よみがえる皇室②▼2000年来の争い▲ | 八咫インコ

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幾多のスビリチュアルな経験と 聖書をベースに 永遠の謎を神次元で解明し わが家に舞い降りたインコとともに 新たな扉を開きます

よみがえる皇室①▼物部氏のリベンジ▲

のつづき

昨今の皇室における騒動原因は 太古より皇室を中心
に巣くってきた ディープ ・ ステート ( 以下 DS )
に対する 物部氏のリベンジとしてひもといていく
解決への道しるべは DS vs 物部氏 の解消

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まず皇室2000年来の争いについて語るには 神武東征
のことが不可避 そこで当ブログ流歴史ざっくり版↓

時は初代 ・ 神武天皇 が即位する前のこと ヤマトに
向かった神武が 浪速の地で ナガスネヒコの軍勢に敗北

そこで神武軍は方位を変え 八咫烏の導きにて再度
ヤマトへ上陸 そこで勝利した神武はヤマトを平定

勢力図を解説するなら 敗れたナガスネヒコがDS勢力
ナガスネヒコが仕えていたのは その妹が后のニギハヤヒ

生前退位の真相②▼饒速日命より預かった皇位▲

八咫烏 を神武の元に派遣したのは 物部氏
ヤマト平定後に神武は 物部氏に迎え入れられて婿入り

ニギハヤヒ時代 DSと物部氏は大和朝廷として和合
物部氏のニギハヤヒが去って後 DSと物部は対立へ

記紀にも登場する 神武が敗北した 浪速 ( 難波 )
の地より 当ブログは 世界に向けて発信中

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時は下り 聖徳太子が登場する直前のこと
強大化していく物部王朝に 恐れをなしたDS勢力
そこで物部氏の勢力を弱めんと 利用されたのが蘇我氏

蘇我 という姓の由来は 「 我は蘇る 」 つまり
終末に蘇ると信じられた イエス ・ キリスト

すなわち 物部氏と蘇我氏は同族にあたるわけだが
DS勢力に利用された蘇我氏によって 物部氏は没落
後に中央政権から追放される羽目におちいる

その争いの最中に現れたのが 聖徳太子
有名な聖徳太子の 「 和を以て貴しとなす 」 は
このような時代背景から生まれたフレーズ

眞子さま婚約延期騒動の結末①▼聖徳太子「未来記」のシナリオ▲

しかし聖徳太子の死後 DS勢力は太子一族を殺害
さらに 物部氏を没落させた蘇我氏一族をも滅ぼして
ユダヤ系皇族のみを残し 日本を乗っ取ったのが 645年

大化の改新として知られる その歴史においてDS勢力は
そのときに初めて 「 大化 」 と元号制定 それ以来
日本の元号は 今の 「 令和 」 まで続いている

古来元号が漢籍から引用なのは DS勢力が中国系だから
令和が 国書 から選ばれた初の元号と話題になったのは
脱中国 つまり 脱DSの魁 ということが真相

新元号「令和」に秘められた神意と舞台裏

DS勢力が元号以外に定めたのが 皇室における側室制度
悪く言うなら ハニートラップによって DS血筋が
ユダヤ系皇族に接触し 着々と血縁関係を結んでいった

DS勢力との血縁 ( 側室 ) を 排除したのが
南北朝時代に 隠岐へと流された後醍醐天皇

なぜ南北朝に分断されなければならなかったか(・・?)
なぜ側室制度が 大正時代に廃止へと至ったか(・・?)

皇統存続危機が迫るなか 側室制度を復活させない理由
それらの理由も歴史認識をすれば 容易に想像できる

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話は一気に現代へ 未だ解決の道筋が見えない小室問題
英国では ヘンリー王子の皇室離脱が世間を賑わせたが
日本でも小室問題に代表されるように 話題満載の皇室

その解決が喫緊とされるなか 今では秋篠宮家
のバッシング等につながり 出口は見えない

しかし 物部氏の怨恨による DS支配による現代皇室の
解体が真の目的であるとするならば 眞子さまと小室氏
は単に結婚することが目的ではないことに気づく

よみがえる皇室③▼皇室クーデターの真相▲

につづく