そこに初めて行ったのは
いつだっただろー。

付き合う前からだから
18才?位?

彼の友達のたまり場のような
駅からも近く
車も置けるし
毎日が宴会みたいな彼の家

とても華やかに私には見えた。
 

うちはうちで
母が社交的だから
いつも近所のおばちゃんが
家に集まってたけどね


玄関がめちゃ広くて
地下に作業場があって
3階建てで
2階は、裏からアパートに
なっていて、

外犬を飼っていて
車が4台とかあって、、
駅から3分で、、

ソコは、公務員家庭の実家より
少し規模が違う感じがしたなー。

きらびやかなお金持ちではなく
どっちかと言うと
こんなところに田舎がある!

みたいな!
あははは


義父は、ステテコで
裏道のドラム缶で
ボンボン木屑を燃やすし、
地下でカンカンカンカン!
銅板を叩き出してたり
時々、餅をついたり

別荘が茨城にあって
週末は、よくそこに行ったっけ。


裏口には
お酒用の冷蔵庫があって
台所の外にも冷蔵庫があって

杏や夏ミカンの木があって
茗荷がニョキニョキ庭に出てた
彼の家。


そこは、何年かすると
私の嫁ぎ先になって
長男を妊娠すると同時に
そこのお家の2階と3階が
私たち夫婦と子ども3人の
家になりました。

記憶が曖昧ですが
12~3年位、同居をしていて
朝ごはん、お昼ごはん、夕御飯
最初の頃は、お風呂も
ぜーんぶ一緒の同居でした。
 

長男が生まれて
2階に台所がつき
少しして、お風呂を2階に
作って貰ったり、部屋が増えたり

思い出がいっぱいある
家が、、

離婚して丸20年
しかも離婚記念日の6月29日
娘と歯医者さんに行ったついでに

遠くから眺めると
、、、思いっきり壊してた。







実は、その前の週
10年ぶりに歯医者さんに私が 
行くことになりまして、

久しぶりにその町にいき、
駅前のお豆腐屋さんが懐かしくて
ニガリ絹生揚げの揚げたてを
買うとね。

私を覚えてくれてた
奥さんに、
「逢いにいってあげたらー」って
言われた事が頭にあって、

翌週、娘と見に行くと
偶然に壊してて、
ホントにびっくりした。


懐かしさと悲しさと
寂しさで、、胸がぎゅーってなった。

丁度、私たちが住んでいた
2階の台所あたり
崩してる隙間から
吊り戸棚と換気扇が見えた。
 

自営業の嫁でした。
義母には、本当の娘のように
よくして貰った。

男衆が仕事に出てる間
朝ごはんの片付けや、掃除
私は、全員分の洗濯をして
お昼を一緒に食べて
15時になれば、毎日一緒に
買い物をしたり、、


子ども三人も一緒に育てて
貰ったと感謝もいっぱい。

犬の散歩をいつも
孫を連れて行ってくれたり

時々、母と吉祥寺に行って
美容院にも一緒に行ったり、、

今、思い出しても
母ともめた事を思い出せない位
優しくて、大人しい人でした。

生意気な嫁に
母が合わせてくれて
苦労したんだろうな。


離婚してしばらくは
近所に住んでいたので
子どもたちも出入りしてて
私もよく遊びに行きました。

元旦那がすぐに再婚して
それから遠慮して
出入りしなくなったけれど

私にしたら
実の親と同じくらい
いや、大人になってからの
時間を思うと親より共に時間を
過ごした人。


お母さん、、
逢いたいな。
生きてるうちに
逢いたいな。っておもう。


娘が元旦那とやり取りをして
義母と住む家を建て直すと
言うことを知って
なんか嬉しかったなぁー。

一緒に住むんだね
ひとりは寂しいもんね。


離婚して20年
空いた2階と3階は、ずっと
そのまんまだったと聞くと
それはそれで有り難いと思う。


とっくにさよならした
その家は、勝手にそのまま
ずっとずっと
そこにあるって決めつけてたなぁ

ホントにさよなら。
結婚してた目に見える思い出が
形がなくなった。

楽しくて、嬉しくて、
辛くて、苦しくて、
大家族の中で勝手にひとりに
なった私だけど。


そこがあったから
今の私がいる。

お金には、まったく苦労は
しなかったけどね。
主体性は、1ミリもなかった家

二十そこそこの私が
そこの家で軟禁生活のように
地域と家と子どもと
めちゃ頑張った家は、なくなった。
 


私も、もうそこでの色々を
握りしめているのは
、、、やめよう。
 

私は今、ここにいる。
ここで、笑ってる。