おばあちゃんの、5月の病状。 | おばあちゃんになった、わんこさんのおはなし。                    ~高齢柴犬の闘病・介護記録~

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ハイシニア柴犬介護記録です。
1年3カ月の闘病期間を含め、いつでも家族みんなで笑いながら過ごした、柴犬「わんこさん」との16年と8カ月の生活。
悲喜こもごもあったけど、トータルしてとっても幸せだった日々のおはなしです。

犬と一緒に過ごす生活って、いいね。

一緒にいられる時間はもう残りが少なく、限られている。それでも一日でも長く続きますようにと、願う。

こんな切実な思いをしたことが、私は以前にもある。「天から与えられた」と称されるその時間は、これほど医療が発達した現在でも、覆すことが難しい。この世に生を受けたものは、いつか必ず旅立つ。それを運命と呼ぶのでしょうか?

 

5月の半ば、私はおばあちゃんに会いに行きました。

脳梗塞になり、その後に肺炎を起こして治療入院中には下肢にも梗塞が起こり。そして再び肺炎で入院をした。おそらくもう歩くことはできません。病院食を完食できるけれど、食事中やその後しばらくはむせることも多く、誤嚥性肺炎の予防対策としてとろみのミキサー食。お見舞いに行ったのは世間よりちょっと早めの昼食が運ばれてくる時間でした。休日で介助スタッフの人数も少ないのかもしれません。「ご親族の方が介助してあげて下さい」と食事介助を任されて。係の方にコツを聞き注意点を教えていただきながら、おばあちゃんの口に食事を運びました。

簡単に飲んでしまえそうなペースト状の食事を、おばあちゃんは一さじ一さじゆっくし咀嚼し、その後ゆっくり飲み込みます。味覚も嗅覚もしっかりしているようです。献立表にサラダと記載の薄いグリーンと赤のペーストは、「味も香りもキャベツとトマトだよ」と言いきりました。そして「ああ、キャベツの浅漬けが食べたい」などと言い母を涙ぐませます。「海苔佃煮の塩気がうれしい」と全体的な味付けの薄さを嘆きながらも、もう完食は間近です。デザートのリンゴの裏ごしはリハビリも兼ね、自分の手でスプーンを運べました。ゆっくりゆっくり、ちょっとぎこちなく進むスプーン。まるでユーフォーキャッチャーのゲームを見守るようなもどかしさですが、間違いなく確実に進み、無事に全部がおばあちゃんのお口へと収まりました。

短いセンテンスと小さな声で、慣れない私にはときおり聞きとりにくくも思えますが、会話は通常通り平滑に進みます。お見舞いに持参し渡した風車は、売り場で一番滑らかに回るものを選んだのですが、今のおばあちゃんの力では回せませんでした。軸を持つ手も頼りなく、風車はグラグラと左右に振れます。それでも口元をすぼめて、ふーっと息を吹きかけていました。

 

帰り際、「またね、今度は退院して、おばあちゃんのおうちで会おうね。」と約束しました。「こんなに病んでしまって…」とおばあちゃんは言いました。続くはずの語尾は聞き取れなかったのか、それとも言わなかったのか。私たちの訪問の翌日には、多忙な従姉妹がお見舞いに訪れる予定だといいます。従姉妹も私も、遠方からお見舞いに訪れる。自分の病状とそれから周囲の動向から、今後の見通しを自然と察してしまうのでしょう。おばあちゃんは、自分の残り時間がもう、あまりないことを知っています。だからあえて、「またね」と言う私。こんな時にさよなら、とは言えません。

おばあちゃんは別れ際、手を振ってくれました。くたっとベッド上に投げ出されていた右手を、がんばってしっかりと振ってくれました。たぶん私はそれを見た瞬間、微笑んだと思います。うれしさと驚きと、別れがたい気持ちと、厳しい現実の病状を目の当たりにした悲しみと、もしかしたらこれが最後かもという当たってほしくはない予感。その全部を含んだ複雑な心もちではあるけれど、それでも笑顔と呼べる顔ができたと思います。母はすでに病室を出て、スタスタと歩いていってしまっています。はるか向こうを歩いているけれど、後ろ姿で分かります。おばあちゃんの前では隠していた素直な気持ち、悲しみの表情をにじませているのでしょう。

 

お別れ前の、先細った穏やかな、辛さを内包した幸せ時間。一緒にいられることは幸せなのだと一瞬一瞬を確かめながら、それでも指の間からこぼれ落ちていくような時間。そんな時間の幸せさを、私はわんこさんから学びました。おばあちゃんと同じ脳梗塞で倒れても、その後1年3カ月を一緒に過ごしてくれたわんこさん。獣医の先生には、「100点満点に近い」と評された、幸せな生涯でした。全快しなくてもいいからおばあちゃんもこのままの幸せが少しでも長く続きますようにと、わんこさんの時と同じ気持ちで願います。