2019年03月31日 08:00
舟を編むを観てから読みました
舟を編む (光文社文庫)
時々とんでもない時間に起きてしまうことがあります。
若い頃のように、見ていた夢に悲鳴を上げて飛び起きる、なんてことはなくなりましたが、若い頃はそれほど気にならなかった、隣近所の騒音、所謂生活音てやつですが、これが気になって目が醒めてしまうことが多くなったようです。
その日もそんな、なんとなく深夜というか明け方と言うのか、報道番番組なら未明と表現するような時間に起きてしまいました。
二度寝しようにも目が冴えてしまっていますので、どうにもなりません。
しかたないので、眠くなるまで動画でも見ようかと、PCを立ち上げ、アマゾンで映画を探して見ました。
あれこれ迷った末、観る事にしたのが「舟を編む」です。
一時期話題になりましたので、ウォッチリストに入れたまでは良いのですが、長い間放置したままにしてしまいました。
なぜ長い間気になっていたのに観なかったかというと、理由は簡単、原作者の三浦しをんがあまり好きじゃなかったのと、ヒロイン役の宮崎あおいが嫌いだったからです。
でも、その日の気分は、この映画だったので、勇気を持ってクリックしました。
映画は素晴らしい出来でした。
ちょっと観て寝るつもりが、ついつい最後までガッツリ、しかもまったく集中を切らさずトイレにも行かずに観ました。
淡々として大きな事件もなく、しかし、一環した目的意識のもとに登場人物が一歩ずつ進んで行く姿は、本当に素晴らしいと思います。
それに馬締の下宿が夢のようで、出てくるたびに、あんな本棚が欲しいとか、あんな風に本を並べたいとか、ヨダレが出るほどうらやましく思いました。
あまりにも感動してツイッターで呟いたところ、なんと、舟を編むにはアニメ版があって、それも素晴らしいというおすすめをいただきました。
ならば、と、1週間ほどかけて全話を観ました。
なるほど、これもまた素晴らしい作品です。
映画版とアニメ版の一番の違いは、西岡という、馬締光也の同僚となるキャラクターの扱いだったと思います。
映画ではオダギリジョーが演じて、フワフワした感じが主体の描き方でしたが、アニメでは浮ついた外見と、1本芯の通った鋭さ、剛さが同居するカッコ良さ、有能さがしっかり描かれていました。
自意識の肥大したセクハラクソ教授を恫喝する場面は、涙無くしては観る事ができません。
そして、ここまで来たら原作読むしかないよな、と観念して苦手な三浦しをんに手をだしてみました。
読みはじめて十数ページあたりまでは、やっぱり苦手な三浦しをんで、どうにも嫌悪感が先に立ってしまってどうしようもありませんでしたけれど、馬締が動き出したあたりからは、それなりになんとなく読めました。
原作と2つの映像版を見比べてみると、当たり前の話ですが、尺のあるアニメ版の方が原作に忠実でした。
かといって、映画がアニメに劣るのかと言うと、そんなことはありません。
どちらも独立した素晴らしい作品です。
映画には映画の、アニメにはアニメの良さがあります。
とくに映像的にたまらなかったのは、原作でバッタモノ感たっぷりに描写された「ヌッポロ一番」のパッケージが、まるでサッポロ一番醤油味になっていたことです。
独身時代の馬締の晩飯はこれが定番でしたけど、見るたびにサッポロ一番を食べたくなってしかたありませんでした。
そして、舟を編むにはコミカライズも存在するということを最近知りました。
これはもう、そこも攻略するしかないのでしょうね、しかたありませんw
それと、映画、アニメ、原作を通して、タケさんのキャラクターに心安らがせていただいたことを、最後に一言だけそえておきます。