この計画を立てた時と状況が変わって来ました。

5月の末から学校行き渋り。

6月はその対応(学校を休んでデイだけ行く、スクールバスに乗らず車でなら、電車でなら行ける時に送迎)
学校の先生、療育の先生にご相談しながら…

行き渋り出した時、休むのをパターンにしてはいけないと頑張りましたが難しかったです。
毎日登校といういつもなら当たり前だったことも、それを目標にしていると
「学校を休んだ」
「今日も行けなかった…」と親子共々ネガティブになってしまいます。

ある本を読んで気持ちを切り替えました。


7月になったら(夏休み明けみたいに)毎日登校出来たらいいなと思っていたけど…今朝は心折れそうになっていたところ担任の先生からお電話をいただき、もう踏ん張りするパワーが湧いて来ました。


5月・6月まとめて…

行き渋った5月の終わりから6月前半は感覚過敏が激しく出ていて(ブログであんまり詳しく書けない内容)、イライラする元気もなくグッタリしていました。

そちらは一応解決?したので、休んだ時の家での過ごし方をもっと整えていこうと思います。


(2019.6.)
家での勉強(国語)と称し、お話ししながら書いたもの。


また別日、その続き…

一番下の行
息子が「はよいけは?」と言って来たので追記。
(息子は「はよいけ!は乱暴」と言って欲しい)
「はやくいって!」と書いたら
「はやくいってくれ」…と。

「はやくいってください」…お願いがいいんちゃう?…と私が言い、大阪弁→標準語の話を支援計画に入れていたコミュニケーションの話に持って行きました。

(2019.6)

あと「社理」と称して西暦・和暦についても書き出しました。

僕が0歳の時、西暦2003年で平成15年。
ここからスタートして問いながら私が書いて行ったのですが、1加えるだけでなく2も頭の中で加えられていました。
(どんだけハードル下げてるねんって話ですが、学習系が苦手だったので私的には暗算ブラボーです)




色々あり過ぎて先生方にお伝えし忘れていることもあるので振り返って記録しています。
(記録については病院でアドバイスいただいたこともあり…)