現在、東京台東区付近のホテルに潜伏中のヘリオスです。
最近余り話のネタが無いのですが、今回は数年前に書いた『平将門公』及び、坂東市に残っている史跡『岩井(石井)の井戸』と、それにまつわる逸話の再投稿ですが、本日訪れた東京大手町の『将門塚』の写真を追加しています。


坂東市の岩井には先日書いた『国王神社』の他に、平将門に縁のある場所や逸話が複数残っていて、岩井の井戸もその一つになります。

道路沿いに並んでいる田園地帯に突き出ている緑地に、石井の井戸のあったとされる場所がありますが、現在は石井の井戸は存在しておらず、その跡地には下の写真に写っている石碑と大きな樹木が建っているのみです。










平安時代に書かれた『将門記』によれば、坂東市岩井地区の石井営所跡が将門公の居城であったとされていて、『 国王神社縁起演書』には平将門公と石井の井戸に関わる話が記載されている様です。

平安時代中期、平将門が居城建築の地を求めて岩井の地を訪れたが、将門公は喉が渇き水が欲しくなりました。

その時、東南の方向から「水」と聞こえたので、周りを見渡すと、何時の間にか一人の老翁が大きな石の側に立っていたそうです。

老翁は側にあった大きな石を軽々と持ち上げて、地面に投げつけると妙味の清水が湧き上がり、将門公と兵士達は喉を潤す事が出来ました。

一連の成り行きを見て不思議に思った将門公は、老翁に「貴方は一体何者なのか?」と訪ねた所、「久方の光の末の景うつる岩井を守る翁なりけり」と一首の歌を詠むと老翁は姿を消してしまいました。

将門公はこの時の経緯から、社を造り老翁を祀ると共に、この岩井の地に城郭を造る事を決めたそうです。

そして上記の老翁を祀る一言大明神(一言神社)は、石井の井戸と共に住民に崇拝され続けました。

かつては岩井の事を、石井と表記していたそうですが、その由来として、この石井の井戸が中心をなしていた為だと言われています。




それでは本日訪れた東京大手町の『将門塚』の写真と、東京駅と駅前のビルの写真で、今回の記事を締め括ろうと思います。










石井の井戸
坂東市岩井1627
(石井の井戸は国王神社からそれ程離れていませんし、うろ覚えですが20号線沿いに案内看板が出ていたと思いますが、どうしても石井の井戸の詳しい場所が解らない場合は、坂東市の観光協会に問合わせてください。)


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