ノアの小窓から

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伝道者の書26 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。(伝道者の書12章1節~7節)

2020年06月01日 | 聖書
 あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また「何の喜びもない。」と言う年月が近づく前に。(伝道者の書12章1節)

 これを、若い人だけに言うのは酷ですね。最近では、若い時代はずーと伸びています。日本では還暦を迎えて、「さあ。もう一度」と、ロックバンドを結成したり、フルマラソンに挑戦したり、学校に行きなおしたり、起業したり、はたまたもう一度若い奥さんを迎えて家庭を作り直す人など、青春時代が、「若い日」だけとは限らなくなっています。
 
 国が安定していて、年金や社会保障が充実した国、医療制度や衣食住の環境も良いので、人は、今の時代七十歳くらいまで老年であることを自覚させられないのです。けれども、時代小説などを読むと、江戸時代までは四十五歳くらいが引退年齢。そのころまでにしっかりした跡継ぎが育っていることになっていて事業や地位を継がせるのです。老眼が入り、歯が抜け始めるころです。箱根の関所の博物館で、関所の改め帳を見たことがあるのですが、毛筆なのにとても細かい字で書かれていて、これでは老眼が入ってきた役人は書くことが出来なかったろうと思ったものです。
 女性のための化粧品も、かつては、「二十四歳はお肌の曲がり角」と宣伝していました。ところが、最近では、七十歳八十歳に「若さ」を売ろうとしています。

 だから、一節の言葉は、こう言いかえられるかもしれません――みことばを言いかえるなんて不謹慎と思われる方は、どうぞお叱り下さい。
 
 あなたが若さを楽しむとき、あなたの創造者を覚えよ!。

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 太陽と光、月と星が暗くなり、雨の後にまた雨雲がおおう前に。(2節)

 これは、イスラエルの冬の情景だそうです。(新実用聖書注解・いのちのことば社)
 若さがみなぎっている人には、冬もたいして気になりません。わざわざ冬山に上ったり、スキー場やスケート場に行って、自分の身体能力に挑戦します。
 けれども、ほんのひと昔前は、二月八月(にっぱち)と言ったのです。葬式が多い時期です。寒さと暑さのストレスに弱いお年寄りが、もっとも多く亡くなる季節だったのです。
 
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 その日には、家を守る者は震え、力のある男たちは身をかがめ、粉ひき女たちは少なくなって仕事をやめ、窓からながめている女の目は暗くなる。(3節)
 通りのとびらは閉ざされ、臼をひく音も低くなり、人は鳥の声に起き上がり、歌を歌う娘たちはみなうなだれる。(4節)
 彼らはまた高い所を恐れ、道でおびえる。
 アーモンドの花は咲き、いなごはのろのろ歩き、ふうちょうぼくは花を開く。だが、人は永遠の家へと歩いて行き、嘆く者たちが通りを歩き回る。(5節)

 人はやがて死にます。どのような若さも、若く見える生命力も、やがては衰え死ぬのが定めです。それはわかっていても、葬列は悲しいものです。親や子や親しい者の死を嘆かない人などいるでしょうか。
 「永遠の家」は、墓場のことでしょう。

 こうしてついに、銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、水がめは泉のかたわらで砕かれ、滑車が井戸のそばでこわされる。(6節)
 ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。(7節)

 不思議ですね。「ちりに帰る」と言う表現は、仏教の葬儀でもよく聞きました。私たちは消えてなくなるのではないことは、ある意味で誰もが知っていたのでしょう。体がなくなったら、それでも何か残るはずだという思いは、素朴な人々にとっても、ぬぐい切れない問だったことでしょう。
 死者の霊が「そのあたりをいつまでも彷徨っている」といった漠然とした「思想」は、子供心にもうす気味悪かったのを覚えています。大衆受けする怪談や今昔物語などに混在している、いわゆる「仏教説話」は、このような疑問に答えようとする仏教思想のプロパガンダだったのでしょうか。

 聖書によれば、そもそも人のいのちは、神が、人に霊を吹き込んで与えてくださったものです。死ねば、当然、霊は神のもとに帰るとソロモンが考えたのは、しぜんなことです。

 空の空、伝道者は言う。すべては空。(8節)

 ソロモンは、およそ人として考え得る限りの祝福を受けていました。その価値を味わいつくした結果、「空の空」という結論に達したのです。
 つづく9節から14節は、伝道者の書の結語になります。

 





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