要のブログ【認知症の母親と猫と独身ひとり女の日々】

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両親の介護を一人で行い【テーマのはじめにを読むと分かりやすいです】母(2023年1月22日他界)は認知症(前頭惻頭型認知症+レビー小体型認知症のMIX)と老人性鬱病・昔メニエル病。父はアスベスト肺癌(2016年6月に他界)両親共に他界してしまい、私の人生模索中…

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2023年1月22日 母親が亡くなりました。

先日の記事の続きです。

 

 

それから三日間は

母が入院中に食べられなかった

好きな食べ物を買ってきてお供えした。

 

って、言っても

結局私しかいないから、

お供えした食べ物は全て私が食べるようなのよね。

 

 

毎日朝はパンだったから

私もずっとパンなんだよ。

だから、私が食べる用の朝食は

お母さんにお供えしてから

自分で食べています。

 

そうそう、お寿司も買ったね。

初日は良く一緒に行っていた

回らない回転寿司のテイクアウト。

車椅子になってからも連れて行ってたから

お店の人も覚えていてくれた。

もうお箸が自分で上手く使えなくなってからも

介助しながらボロボロ落としながら

美味しそうに食べていたね。

お店の人は嫌な顔したことなかったよ。

 

「母が亡くなったんです。

 ここのお寿司好きだったので食べさせてあげたくて」

お店の人は、嬉しそうな悲しそうな顔をして

丁寧に握ってくれました。

 

うちは裕福じゃないから

次の初七日は

スーパーで30%割引になったやつだぞ(笑)

リアルだよね。

 

 

あと、何が食べたい?

和菓子は私が苦手だから勘弁してね。

でも、食べたいだろうから・・

どうしようかな。少しだけだよ。

 

 

お母さんの好きな食べ物は全部分かる。

 

 

 

 

なんだろな。。

一緒にワイワイ言いながら食べられないから

なんだかつまんないや。

 

食いしん坊だった母。

いろんな美味しいもの食べて欲しいな。

 

 

 

そんなこんなでしみじみもしてられない。

人が死ぬって、悲しいながらも

手続きがめちゃくちゃあって大変なのだ。

まずは悲しんでる暇はない。

毎日毎日、あっちこっち走り回って

手続きしまっくった。

 

 

私、思うんだけど

この恐ろしいほどの手続きの山は

残された人が悲しみに落ちないように

やる事を作られてる気がしています。

もちろん、国に決められてる事だけど

これが全部終わるまでは

気が張ってる。

 

 

でも、父親の時よりは手続きが少ない。

やっぱり世帯主だとやることが多かった。

うちは父親の時にある程度終わらせたから

母親の手続きは少なくてすんだ。

 

 

生命保険的なものも

父親が生きていてしっかりしているうちに

(父は体は不自由だったが最後まで頭はしっかりしていた)

父親本人が、母親の分も自分の分も

解約したから、死んだからって一銭も入らない(笑)

 

解約する時に父はこんな感じだった。

 

「どうしてこれからたくさん保険使うって時に

 解約しちゃうの?」

 

「こないだ一回使ったからもういいんだよ。

 ヘヘヘッ(笑)」

 

 

!!???

 

へへへッ!って何だよ(笑)

 

でも、父らしい。

それでいい。

 

 

 

兄にも伝えた。

 

「調べてもらえれば分かるけど、

 生命保険とかはお父さんが自分がしっかりしてる時に

 自分で解約したからないよ。

 お母さんも分もその時に一緒に解約したよ。」

 

兄が固まっていたので

 

「たぶんお父さんは

 兄妹が揉めないように解約したんじゃないのかな」

 

そうしたら一言

 

「面倒くさいヤツだな!」

 

と言い放った。

 

 

 

知らんがな。。。

 

 

 

 

そんなこんなで

ある程度、書類関係が片付いてきた。

これなら七七日には全部終わるかな。

 

 

って、中陰表って

なんで四十九日七七日なんだ?

 

 

仏教では人が亡くなるとあの世で7日毎に

極楽浄土へ行けるかの裁判が行われ

その最後の判決の日が49日目となる。

とされているけど、

49日が何で77日なんだ?

 

 

 

ちょっと調べてみた。

(気になるとすぐ調べる癖がある私)

 

七七日(なななぬか・ななぬか)

七が7つ(7日×7週間)。

だから49日という意味だそうです。

ややこし~!

 

 

 

しかし、亡くなってからも

修行して裁判が行われるのか。

大変だ。

 

そっか、

残された人が手続きに走り回っている間

亡くなった人は修行して裁判されてるのか。

お互いに忙しいんだな。

 

 

 

 

そうそう、自分で命を絶つ

両親や愛していた動物達と

同じ場所に行けないと聞いた事がある。

裁判で同じ場所に行けなくなるというのか。

なら、辛くてももう自分で絶つ事は出来ないな。

 

 

 

少し、以前と考え方が変わったんだ。

死とは、次の場所に移動しただけってこと。

ここ(自分と同じ場所)からはいなくなっちゃうけど

次の場所に移動して、私が来るのを

待っていてくれているだけだと。

それを証明するような出来事も体験出来た。

 

だから、死=悲しいだけじゃなく

私が次に行く場所の下見をしに行ってくれてる。

だから私も同じ場所に行けるように

今は人に恥じないような生き方をしようと思う。

 

 

 

と、そう思ったら…

 

と、、

思うようにしよう(笑)

 

 

 

 

 

でも、話かける相手が目の前にいなくなるのは

 

やっぱり、つまんないや。。。

 

 

 

認知症で反応が無くなっていっても

 

しつこく話かけたり

 

名前を呼んだリすると

 

「うるさいな」って言ってくれたもんね。

 

 

 

だから、最後まで

 

しつこく、しつこく声かけたんだよ。。。

 

 

しばらく止まってたのに

 

三回も心臓動いてくれて

 

本当にありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

波はあるけど

ニャンズと3人で

なんとかやっていきます。

 

 

長文を読んでいただき

ありがとうございます。

 

メッセージもありがとうございます。