【いま、なぜ歌なのか?(初めてのかたへ)】
・やまとうたは、人のこころを種として、よろづの言の葉とぞなれりける。
いまの日本社会はこころを病んでゐる、と言はれます。
物質的には恵まれてゐるだけに、なほさら心の問題がクローズアップされてきますね。
だとするなら、心からうまれ出づるといふやまと歌は、いまの病んだこころを癒す可能性を秘めてゐるのではないでせうか?
・世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心におもふことを、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。
うたは、その人のこころを映し出します。
こころが感じておもふことを樣々な物事にたくして表現するのが、歌であるからです。
といふことは、歌をみればその人がどんなひとか、いま何を考へてゐるのかがわかります。
おのれの歌をかへりみれば、今のおのれの心のありさまもわかります。
うたは心をうつす鏡、こころのチェックシートでもあるのです。
【うたをよむメリット25】
・五感がするどくなる
・観察力がたかまる
・自他のちょっとした変化によく気づくやうになる
・季節の移ろひとともに、無理せず生きられるやうになる
・みづからの心の動きを感じやすくなる
・心の自己観察ができるやうになる
・素直になる
・調子のよしあしにかかはらず、おのれを受け容れられるやうになる
【特記:こころの病と歌よみとの関係】
こころの病が治るプロセスは、ひとりひとり異なるものだと思ひます。
ただ、「必ずココだけは通る!」といふポイントはあるのではないでせうか。
思ふにそれは、
「みづからの心のありさまを、できるかぎり客観的にとらへる」
といふポイントです。
ここを通りはじめたときから、こころの病は恢復にむかひます。
心理療法のなかにも、このポイントの通過を狙ったものがたくさんあります。
たとへば「論理療法」「内観」「ゲシュタルト療法」などです。
とくに、ゲシュタルト療法の“エンプティー・チェアーEmpty Chair”あたりは、歌よみのプロセスにも通ずる方法かと思はれます。紀貫之は、
「男の私が、女になったつもりで書く。」
と言って、『土佐日記』をしるしました。(ちなみに、貫之は歌の名手でもありました。)