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父の話 旅立ちの日 [家族]

 


 


こんにちは。この頃毎日うたた寝してしまうピら手です。


 


先日無事に父を送る事ができましたのでご報告致します。


 


記録として書きとめておきたいと思います。


 


 


心臓病で在宅医療を受けながら生活していた父は、10月下旬に呼吸困難のため意識はありましたが家族が救急搬送を選びました。


 


在宅医療患者に対する救急搬送については、基本的にはしないか、医師の判断になっているので、搬送先のドクターのコメントは本人を前にしてかなりきついものでした。


在宅で介護できるのか、できないなら療養型の病院や施設を探すのか選べと、その場で言われたみたいです。私が駆けつけた時は、少し様子を見ていきましょうと言われました。


 


 


初めの数日は鼻に酸素をつけたり、酸素マスクを使っていました。改善したかに見えましたが、その後急激に悪化して行きました。


 


今夜が山だと言われたと、母に呼び出されたのは1日金曜日の夕方の事でした。娘とアレルギーの病院に向かう途中でした。


 


病室で撮るレントゲンの結果、右の肺が白くなっていました。


 


私の家族を呼び、父に合わせました。苦しそうでしたが、少し話せました。


 


その夜、姉が付き添いましたが父は全く眠れず、かなり状況が悪そうだとの事で、朝、私と妹と母で集まりました。


 


午前中に婦長さんがきて、個室代が1日一万円かかるが、午後から個室に移していただけるとのことで、母が了承しました。


 


2日は家族で個室で父を見守りました。


苦しそうながらゼリーや桃を食べて本人も頑張っていました。


 


ずっと食欲がなかったので驚きました。


テレビも見ようとしましたが、体の向きが合わなくてやめました。


私たちが話していると、うるさい、と言われたり、テレビを消して、と言ったりしていました。


 


その夜は、私が付き添い、ベッドを上げ下げしたり、お水を飲むと言うと取ってあげたり、おでこのタオルを冷やしたりしていました。


 


呼吸も少し深くなり、眠れていると思われる時間がかなりありました。


 


少し良くなっているのかな。血中酸素濃度は酸素マスクをしていると97100と良好でした。


 


朝の5時に母が来てくれたので、6時頃病室を出ました。


 


父は眠っているようでした。


 


帰宅して子供のお祭り仕度をしました。地元のお祭りの日で、髪をアップしなくてはならなかったので、アップして着物を着付けてもらいました。


 


9時過ぎに神社にいると母から電話がありました。


「お父さんだめかもしれない。病室のモニターがピーって真っ直ぐになったの。」


処置中との事で、病室の外にいた母からでした。


 


酸素濃度のモニターは何度か外れて真っ直ぐになっていたので、「時々そういう時はあったよ。モニターが外れたんじゃない?」と言って、次の連絡を待ちました。


 


すぐにまた電話があり、


「お父さんなくなった。すぐに来て。姉妹に連絡して。」と言われました。


 


「わかった」と、急いで妹に電話して伝えました。


 


娘と夫、息子にもすぐ伝えました。


 


急遽お祭りは欠席し、着替えだけしてまた病院へと向かいました。


 


駅で妹と一緒になりタクシーで向かいました。


 


病室には母と姉がいて、父が静かに横たわり、穏やかな顔をしていました。


 


安らかで、とてもイケメンな父の顔でした。


 


お腹などはまだ温かく顔も柔らかでした。みんなで撫でたり、父と写真撮影をしました。


 


母の話では、父は朝食の時間に、りんごジュースを飲みたいと話し、看護師さんがインスリン注射を打ち、酸素マスクを鼻の酸素に変えるのを待って母に飲ませてもらっていた時に亡くなったようです。


 


家族が揃ったところでドクターが来て、死亡時間を宣言しました。


 


男性の看護師さんが来て、パジャマ着替えと点滴などを外してくれることになり、病室を出て待ちました。


 


この間に葬儀屋さんに電話をかけ、依頼をしました。


 


数日前に万一の時用にと話し合って、資料請求をしていたネットの葬儀仲介屋さんでした。


 


地域の葬儀屋さんから連絡が来て、すぐに葬儀の日程を決めました。


 


すぐの日にちは空きがなく、朝早い時間だと2日分の会場費がかかるといいます。


 


そうならない日程で希望すると、金曜日になりました。


 


お通夜は無しの告別式のみの家族葬プランで、5日後が告別式となりました。


 


また、病院の霊安室までは病院の専門業者が父を移動させ、そこで葬儀社の方に引き渡すとの事でした。


 


父がストレッチャーに乗せられ、布をかけられて大きなエレベーターで一緒に地下まで行きました。


 


祭壇の前に父を配置し、お線香をあげるように言われました。


 


着替えをしてくれた看護師さんもお線香をあげてくれました。


 


そして葬儀屋の方の車に父と荷物は載せられて、一足先に葬儀屋さんへ行きました。


 


この後葬儀の打ち合わせを葬儀屋でする事になっていましたが、葬儀屋の方が私たちに配慮して昼ごはんの時間をくれたので、食事をしてから向かいました。


 


いつ心臓が止まってもおかしくないと言われ続けて、なお元気に前向きに生きていた父。


 


回復の兆しもあり、その別れは突然でした。


 


本当に、最後は辛そうだったので、安らかな顔で眠る父は幸せそうに見えました。


 


お父さん、本当に頑張ったね。ありがとう。


 


そんな話をして、みんなで涙を流しました。


 


体力第一のためしっかり食事もして、葬儀屋へ。


父は葬儀屋の一階の祭壇の前に眠っていました。


 


お線香をあげて、二階で打ち合わせをしました。


この打ち合わせでは、悲しみに沈む間も無く、


沢山の選択が待っていました。


 


 


続きはまた。


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


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