息子が8年前 進学を北海道に決めた時

そこがどんな学校なんだかにも あまり興味がなく
東京の大学じゃないんだ!!!と少しショックだったけど

 

息子が決めたんなら そこが一番なんだろ?

って軽く考えてた。

彼の事は凄く信用、信頼してたので お任せするのが一番!

そう考えていた。

 

 

だって東京に戻ってくるって勝手に思ってたし。

 

 

私は、彼が学校を終えるその日まで 

一度もその地に行かなかった。

次男とは、もともと 用事もないのに連絡を取り合う

親子関係ではなく 必要な時にやり取りする

その距離感も安心でした。

 

いなくなった時、あまり心配だとか 寂しいとか

彼が遠い場所で頑張っているのに 

 

「私は、言わない!」って

固く決めていたんだ。

 

 

子どもの足かせにだけは、なるまい

羽をむしり取るような親にはならない!

そう・・・昔飛べなかった自分を少しだけ思い出す。

 

 

彼が学生だった時

彼は、私たちに一度も写真や様子を知らせてくれる事もなく

どんな環境で その地で生きているのか

私もあまり詮索しなかった・・・・

 

・・・自由とは孤独と責任が付きまとう

そういうもんだって私も思ってたからね。

頑張ってるのもわかってる!

 

年に1度 年末に帰省する

飛行機のチケットを送る時に 日にちの確認くらい?
要件電話 確認メールな 次男との関係

 

 

彼はどう思ってたんだろう

東京生まれの東京育ち 雪の経験だって数えるほど

 

「牛の事は やっぱり北海道に行かなきゃさ!」

その気持ちだけで 彼から切り離され 

残された家族は 心に穴の開いたような生活を

してたんだよ。。 

 

 

してった? みっくん

 

 

誰もあなたの事を忘れた事はなく

麻婆豆腐を作れば 「みっくんの好物だね」って

チキンを焼けば 「みづきは 30本は食べたよね」とか

 

優しくて 気が付いて 頼りがいがあって

だけど 自分の事を言うのは下手くそだった子

 

 

 

その私が・・・

 

 

・・彼が学校を離れる時

・・就職して娘と会いに行った時

・・結婚が決まって向こうのお父さんと会った時

・・傾聴講座に去年9月に行った時

・・8月 10月 11月 12月 傾聴カウンセラー養成講座


こんなにも北海道に行く機会を作れるなんて

自分でも驚いています。

逢いたい・・という旗たてに 叶う夢。

 

 

次男は 「光月」みづき という名前のとおり

秋の満月に生まれた子

 

満月を見るたび・・・いいえ

夜空を見上げては・・・

 

 

「みっくん・・・元気かい、風邪ひいてない?笑ってる?

 みっくん かぁーさん絶対に心そばにいるからね」

 

少し涙目で、、

胸に手を当てて 彼を思った。

 

私の・・私たちの 「しない愛」は届いているんだろうか

いいえ・・それは、届かなくてもいいんだ。

 

 

 

(T_T)

 

 

光月を強く思った。

 

 

 

私ね 勝手に思ってるんだ

私が思ってる時は 息子だって私たちを考えてるって。

 

私の思い込みも甚だしいけどさ

だけど 自分にとって彼との接点が もう何年も

こうした一方的な愛のまま 

時間だけがどんどん過ぎてね。

 

 

年末年始に元気な顔を見せてくれる

だけど なかなかちゃんとした 

本音の会話も出来ないままでさ。。

 

 

「元気でね! 身体大切にね」

 

別れ際にはいつもそういうだけで精一杯

 

「うんうん」って 

彼は、遠い空の向こうに帰っていくんだ。

 

 

 

 

札幌までも 車で3時間かかるって

北海道はでっかいどーだなぁ

 

なんだ 東京に来れちゃうね!って 思ったりw

 

今は、北海道広尾郡にいる息子

最寄りのバス停まで12キロもあるってさ!!

私は自力で 息子の家に行くことも出来ない遠い場所。

 

 

結婚して丸2年が過ぎた

閉鎖されたような人間関係の中

人とほとんど関わりのない環境で

 

 

「喧嘩も出来ないよ」って息子が言った

「確かにね」って私も思う

 

 

猫1匹 犬1匹

夏は、放牧している牛をバイクで追いかけたり

家畜人工受精士なので 種付けをしたり 

彼は、彼の生きる道で 折り合いをつけて生きているんだ

すごいね みっくん。

 

 

 

 

 

札幌や地方での講座の時は 講座の仲間に

前のリで 観光に付き合って貰頂いて

沢山の名店を覚えたり!

 

札幌にいても 豊橋でも 赤羽でも 新宿でも

仲間が増えていく感覚は あちこちに故郷が出来ていく

そんな感じが凄くする

 

みんな 有難うね。

 

 

地方で講座をした時に 

東京から講座のお手伝いに来てくださる方

自腹だよ・・・旅費もホテル代も懇親会費用もね

 

いつか地方でのお手伝いの方に負担をかけずに

来て頂けるような自分になれたらいいなぁ・・って思う。

 

いつか必ずね

 

 

みなちゃん かおりん ありがとうございました!

 

 

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前のリ観光 & 息子夫婦

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小樽で なるとで この上ない位美味しい 鶏肉を頂き

トンボ玉を作ったり 顔のハメかたを伝授したり(笑)
なにより1台の車で ドライブを楽しんだり!! イクラ食べて ジンギスカン食べて
刺身食べて ウニイクラ丼食べて スープカレーも食べれて 最高でした。



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冬用adidas 冬に北海道来るならこれがいいよ!って
余り東京では見かけない大好きなadidasの靴を教えてくれた!

南大沢のタイルもよく滑るから、、安心を手に入れた感じ!!やったー。
 

 

 

 

息子夫婦がね 空港まで送ってくれて 

コーヒーを飲みながら ゆっくり話をしたんだ

 

今の長男や娘のようすを話しながらさ

自分の死生観や 私の両親の状態を伝えてて

そろそろ お別れの時間。

 

 

「あゆみちゃんも 体力付けて 身体大事にしてね」

「みづきも 身体、無理しないようにね」
 

まっすぐにいつも通り

真剣にそう伝えると 間髪入れずに

 

「おかあさんもね。」

 

と 息子がまっすぐな優しい目で言うからさ。

 

 

 

゚・。(。/□\。)。・゚ウワーーーン!!!!

 

 

 

思わず泣いちゃったよ

 

 

 

「みっくん しんりがさ 

年末帰ってこないって言ったら 寂しいってさ

会いたいって言ってるよ。」

 

 

 

前だったら絶対に言わなかったな

だって みづきは 兄を猛烈に許せないくらい怒ってた

今、こんな優しい時間を過ごしてるのに

あえて そこを触らなくてもいいじゃん 私。。。

 

 

いや、、、今のみづきだったらさ

今の私が言うことをまっすぐに受け取ってくれるって

思った、、、だから伝えたかった。

 

 

 

 

凄く優しい顔で 少し涙ぐんで

 

「うんうん、、来たらいいじゃん 

温かくなったら 一緒にみんな来たらいいよ」

 

 

 

 

もう一回。

 

゚・。(。/□\。)。・゚

 

 

 

来年 少し暖かくなったら 森里も天未も一緒に

次男に会いに行くのもいいなぁ。

 

 

そんな風に考えても 誰も傷つかない年齢に

みんながなってきたんだ。

 

 

 

 

 

 

あのね

 

子どもは あの時のまんまなんかじゃない

私もね あの時のまんまなんかじゃない

親だって 友人だって ・・・ みんなその時のままなんかじゃない。

 

 

一度や二度 いいえ いっぱいいっぱい傷ついたって

それを持ち続けるか もう手放したのかなんて

今の本人にしかわからない。

 

 

 

 

 

 

すれ違った時があっても

また会える時もある。

 

それでいいね。

 

 

 

 

 

 

お母さん ラジオ聴いたよ
「素敵ですねぇ~」って言ってた!って・・・・ そこ!?







愛してる。

そう思えるだけで あなたがいるだけで

お母さんは幸せです。