Baoはおばあちゃんの味
子供の頃は母親がフルタイムで仕事をしていて、残業や宴会などの時は祖母の作るご飯が特別メニューで楽しみでした。
で、バオズはそのうちの一つ。
最初は生地を16等分にするべく、大まかに半分に分け、それを8個に分けて包み始め、次の半分を分けるところで夫と話し始めたため、なんだか小さく切りすぎて16個じゃなくて20個くらい(でも小さいのが)できましたとさ。
具の覚書:
- インポッシブル・バーガーパティ2枚(2枚セットで販売されているもの)
- ニラ
- 生姜すり下ろし、たっぷり
- 春菊あらみじん切り、ニラとほぼ同量
- テンペ(お湯に酢を入れて茹でてからみじん切り、1パックの半分ほど)
- 酒
- 醤油
インポッシブルバーガーは、夏の残りが冷凍庫にあったのが邪魔だったのと、具が肉肉している方が肉食人受けが良いので、思いついて使ってみたもの。
たまたま見つけたALA (American Library Association)のサイトで見た、毎年恒例の禁止せよクレームが多かった図書トップ10リストの2018年版を見ました。
焚書?過保護?当然?
昔世界史の授業で、「焚書」と言うオーソリティによる抑圧手段と言うか反政府勢力のねじ伏せ作戦というか、を習って「ヘ〜、そんなことして庶民が納得するとでも?」なんて思ったのを思い出しますが、燃やすかどうかは別としても、反政府勢力の出版物とか反社会的書籍とか風俗を乱すと判断された書籍がセンサーシップを経て闇に葬り去られるとか、そういうのは現代でも普通にあちこちの国で(日本でも)行われていること。
フリーダム・オブ・スピーチ、という概念は民主主義社会にとって重要な概念ですが、一方でヘイト・スピーチとか、メディア・ヴァイオレンスなどに規制をかけて人々を有害なものから守ろうという考え方もあります。
どちらも社会が健全に自由に機能し続けるために重要な考え方ですが、どちらも悪用されたらその逆の作用をもたらす恐れがあるとされていますよね。
ALAはフリースピーチが「思想の自由」の根本であるという姿勢を持つので、毎年何百件も寄せられる「この図書は若者の心の発育に有害だから、禁止して」というリクエストを受け入ても書籍の閲覧を禁止することはありませんが、そのリクエストの数を集計して、「最もチャレンジされた(有害であると言いがかりをかけられた)書籍ベスト10」を発表し、フリースピーチについて、こう言った書籍が問題視されることについて考えましょう、と提案します。
サイトにはその年に集計された中でのトップ10(2018年は11)が発表されていますが、実際にはALAには知らされない所で燃やされたり禁止された書籍というのもあり、その事実が数年後に報告されることもあるそうなので、このリストがアメリカ全土で閲覧を制限された書籍の全てではないこという注意書きもありました。
ダウンロードしてトップ10外の全てのリストを見ることもできます。
見てみると、ガン・ヴァイオレンスに関する考察とか、LGBTQに関するものとか、今、社会で人々が熱く議論している話題がたくさん。
こういうのを若者に読ませるな、子供の目に触れさせるな、と考える大人の気持ちは大変真っ当なものというか、守ってあげなきゃ、と考えてるのでしょうけれども、これだけ世間の多くが話題にしてること、本を見せなくてもネットや街角やクラスルームでの会話で耳にして「それってどういうこと?」と疑問に思うことは多いはず。
それを本から回答を得るのではなくて、自分が説明することで、自分の信じるドグマに自分の子供たちを引き摺り込みたい、、ってことなんだろうねえ、、なんて意地悪な見方をしてしまいますが、、、、まあ、自分の子供にはまだこんな話題には触れて欲しくないのよ、という気持ちはわかります。
でも対象が子供じゃなくて大学生くらい、なんて書籍もあるので、それくらい成長してるならもう本人の判断力を信じてあげても良いのでは?などという思いも。。。。
輝ける第4位は、The Hate U Give
私は原作は読んだことはなくて、たまたま乗った飛行機のエンターテイメントのチョイスとして出ていたので、時間潰しに選んで鑑賞しただけなのですが、観終わった後泣いてました。
やー、飛行機で映画見て泣くのって、別の映画やテレビやゲームやってて全く別の精神状態にいる周囲の人たちにしてみれば「何?」って感じでしょうけれど、泣けるものは泣けるのですよ。
そして同行した同僚にも「これ良かったよ〜」と涙目で訴えて。
同僚はクールに「それ私も見たよ、一昨年くらいのじゃない?新作じゃないよね」などと。笑
ここ数年かなりメディアでも取り沙汰されている、アメリカ合衆国における黒人差別の問題を扱った話です。
差別という言葉はいろんな場面で使われて、今や定義がかなり曖昧な印象を受けるのですが、アメリカで、黒人で、警察やオーソリティーが登場する場面での差別、となると、「不当に扱われた」レベルではなくて、命に関わるレベルというか、「それは不当な扱いなんじゃないですか?自分はただ**していただけですけれど?」と反論することすら命とり、という状況なようです。
そんな話は奴隷制度がまだあった頃とか、市民権運動が盛んになる以前のアメリカの話であって、現代ではそんな大袈裟な話はありえない、、、と、私も20年前くらいまでは思っていましたが、あちこちで、警察による黒人市民への不当な扱いが取り沙汰され、取り沙汰されない隠された不当な扱いを含めたらどれだけ横行しているのか、、と思うとそら恐ろしい。
主人公が棲み分けてる黒人コミュニティと白人ハイスクールと、両方での葛藤が描かれています。
不条理にも程がある、と泣けてくるのですが、状況や人種は違っても、差別を行う特権階級と差別される人々、という構図は実は世界中にあって、日本にだって存在することを思い出さなければ。
Hateは物事を解決しませんが、問題を認識することからまず初めて、弱者をいじめる社会構造を改善しなければ。
人種や肌の色、文化背景や性指向などなどを基準に人を差別してはならない、当たり前だと思いますが、そうじゃないと思う人もいるのが世の中か。