みりんちゃんの窓辺

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日々のあたふた劇場

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「桜は何科の植物でしょうか?」と職場の上司が得意顔で皆に聞いている。

正解はバラ科サクラ属。

かつて、もっと私が若かった頃、だいぶ前のはなしだ。

植物大好き人間には簡単な問題だが、畑違いの職種の人には驚きだったようだ。

バラにはちっとも似てないね。等と囁かれていた。

俳句の世界では、「花」と言えば桜をさすのだから、こちらの方が驚きだ。

日本の詩歌は伝統的に「花」は桜の花のことだそうだ。

スミレ、ヒマワリ、朝顔等々、花はイロイロあるではないか。

そのイロイロの花だが、

どの花もみなそれぞれ物言いたげに自分を主張している気がする。

しかし、桜は自分の主張より、見ている側の気持ちを尊重しているかのようにみえる。

いつだったか、桜を見る度に哀しくて悲しくてたまらなくなった事があった。

それは1度ならず、桜に遭遇すると哀しくなる。

身に覚えの無い哀しみに戸惑った。

そして、何故か祖母の妹に当たる方を思い出すのだ。

後で知ったのだが、その方がこの世を旅立ったということだった。

桜が好きな方だったわけではない。

不思議な体験だった。


最寄りの駅の坂を登りきった所に「ヤエベニシダレ」という桜の木がある。

ヤエベニシダレは文字どうり、小振りの八重で紅色をしていて、枝垂れている桜のことだ。

この、枝垂れ桜の下の中心にすっぽりおさまり、空を見上げると、異世界にはまりこむ。

優しいピンクの室に入っているようだ。

晴れていると、青い空、桃色の花が相まって、意識がそこにない気がする。

今年は未だ咲いていない。濃いピンクの蕾が咲く準備をしていた。

何年か前に、枯れ枝かと見まがう枝が落ちていたので、

持ち帰り、挿し木をしたら着いた。

わんさと木は茂ったが未だに花は咲かない。

今年も葉桜のままだ。

画像は桜
サクラ

サクラ


すっかり春になってきた。

少し歩くと桜はほころび、土筆はほうけてしまっている。

冬場は色が引き立たない。

春になると同じもののはずなのに、鮮やかな色に感じられる。

心の置き所が違うのだろうか?。

庭の一角に置いたビオラが鮮やかさを増し、花数も増え、春を謳歌している。

私の故郷では、

春が未だ浅く、物の芽が芽吹く頃 

近所の人と誘いあい、石蕗の若芽を抜きに行く。

海岸の近くの山肌や、深い山の茂みの辺り、山畑の畦といったいたる所に生えている。

けれども出来不出来があるので、師匠級の人についていく。

1番怖いのは冬眠中の蛇を起こしてしまう事だ。

マムシに遭遇すると最悪だ。

しかし、遭遇した事はなかった。幸いだ。

若芽を抜く時のシュッとかキュッという音の感覚がたまらない。

柔毛のビッシリ生えたツワブキの若芽は葉っぱが耳のような形をしている。

この、耳のような形が少しずつ成長して、大団扇の形になっていく。

蕗と同じように茎をたべる。

蕗より柔らかく香りがより強い。そして、穴がない。

茎の皮を剥くとアクで焦げ茶色に指が染まってしまう。

皮を剥きながらぽきぽきと折り、水に浸けてアクを抜く。

一晩浸けて置くと、ほぼアクは抜けている。

豆腐と炒める。煮物にする。これらが定番の調理法だ。

春の香りが立ち上がり、春を実感していた気がする。

東京では専ら庭に植えるものといった扱いにびっくりした私だった。

よその庭に石蕗の芽を発見すると抜きたくなる衝動が走る。

花は丈夫で頑丈そうな黄色い花だ。


画像は石蕗と石蕗の豆腐炒め
  石蕗

石蕗の豆腐炒め


今日は一日中雨だった。

春の雨は楽しい。

これからは暖かくなるよと言っているように見えるから。

ミーマーのかかりつけの医院に薬を出してもらおうと出かけた。

途中、菜園畑のあるお宅がある。

見事な大根が育っていたが、今はだいぶ少なくなってきている。

「あの大根 歯槽膿漏みたいだね」連れ合いはのたまう。

「大根は抜く時季がくると、肩を出してくるのよ」笑いをこらえながら答えた。

大根の白い茎が伸びて肩がせり上がってくる。

最盛期は青々とした葉と白く肩を出した大根が収穫を待っていた。

人様の畑なのに自分のことのように嬉しかった。

数本になった大根は確かに歯抜けのようにも見える、が、いくら何でも歯槽膿漏などとあり難くないものに例えなくてもいいではないの?

大根は十字の白い花が咲く。

その白い花にモンシロチョウがひらひら飛び交っていた生家の前の畑は私の遊び場だった。

花が終わると緑のさやの中に種ができる。

緑のさやはやがて枯れ色になり、その中に茶色の種がある。

緑のさやのうちは油で炒めて食べても美味しい。


連れ合いは最近歯医者に通っている。

美しい歯に惹かれてつい結婚してしまった。

その歯も今や歯槽膿漏と診断されて1本は失ってしまった。

忠告を無視した結果だ。

傷のなかった歯にもかかわらず徐々に歯茎から抜けてきた。

その間はじたばたと様々な治療方法を探り、遂には抜く羽目になってしまった経過がある。

妙に自信のあるもの程注意を怠らない方がいいのではないか。

大根さえも歯槽膿漏に思えるほど深刻になる。

人は誰もが自分が世界の中心だ。

物事は全て自分のありようを通して物事を捉え感じて表現している。

私の今日はミーマーが帰ってくるまで「私の孤独」を聞いて過ごした。


画像は 大根 ご機嫌斜めの麻呂
大根

猫 麻呂