老いの足音 | おばあちゃんになった、わんこさんのおはなし。                    ~高齢柴犬の闘病・介護記録~

おばあちゃんになった、わんこさんのおはなし。                    ~高齢柴犬の闘病・介護記録~

ハイシニア柴犬介護記録です。
1年3カ月の闘病期間を含め、いつでも家族みんなで笑いながら過ごした、柴犬「わんこさん」との16年と8カ月の生活。
悲喜こもごもあったけど、トータルしてとっても幸せだった日々のおはなしです。

犬と一緒に過ごす生活って、いいね。

お久しぶりです。

今日は、敬老の日。祖父母みんなが旅立った今年からは、私にとってなんだか手持無沙汰な日になりました。

 

7月初めに、おばあちゃんが亡くなって。先月、お盆明けの週末には、四十九日の法要がありました。

法要の中でお坊さんはこの世で最後の食事を与える儀式もしてくれました。

ああそうか、おばあちゃんはもう現世から離れ、永遠に戻ることなく遠い遠い彼の地の住人になってしまうのか、と改めて実感し、寂しく思ったのですが。

場所を移しての食事会の会場で、会の終盤、おばあちゃんの遺影の前に、誰かが小皿にいれた食事を供えてくれたのを見つけました。昔は名前にちゃん付けで呼んでいたのに、武骨なたくましさを身につけてしまい今ではとてもちゃん付けでなどで呼べない、立派になった従弟も、写真の前で佇んでいました。「おばあちゃん、お料理の取り分けもらえて、よかったね。」そんなことを言いあって遺影を見つめて。

 

実は私は法要の日の朝からなんだか風邪っぽく、当日は解熱剤でしのぎましたが結局いつもの喉風邪のパターンで高熱を出して、その後の3日間は寝たきりになり。そして今回はじめて、たぶん寝過ぎたことで軽い腰痛も出て。私ももう若くないな、と思ったのでした。

 

「若くない」と言えば。お通夜からお葬式、そして今回の四十九日。久々に顔を合わせた親戚の人々は、みんな一様に歳をとっていました。私が生まれる前から、またはほんの小さな子供だった頃から知っている人たちなのですから、歳をとるのは当然といえば当然ですが。髪は白くなり、腰が曲がり杖をついて、なんだか前より小さくしぼんでしまったように見え、そして今ここに来られるほどには回復したけれど大きな病気を克服したという話も。そんな話を聞いて、老いの実態というのを、私はまた一つ確認したのでした。老いというものは、怪我もなく見た目に大きな変化もないように見える体の、筋力や骨のバランスを崩す。そうして時には、理由のわからない痛みをもたらしたりもする。直接原因は思い当たらなくても、その痛みがいつもの日常行動を妨げ、やがて歩行困難に至らしめる。

 

だからきっと、大好きだったはずの散歩をできるだけ早く切り上げようとし始めたシニア期のわんこさんも、老いを原因とする関節痛に陥っていたのかもしれないなあと、今になってやっとやっと、気づいたのでした。歩けなくなったわんこさんの足に異常がないか調べていたといっても、私が疑っていたのは骨折とか捻挫とかの、明らかに急性の怪我。当時のおばあちゃんは歳の割に元気でしゃっきりしていて、そのほかの身近な人たちにも、足の痛みなどはまだなくて。つまり、老いの弊害とは縁遠い暮らしをしていたものだから、関節痛の知識もなく、想像も及ばず。明らかに想像力不足、知識不足、経験不足。今さらですが、かつてのわんこさんに申し訳ないことをしてしまった、と思ったのでした。歩かせるのが健康維持だと思ってのこととはいえ、強引に散歩に引きずりまわしてしまっていたなあ、と。病み上がりの腰の痛みとともに、心も痛みました。

 

近しい親族でも年に1~2度会えるかどうか、来年の新盆まではみんなが一堂に集まる機会はほぼないのが現実。高齢となった親戚の別れ際の挨拶には、「次は私の葬式かも」というような冗談が飛び交います。「そんなこと言わないで。また来年、私の知らないおばあちゃんの話を聞かせてね」と約束をして帰ってきました。おばあちゃんの遺影は、優しく微笑みながらそんなみんなの姿を見ているようでした。また来年、親族のみんなが無事に顔を合わせられますように。おばあちゃんも彼の地で懐かしい人々と再会して、いつか必ず彼の地に訪れるここにいる親族のみんなを、幸せに待っていてくれますように。

それから、こんな優しいつながりを作ってくれたおばあちゃんの生涯に、ありがとうの気持ちを。この思いが遠い彼の地まで届きますように。

 

 


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