で腐った魚の切り身だってよかった。その隣のシャーペンでも。その隣のホチキスでも。神様は、神なんて文房具だった。魚の切り身だった。水槽の中の冷たい魚だった。水槽は冷たくて、指先はいつも冷たくて、俺は魚は魚であると知っていたし、じぶんはけっして魚のためのじぶんになんてなれないことも知っていた。視界はなんだっていつもとても明瞭だった。水槽の下の木台のささくれだってはっきりと見えた。壁の染みだって、灯に反射する埃だって見えた。だから俺は魚のための俺じゃなかった。俺は俺のために小指と親指を交互に引っ張る猿のおもちゃだった。それでも目の前にいるあなたのことを考えたかった。魚のことさえ考えられない俺はだけどだれかについてだれかのために歌いたかった。役立たずの薬指を証明したかった。あるはずの次の一段を探したかった。俺は信じていた、信じてる、天国と閻魔さまとノストラダムスくらいには信じてる。後ろから刺してほしい。ぎざぎざした包丁で。それで俺は振り向いて、あなたを憎みたい。それだからあなたをだいすきって言って。バカ。刺されたくなんかない。ばか。嫌いだ。皮膚と皮膚できちんといたい。皮膚と水槽、皮膚と太陽。俺が、針を刺したらゴムの塊になるような、風船みたいな、ものならよかった。血を願ってる、ばかだから、完結した指先を慈しめるような、風船だったらよかった。紐を離してしまった子供が見上げる先で、おそろしいスピードで高度を増す非情な風船。子供の黒い目を手離して、さようならおだいじにって挨拶して、空を見上げた無表情の子供と、お互いを手離して、別々の、神様とおれはべつべつの人間になりたい。さようならおだいじに。冷えた指先を舐める。挨拶の仕方をいつも間違えた。挨拶をするための弱視だった。だけど俺はまだ信じている、信じていない、信じている、のだと思うな。会えなかったすべてのもの、言えなかったすべての十文字の、墓標に、この指の一本をあげる。右手の小指をあげる。赤いランプは追悼のランプになるだろう。だからさようなら。おだいじに。お互いが死んだって構わないから、おだいじにと言うことができた。
誰かが泣きだしたときに、私は笑うべきなのかどうなのかわからないでいる。私は笑いたいとき笑おうと思う。いっしょに泣いて欲しい人を、笑って傷つけると思う。だけど私は笑いたいときに笑おうと思う。私はそんなことはいつもうまくできないけど、きっとうまくできないけど、いつもうまくできないけど。お大事にねって、そんな言葉を知っているけど。
夏休みなのに毎日学校で教鞭を執ってくださった先生が、「僕はお前たちなんかよりうちの子のほうが百万倍可愛いのに!」とか叫びだしたから、私はあの先生を百万倍くらい好きになった。まだ小さい二人の子供がパパ遊んでくださいっていうのを振り切って、学校で三時間も黒板叩いて、「僕はお前らなんかよりうちの子供がずっとずっとずっと可愛いんだよ!」とか そんな当たり前のことを叫びだしたから、ほんとうにいきなり、脈絡なく、脈絡なく当たり前なことを言いだしたから、私は動揺してシャーペンの芯をぽきぽき折った。みんな叫べばいいと思う。「うちの子供の方が百万倍好きなんだよ」って、当たり前でみんな知っていることを大きな声で叫んで、みんなで再確認して、私はシャーペンの芯をぽきぽき折ってしまえばよかった。みんな会いたい人に会ったり ウチでスマブラやったり、そのために走りだしてしまったり、それから、「それができない!」っていう不満とか叫びだせばいいと思う。
みんなあははと笑ってお話はすぐに文明の興亡に戻り、だれも後から後から叫びだしたりはしなかったし、私もしなかったのだけど、どこかで絶叫合戦が始まったらなんて言おうかなあ、とか考えていてノートが白い。そんなこと言ったってしょうがないだろう、ってみんなで笑いあったり、笑わなくてもいいけど、「空が飛びたいね!」ってすてきだね。どうしようもないことをみんなが一斉に話し出したらどうするんだろう。私は なんだかそれって別にいいのじゃないかなと思うし、それが絶望的なほど会話というものでなかったとしても、私はそれだって別にいいのじゃないかなと思う。 「戦争がなくなればいいね」「戦争はなくならないよ」「死にたい」「死ねばいい」「死にたいな」「死ねばいいね」って何百年でも繰り返して、それでも先生が「お前らの顔より子供の顔が見たいんだよ」って言った時、みんなあははって笑っていたんだから、だから。荒唐無稽を笑うささやかさが、頭悪くても、返答以外に誰かがなにかを話したら、ときどき楽しい。せめて冗談を言って笑おうよって、フランスの歌手は言っていたけど、なんでも冗談にしてしまって、それは寂しいけど。冗談を笑いあって、それだっていいからみんな立ち上がって不毛なことを言い合えばいいよ。私はそれで嬉しくなると思う。誰も誰にもなにもしてあげられないのだから、きっとなにもできないのだから、だからもういいんじゃないかと思う。それで、どうにもなんないねって言って私たち馬鹿だねって、馬鹿やってたっていいと思う。暑い暑い暑い暑いって五万回囁いてよ!私が夏を終わらせるから!ってだれも信じないで、馬鹿になって馬鹿になってみんな、ひとりひとり、一生を越していくんだから。
「どこにだって来てくれる?」と受話器の向こうでだれかが言った。
聞きなれた声に低速の心で、「そんなに遠くないならね」とこたえた。
「ここはでもアメリカなんだけど・・」と言う声の後ろで
中央線の発車のメロディが たららたらら と鳴っていた。
それはちょっと遠いなと笑った。
近頃は、それはちょっと遠いな と言ってばかりだな。
誰かの裾をつかみながら「それはちょっと遠いな」って
笑うのは、さぞ間抜けだろうな。
優しくするには遠すぎるって、本当には思わなかっただろう。
逃げ回るために世界はひろくて、私はいつでも笑ってしまえる。
電車の中、窓の向こうで鳥たちが
太陽にばさばさ飛んでいくのを見つけて
死んだうさぎみたいな温度で私の情熱がことこと揺れた。
夕陽の一番暗いところがゆっくり車内に滲んでいって
内臓ぜんぶを血色のたんなる光にしてしまった。だから
くずれていきたかった。標本の虫みたいに夕陽でここに
縫いとめられたかった。そしてそのあとで私の上に、
私を許さないあらゆるものが、燦燦と降り注げばよかった。
電車は今日もほしいままの速さで走り
私をすんなりと連れ出してくれた。